日本刀 脇差 銘 相州住広次(特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 概要 本作は室町時代後期に制作された、相州住広次(そうしゅうじゅうひろつぐ)銘の脇差です。 広次は、南北朝時代から室町時代にかけて相模国(現在の神奈川県)で活躍した名工の銘跡です。相州伝は、名匠・正宗を祖とする日本刀五ヶ伝の中でも屈指の知名度を誇る流派であり、その卓越した鍛錬技術と華やかな作風で知られています。 広次の系譜は南北朝期に始まり、室町、戦国時代へと数代にわたって受け継がれました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の発行した鑑定書によれば、本作は室町時代後期の作とされており、いわゆる「末相州」期の広次による一振りと考えられます。 相州伝の刀剣は今日でも非常に高く評価されていますが、戦国時代の東海地方は激戦地であったため、実戦での破損や紛失により現存する個体は決して多くありません。本作は当時の相州鍛冶の伝統を今に伝える、資料的にも価値の高い優品です。 相州伝について 相州伝は、鎌倉時代中期(13世紀半ば)に相模国で誕生した伝法です。当時、大和伝や山城伝といった伝統的な技法は既に完成の域に達していましたが、関東の地における作刀技術は未だ発展途上にありました。 1185年に成立した鎌倉幕府において、初代将軍・源頼朝は政治的基盤の確立を最優先したため、当初は独自の抱え鍛冶を育成する余裕がなく、武器の調達は山城や大和などの他国に依存していました。 しかし、幕府の安定とともに武士からの需要が爆発的に増加したことを受け、五代執権・北条時頼は、山城国から粟田口国綱、備前国から備前三郎国宗という二人の名工を招聘しました。さらに七代将軍・惟康親王の代には備前福岡一文字助真が招かれました。 これら名工たちの交流と技術の融合が、相州伝の礎を築いたと言われています。その後、新藤五国光がその技を確立し、行光を経て、日本刀史上最も著名な刀工の一人である正宗へと受け継がれました。正宗によって完成された相州伝は全国的な名声を博し、古刀期から新刀期の井上真改や水心子正秀に至るまで、後世の多くの名工たちに多大な影響を与え続けています。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※刀身に数箇所、鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(長):53.9 cm



















相州伝 · 相模 · 1469-1487頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
廣次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在15点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 脇差 銘 相州住広次(特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 概要 本作は室町時代後期に制作された、相州住広次(そうしゅうじゅうひろつぐ)銘の脇差です。 広次は、南北朝時代から室町時代にかけて相模国(現在の神奈川県)で活躍した名工の銘跡です。相州伝は、名匠・正宗を祖とする日本刀五ヶ伝の中でも屈指の知名度を誇る流派であり、その卓越した鍛錬技術と華やかな作風で知られています。 広次の系譜は南北朝期に始まり、室町、戦国時代へと数代にわたって受け継がれました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の発行した鑑定書によれば、本作は室町時代後期の作とされており、いわゆる「末相州」期の広次による一振りと考えられます。 相州伝の刀剣は今日でも非常に高く評価されていますが、戦国時代の東海地方は激戦地であったため、実戦での破損や紛失により現存する個体は決して多くありません。本作は当時の相州鍛冶の伝統を今に伝える、資料的にも価値の高い優品です。 相州伝について 相州伝は、鎌倉時代中期(13世紀半ば)に相模国で誕生した伝法です。当時、大和伝や山城伝といった伝統的な技法は既に完成の域に達していましたが、関東の地における作刀技術は未だ発展途上にありました。 1185年に成立した鎌倉幕府において、初代将軍・源頼朝は政治的基盤の確立を最優先したため、当初は独自の抱え鍛冶を育成する余裕がなく、武器の調達は山城や大和などの他国に依存していました。 しかし、幕府の安定とともに武士からの需要が爆発的に増加したことを受け、五代執権・北条時頼は、山城国から粟田口国綱、備前国から備前三郎国宗という二人の名工を招聘しました。さらに七代将軍・惟康親王の代には備前福岡一文字助真が招かれました。 これら名工たちの交流と技術の融合が、相州伝の礎を築いたと言われています。その後、新藤五国光がその技を確立し、行光を経て、日本刀史上最も著名な刀工の一人である正宗へと受け継がれました。正宗によって完成された相州伝は全国的な名声を博し、古刀期から新刀期の井上真改や水心子正秀に至るまで、後世の多くの名工たちに多大な影響を与え続けています。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※刀身に数箇所、鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(長):53.9 cm



















相州伝 · 相模 · 1469-1487頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
廣次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在15点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.