1333年に鎌倉は落ちたが、一派の最大の時代はその後に来た。師の水準で鍛える貞宗、皆焼を大成した広光と秋広。相州風は軍勢とともに広がり、一時は国じゅうの様式となった。
Stock No:WA-080326Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token / [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TosoguCountry(Kuni)/Period(Jidai): Sagami(Kanagawa), Late Nanbokucho period ~ Muromachi period about 1394~Blade length(Cutting edge): 40.9cmCurve(SORI): 0.9cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.78cmThickness at the Moto-Kasane: 0.67cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.30cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: One part, Silver foil HabakiSword tang(Nakago): Katte-Sagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Length of Koshirae : about 60cmShape(Taihai): Hirazukuri, IorimuneJigane(Hada): Itame and Mokume with UtsuriTemper patterns(Hamon): Choji and Gunome with Kinsen, Kinsuji, Sunagashi and TobiyakiTemper patterns in the point(Bohshi): Midarekomi then Togari komaru round tipRegistration Card: Ishikawa 1951【Additional Information】相州正広は、南北朝時代・貞治頃(1362~)の正広を初代として、時代下って室町時代後期まで同銘が続く相模国の刀工です。作風は大乱れのほか、皆焼もあり、華麗な出来口を伝えています。本作は南北朝末期から室町時代初期・応永頃(1394~)の正広と鑑せられます。同時期の鎌倉鍛冶には、後代の広光や秋広をはじめ、広正や助広等がおります。本刀は刃長が一尺三寸五分、身幅尋常、重ねやや薄めで、寸が延びて先反りがつく平造姿の脇差です。地鉄はよく練れた板目肌に杢目交じり、処々流れごころとなり、地沸つき、総体に肌がよく現れて、映りが立ちます。焼刃は互の目に丁子が交じり、刃縁や刃中には、金線や金筋、砂流し等頻りに掛かり、飛焼が入るなどして、働き盛んで覇気に充ちた出来口となります。帽子はそのまま乱れ込み、先尖りごころで小丸に返ります。本作、相州正広に鑑せられた脇差。板目に杢目を交えて地肌よく現れ、映りが立ち、刃文は丁子に互の目交じりで、金筋、砂流し頻りに掛かり、飛焼入るなどして刃中盛んに働くなど、相州物の妙味がよく示された、迫力のある出来栄えとなります。白鞘、銀着一重ハバキ、潤漆変塗鞘脇差拵、特別保存刀剣鑑定書、特別保存刀装具鑑定書。





































相州伝 · 相模
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末相州は、相模国に興った相州伝が、正宗とその後を継いだ広光・秋広らの南北朝の頂点を過ぎた後、室町期に至ってなお同地に伝えられた一群を指す。その手は鎌倉と小田原の二つの面に分かれ、室町中期には広正の名が南北朝期から数代にわたって連綿と切られて系の中核をなし、室町後期には後北条氏の庇護のもとに小田原へ拠点が移る。説明書は、天文年間に活躍した初代綱広を広正の子孫と伝え、初銘を正広といい、北条氏綱に召されて小田原に住し綱の一字を賜って改銘したと記す。以後、綱広・綱家らが小田原八幡山に代々続いて後北条氏に仕え、相州住の五字銘を低く切る在銘・生ぶの作を遺した。鎌倉に残って正宗以来の地に鍛えた正広のごとき手と、小田原に移って北条のもとに鍛えた一群とが併存し、後者を総称して小田原相州と呼ぶ。説明書はこの一派を、相州伝の掉尾を飾る工として位置づける。 作風は、肌立った板目に杢目・流れ肌を交えた相州の地鉄に、皆焼を本領とする点を共通の語法とする。互の目乱れに丁子・矢筈の刃・尖り刃・小のたれを交え、先へ刃幅を増して焼き、飛焼・湯走り・棟焼を地に及ぼして総体に皆焼となる態で、匂口は締まりごころに小沸よくつき、足・葉入り、砂流しを交える。この皆焼は広光・秋広以来の手と伝えられ、説明書は綱広をその系譜に置きつつ、現存作にあって彼らとは形状を異にすると明記して、襲ぐ名手その人とその手とを区別する。彫物もまた一派を貫く見どころで、真および草の倶利迦羅、梵字、三鈷剣、護摩箸、蓮台、八幡大菩薩や南無妙法蓮華経の陰刻文字を表裏に密に施し、樋中・櫃中の浮彫を得意とする。中でも総宗は彫の巧緻において長く名があり、末相州独特の構図の倶利伽羅を据える。古典相州の頂点と分かつのは、沸の深さと鉄の冴えにおける差であって、小田原の手は締まりごころの匂勝ちの匂口に角がかる互の目を複式・腰開きの態に焼き、地は肌立ちながらも締まる傾きを見せ、姿は短寸に先反りつくものが多い。一派のうちでも振れ幅があり、皮焼の手前の互の目交りの小乱れに控える静かな作から、棟焼まで覆う厚い華やかな皆焼に開く作までを含む。 鑑定の勘どころは、この一群を古典相州の名作から分かつところにある。すなわち、沸の冴えにおいて南北朝の頂点に一歩を譲りつつ、肌立つ板目杢に角がかり複式に傾く互の目乱れと、信仰に基づく緻密な彫物とを併せ持つ点を読む。主要工としては、室町中期に系の中核を定めた広正、相州伝の最末に立って皆焼と矢筈の刃を本領とし知名度も技量も高いとされる初代綱広、これと並び称せられて皆焼と彫物に優れた綱家が挙げられ、彫の巧緻によって一派から分かたれる総宗がこれに続く。鎌倉の面に立つ正広は南北朝以来の系を室町に伝え、皆焼風の乱れと彫物を遺す。なお江戸期の清平は加州兼若の系から稲葉家の抱工として小田原に転じた工で、相州在住の点で一派の名に連なるが、その作風は柾がかる加州物を基盤として別系をなす。伝来は概して大名家や寺社の格別な来歴を伴わず、その品位を支えるのは名高い由緒よりも、説明書が一口ごとに称える彫と鉄の質、そして在銘・生ぶに達した室町相州の稀少にある。在銘年紀の作はことに各代を読み分ける基準作となり、末期相州を学ぶ者にとって、相州伝の室町の様相を一口のうちに収める手がかりとなる。 詳しく見る →
南北朝時代の相州
1333年に鎌倉は落ちたが、一派の最大の時代はその後に来た。師の水準で鍛える貞宗、皆焼を大成した広光と秋広。相州風は軍勢とともに広がり、一時は国じゅうの様式となった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
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