刃渡り(長さ) 47.7センチ 反り 0.8センチ 元鎬厚 5.2ミリ 元重ね4.3ミリ 先鎬厚 4.5ミリ 先重ね3.7ミリ 元幅 26.3ミリ 先幅 20.1ミリ 刀身重量335g 目釘穴 3個 鑢目 不明 鍛え 板目流れ杢交り柾がかる 刃文 小乱れ尖り刃入る 匂出来か沸出来か表現難 匂本位とも言えず完全なる沸出来とも言えないなんとも言い難し奥深しい妙味あり。 匂、思わせる刃に小沸、葉、足、金線、金筋、稲妻、砂流し入り、地にゆくにつれ、はっきりと沸が現れ、地沸つき、映り立つ。 地には所々に沸が湯走りとなり現れ、刃は元から先へゆくにつれ激しくなり、中ほどから先にかけては玉、飛び焼き、湯走りが芸となり入り交り二重刃をつくる。 物打ち所には杢目のような地景と島刃が現れる。 帽子 火焔帽子 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 無銘(底銘らしきもの有) 鑑定 広正(保存刀剣合格) 広正の評価額 600~650万円 拵付(切羽無し、合わせツナギ) 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 2/3 3/3 相州広正について 上作刀工 広正は、正宗が完成させた相州伝の業を受け継いだ刀工である。正宗の子と言われる広光の一族と言われる。初代は南北朝時代の延文(1356~1361年)頃と記載されているが現存刀は少なく、現在観られるもののは、文安・宝徳年間(1444~1452年)の作例がほとんどと言われている。広正の代は、1504年(文亀4年・永正元年)頃まで受け継がれる。 1469年頃に、相模国から上野国(現在の群馬県)に移住。領主小幡氏のもとで鍛刀を行う。 山村家文書によると綱広はこの広正の子孫 となり、正宗→広光→広正→綱広という流れで相州伝が伝わる。
無銘 · Soshu · 室町 · 長さ 47.7cm · 反り 0.8cm




相州伝 · 相模
現在18点販売中
末相州は、相模国に興った相州伝が、正宗とその後を継いだ広光・秋広らの南北朝の頂点を過ぎた後、室町期に至ってなお同地に伝えられた一群を指す。その手は鎌倉と小田原の二つの面に分かれ、室町中期には広正の名が南北朝期から数代にわたって連綿と切られて系の中核をなし、室町後期には後北条氏の庇護のもとに小田原へ拠点が移る。説明書は、天文年間に活躍した初代綱広を広正の子孫と伝え、初銘を正広といい、北条氏綱に召されて小田原に住し綱の一字を賜って改銘したと記す。以後、綱広・綱家らが小田原八幡山に代々続いて後北条氏に仕え、相州住の五字銘を低く切る在銘・生ぶの作を遺した。鎌倉に残って正宗以来の地に鍛えた正広のごとき手と、小田原に移って北条のもとに鍛えた一群とが併存し、後者を総称して小田原相州と呼ぶ。説明書はこの一派を、相州伝の掉尾を飾る工として位置づける。 作風は、肌立った板目に杢目・流れ肌を交えた相州の地鉄に、皆焼を本領とする点を共通の語法とする。互の目乱れに丁子・矢筈の刃・尖り刃・小のたれを交え、先へ刃幅を増して焼き、飛焼・湯走り・棟焼を地に及ぼして総体に皆焼となる態で、匂口は締まりごころに小沸よくつき、足・葉入り、砂流しを交える。この皆焼は広光・秋広以来の手と伝えられ、説明書は綱広をその系譜に置きつつ、現存作にあって彼らとは形状を異にすると明記して、襲ぐ名手その人とその手とを区別する。彫物もまた一派を貫く見どころで、真および草の倶利迦羅、梵字、三鈷剣、護摩箸、蓮台、八幡大菩薩や南無妙法蓮華経の陰刻文字を表裏に密に施し、樋中・櫃中の浮彫を得意とする。中でも総宗は彫の巧緻において長く名があり、末相州独特の構図の倶利伽羅を据える。古典相州の頂点と分かつのは、沸の深さと鉄の冴えにおける差であって、小田原の手は締まりごころの匂勝ちの匂口に角がかる互の目を複式・腰開きの態に焼き、地は肌立ちながらも締まる傾きを見せ、姿は短寸に先反りつくものが多い。一派のうちでも振れ幅があり、皮焼の手前の互の目交りの小乱れに控える静かな作から、棟焼まで覆う厚い華やかな皆焼に開く作までを含む。 鑑定の勘どころは、この一群を古典相州の名作から分かつところにある。すなわち、沸の冴えにおいて南北朝の頂点に一歩を譲りつつ、肌立つ板目杢に角がかり複式に傾く互の目乱れと、信仰に基づく緻密な彫物とを併せ持つ点を読む。主要工としては、室町中期に系の中核を定めた広正、相州伝の最末に立って皆焼と矢筈の刃を本領とし知名度も技量も高いとされる初代綱広、これと並び称せられて皆焼と彫物に優れた綱家が挙げられ、彫の巧緻によって一派から分かたれる総宗がこれに続く。鎌倉の面に立つ正広は南北朝以来の系を室町に伝え、皆焼風の乱れと彫物を遺す。なお江戸期の清平は加州兼若の系から稲葉家の抱工として小田原に転じた工で、相州在住の点で一派の名に連なるが、その作風は柾がかる加州物を基盤として別系をなす。伝来は概して大名家や寺社の格別な来歴を伴わず、その品位を支えるのは名高い由緒よりも、説明書が一口ごとに称える彫と鉄の質、そして在銘・生ぶに達した室町相州の稀少にある。在銘年紀の作はことに各代を読み分ける基準作となり、末期相州を学ぶ者にとって、相州伝の室町の様相を一口のうちに収める手がかりとなる。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刃渡り(長さ) 47.7センチ 反り 0.8センチ 元鎬厚 5.2ミリ 元重ね4.3ミリ 先鎬厚 4.5ミリ 先重ね3.7ミリ 元幅 26.3ミリ 先幅 20.1ミリ 刀身重量335g 目釘穴 3個 鑢目 不明 鍛え 板目流れ杢交り柾がかる 刃文 小乱れ尖り刃入る 匂出来か沸出来か表現難 匂本位とも言えず完全なる沸出来とも言えないなんとも言い難し奥深しい妙味あり。 匂、思わせる刃に小沸、葉、足、金線、金筋、稲妻、砂流し入り、地にゆくにつれ、はっきりと沸が現れ、地沸つき、映り立つ。 地には所々に沸が湯走りとなり現れ、刃は元から先へゆくにつれ激しくなり、中ほどから先にかけては玉、飛び焼き、湯走りが芸となり入り交り二重刃をつくる。 物打ち所には杢目のような地景と島刃が現れる。 帽子 火焔帽子 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 無銘(底銘らしきもの有) 鑑定 広正(保存刀剣合格) 広正の評価額 600~650万円 拵付(切羽無し、合わせツナギ) 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 2/3 3/3 相州広正について 上作刀工 広正は、正宗が完成させた相州伝の業を受け継いだ刀工である。正宗の子と言われる広光の一族と言われる。初代は南北朝時代の延文(1356~1361年)頃と記載されているが現存刀は少なく、現在観られるもののは、文安・宝徳年間(1444~1452年)の作例がほとんどと言われている。広正の代は、1504年(文亀4年・永正元年)頃まで受け継がれる。 1469年頃に、相模国から上野国(現在の群馬県)に移住。領主小幡氏のもとで鍛刀を行う。 山村家文書によると綱広はこの広正の子孫 となり、正宗→広光→広正→綱広という流れで相州伝が伝わる。
無銘 · Soshu · 室町 · 長さ 47.7cm · 反り 0.8cm




相州伝 · 相模
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末相州は、相模国に興った相州伝が、正宗とその後を継いだ広光・秋広らの南北朝の頂点を過ぎた後、室町期に至ってなお同地に伝えられた一群を指す。その手は鎌倉と小田原の二つの面に分かれ、室町中期には広正の名が南北朝期から数代にわたって連綿と切られて系の中核をなし、室町後期には後北条氏の庇護のもとに小田原へ拠点が移る。説明書は、天文年間に活躍した初代綱広を広正の子孫と伝え、初銘を正広といい、北条氏綱に召されて小田原に住し綱の一字を賜って改銘したと記す。以後、綱広・綱家らが小田原八幡山に代々続いて後北条氏に仕え、相州住の五字銘を低く切る在銘・生ぶの作を遺した。鎌倉に残って正宗以来の地に鍛えた正広のごとき手と、小田原に移って北条のもとに鍛えた一群とが併存し、後者を総称して小田原相州と呼ぶ。説明書はこの一派を、相州伝の掉尾を飾る工として位置づける。 作風は、肌立った板目に杢目・流れ肌を交えた相州の地鉄に、皆焼を本領とする点を共通の語法とする。互の目乱れに丁子・矢筈の刃・尖り刃・小のたれを交え、先へ刃幅を増して焼き、飛焼・湯走り・棟焼を地に及ぼして総体に皆焼となる態で、匂口は締まりごころに小沸よくつき、足・葉入り、砂流しを交える。この皆焼は広光・秋広以来の手と伝えられ、説明書は綱広をその系譜に置きつつ、現存作にあって彼らとは形状を異にすると明記して、襲ぐ名手その人とその手とを区別する。彫物もまた一派を貫く見どころで、真および草の倶利迦羅、梵字、三鈷剣、護摩箸、蓮台、八幡大菩薩や南無妙法蓮華経の陰刻文字を表裏に密に施し、樋中・櫃中の浮彫を得意とする。中でも総宗は彫の巧緻において長く名があり、末相州独特の構図の倶利伽羅を据える。古典相州の頂点と分かつのは、沸の深さと鉄の冴えにおける差であって、小田原の手は締まりごころの匂勝ちの匂口に角がかる互の目を複式・腰開きの態に焼き、地は肌立ちながらも締まる傾きを見せ、姿は短寸に先反りつくものが多い。一派のうちでも振れ幅があり、皮焼の手前の互の目交りの小乱れに控える静かな作から、棟焼まで覆う厚い華やかな皆焼に開く作までを含む。 鑑定の勘どころは、この一群を古典相州の名作から分かつところにある。すなわち、沸の冴えにおいて南北朝の頂点に一歩を譲りつつ、肌立つ板目杢に角がかり複式に傾く互の目乱れと、信仰に基づく緻密な彫物とを併せ持つ点を読む。主要工としては、室町中期に系の中核を定めた広正、相州伝の最末に立って皆焼と矢筈の刃を本領とし知名度も技量も高いとされる初代綱広、これと並び称せられて皆焼と彫物に優れた綱家が挙げられ、彫の巧緻によって一派から分かたれる総宗がこれに続く。鎌倉の面に立つ正広は南北朝以来の系を室町に伝え、皆焼風の乱れと彫物を遺す。なお江戸期の清平は加州兼若の系から稲葉家の抱工として小田原に転じた工で、相州在住の点で一派の名に連なるが、その作風は柾がかる加州物を基盤として別系をなす。伝来は概して大名家や寺社の格別な来歴を伴わず、その品位を支えるのは名高い由緒よりも、説明書が一口ごとに称える彫と鉄の質、そして在銘・生ぶに達した室町相州の稀少にある。在銘年紀の作はことに各代を読み分ける基準作となり、末期相州を学ぶ者にとって、相州伝の室町の様相を一口のうちに収める手がかりとなる。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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