相州鎌倉の広次は、指定を受けた四口によって知られ、うち三口は明応年間、十五世紀末の作とされ、一口は室町末期の作と鑑せられる。最も古い拠り所は本間による御物台帳に所載の脇指で、「相州住広次作」と銘し、明応九年の年紀を有する。説明は「広次は相州鎌倉に住した刀工で、銘鑑にはその初代を建武としているが、現存するものでは室町時代中期を遡るものはなく室町時代後期を代表する相州鍛冶といえる」と記す。台帳は、経眼したものでは明応年紀のものが一番古く、天文年紀のものに駿州島田住と銘するものがあり相州同人という、と付け加える。
重要刀剣の刀のうち二口は銘の形を異にする。昭和四十六年指定の一口は、目釘孔の横に細鏨で「広次」と二字銘を切る。鍛えは小板目肌に地沸つき地景入り、刃文は互の目乱れに丁子ごころの刃交じり、下半は焼巾やや狭く、中程より上は焼巾を増し飛焼交じり華やかに乱れ、足・葉入り、砂流しかかり、匂い深い。表に草倶利迦羅、裏に梵字・護摩箸・蓮台を彫る。説明は「地刃の出来が優れ、彫物も見事で、室町時代の相州物の典型である」と評する。
平成二十七年指定のもう一口は六字銘を有し、「その銘振りや作風からおよそ明応年間の作と推されるものである」とされる。反り深く先反りつき、重ね厚い。鍛えは板目に杢・流れ肌交じり、地沸厚くつき、地景入り、淡く映り立つ。刃文は鎬にかかるほど焼高く、互の目に丁子・尖り刃等交じり、金筋・砂流し頻りにかかり、焼頭に沿い打のけかかる。説明は「匂口は締まりごころに明るく冴えるなど、出色の出来映えを示している」と結ぶ。
御物台帳所載の脇指は、板目肌やや立ち白けごころの地鉄に互の目乱れに砂流しかかる刃文、掃きかけた帽子、棒樋に添樋と梵字・蓮台の彫物をみせる。明応の諸作に共通するのは、砂流しを伴う互の目の刃文、相州物らしい彫物、そしてその年代である。
令和三年指定の四口目の刀は、「本作は銘振り・体配よりそれよりもやや降った、室町末期の広次の作と鑑せられるものである」とされ、明応・天文頃の技術の高い広次よりやや降る。身幅広く鋒の延びた豪壮な造込みで、地鉄は板目肌に杢目が交じり総体に肌立ちごころとなり、地沸厚くつき、地景頻りに入る。刃文は総じて焼高く、のたれに互の目・丁子・尖り刃・矢筈形の刃等が交じり、飛焼・棟焼を交えて皆焼となり、匂口明るく沸厚くつき、金筋・砂流し頻りにかかる。説明は「一見南北朝時代の長谷部派を思わせる沸の強い迫力ある皆焼」を焼くとし、この広次の高い技術が窺い知られるとする。