日本刀 脇差 銘 廣次(相州住) 日本美術刀剣保存協会 特別貴重刀剣認定書付 【解説】 本作は室町時代(1394-1573年)、相模国(現在の神奈川県)にて打たれた廣次の銘を冠する一振りです。 相州廣次の系譜は、南北朝時代の巨匠・新藤五国光の門人であった初代に始まり、当時相模国で強大な勢力を誇った三浦一族のお抱え鍛冶として栄えました。「廣次」の名は代々受け継がれており、本作はその末流にあたる室町期の作と鑑せられます。 【相州伝について】 相州伝は鎌倉時代中期に発祥しました。当時、大和伝や山城伝は既に高い完成度を誇っていましたが、関東の地における作刀技術は未だ発展途上にありました。 1185年に成立した鎌倉幕府の初期、初代将軍・源頼朝は政治的安定のための体制整備に注力しており、自領内で刀工を育成する余裕がありませんでした。そのため、当初は武具の調達を大和や山城といった他国の刀工に依存していました。 しかし、幕府の基盤が固まるにつれ、御家人たちからの武器需要が爆発的に増加します。これに応えるべく、五代執権・北条時頼は山城国から粟田口国綱、備前国から備前三郎国宗という名工を招聘しました。さらに七代将軍・惟康親王の代には、備前より福岡一文字助真が招かれます。 これら名工たちの交流が相州伝の礎を築きました。その後、粟田口国綱の養子とされる新藤五国光、その弟子である行光を経て、日本刀史上最も著名な名工の一人である正宗が登場します。正宗によって相州伝は完成され、その名は天下に轟きました。正宗が確立した作風は、後世の刀工たちの模範となり、古刀期のみならず、大坂の井上真改や江戸の水心子正秀といった新刀・新々刀期の巨匠たちにも多大な影響を与え続けています。 ※本作の棟(むね)には数箇所の鍛え傷が見受けられます。詳細な状態につきましては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):36.5 cm 反り(Sori):0.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐためにあえて「黒錆」を残します。この茎の朽ち色(経年変化)は、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 鎺(Habaki):刀身が鞘の内部に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けから守る金具。 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(日美刀保) 特別貴重刀剣認定書(第305222号) 日本美術刀剣保存協会は、現代日本において最も権威ある鑑定機関の一つです。本作は昭和50年(1975年)3月1日付で「特別貴重刀剣」として認定されています。


















相州伝 · 相模 · 1469-1487頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
廣次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在15点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 脇差 銘 廣次(相州住) 日本美術刀剣保存協会 特別貴重刀剣認定書付 【解説】 本作は室町時代(1394-1573年)、相模国(現在の神奈川県)にて打たれた廣次の銘を冠する一振りです。 相州廣次の系譜は、南北朝時代の巨匠・新藤五国光の門人であった初代に始まり、当時相模国で強大な勢力を誇った三浦一族のお抱え鍛冶として栄えました。「廣次」の名は代々受け継がれており、本作はその末流にあたる室町期の作と鑑せられます。 【相州伝について】 相州伝は鎌倉時代中期に発祥しました。当時、大和伝や山城伝は既に高い完成度を誇っていましたが、関東の地における作刀技術は未だ発展途上にありました。 1185年に成立した鎌倉幕府の初期、初代将軍・源頼朝は政治的安定のための体制整備に注力しており、自領内で刀工を育成する余裕がありませんでした。そのため、当初は武具の調達を大和や山城といった他国の刀工に依存していました。 しかし、幕府の基盤が固まるにつれ、御家人たちからの武器需要が爆発的に増加します。これに応えるべく、五代執権・北条時頼は山城国から粟田口国綱、備前国から備前三郎国宗という名工を招聘しました。さらに七代将軍・惟康親王の代には、備前より福岡一文字助真が招かれます。 これら名工たちの交流が相州伝の礎を築きました。その後、粟田口国綱の養子とされる新藤五国光、その弟子である行光を経て、日本刀史上最も著名な名工の一人である正宗が登場します。正宗によって相州伝は完成され、その名は天下に轟きました。正宗が確立した作風は、後世の刀工たちの模範となり、古刀期のみならず、大坂の井上真改や江戸の水心子正秀といった新刀・新々刀期の巨匠たちにも多大な影響を与え続けています。 ※本作の棟(むね)には数箇所の鍛え傷が見受けられます。詳細な状態につきましては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):36.5 cm 反り(Sori):0.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐためにあえて「黒錆」を残します。この茎の朽ち色(経年変化)は、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 鎺(Habaki):刀身が鞘の内部に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けから守る金具。 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(日美刀保) 特別貴重刀剣認定書(第305222号) 日本美術刀剣保存協会は、現代日本において最も権威ある鑑定機関の一つです。本作は昭和50年(1975年)3月1日付で「特別貴重刀剣」として認定されています。


















相州伝 · 相模 · 1469-1487頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
廣次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在15点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.