Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 守次は備中国青江派の刀工。初代守次は平安時代後期に青江派を創始したと伝える刀工で、以来その名跡は脈々と引き継がれたと推考される。本作は南北朝延文に活躍した工の作。板目肌顕著に表れて、凛とした美しさが魅力的な作品。


Aoe (Bitchu) · 備中 · 1356-1361頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位10%
守次は備中青江の刀工で、その名は青江派の祖と伝える安次に由来するとされ、古青江の頃から南北朝にかけて数代の手が継いだ。説明書はこの名に慎重で、「銘鑑」は古青江の中にも複数の同名工を挙げ、その名跡が以後も継承されたと記す。ゆえに現存作は、鎌倉末期と鑑せられる作から、南北朝中期の文和・延文の年紀を有する作にまで及ぶ。記録は初期の力強い太刀と末期の年紀ある短刀の二面に分かれ、後者のうち延文の一口について説明書は、これが名跡最後の守次の作であると明言し、「本作はその最後をかざる守次の作である」[[c:1]]とする。
両面を貫くのは、おだやかで明るい直刃である。末期の短刀では刃文が匂主調に冴え、匂口締りごころとなって小沸つき、文和年紀の一口を説明書は南北朝青江の直刃出来の一典型とする。初期の太刀でも同じ線は直刃を基調に小互の目・小丁子を交え、小足入り、金筋細かに入って匂口明るい。鑑定者が何より取り上げるのもこの質で、匂口のしまった明るい直刃を焼いて塩相の深い様を成すさまを「塩相の深い様は見事であり」[[c:2]]と評し、そこから「守次の技術の高さが窺い知られる」[[c:3]]とする。
地鉄は青江の鉄を二つの強さで見せる。初期の二字在銘の太刀では小板目に小杢を交え、肌目細かに立ちごころとなり、地沸が微塵につき、地景細かに入り、区際よりやや淡く乱れ映りが立つ、記録中最も精緻な地である。年紀ある短刀ではやや肌立ち、時に流れごころの板目に地斑・地斑状を交え、その上に映りが鮮明に立つ。帽子はいずれも直ぐ調に小丸へ返り、時に掃きかけ、太刀には表裏に棒樋を掻き通す。
年紀ある作のうちに、説明書はこの期の核心を説く。この代の青江は沸めだたずほとんど匂出来となり、そこには「伝統的な直刃出来と以前には見られなかった華やかな逆丁子の刃文の二様がある」[[c:4]]とする。守次自身の作はその第一、伝統的な直刃に属し、第二の逆がかった線は、重要美術品の短刀の逆がかった互の目に触れるにとどまる。そこでは刃文が匂出来の濡れに逆がかった互の目を交え、足が入る。姿も時代を映し、初期の太刀は身幅広く力強く、腰反り高く重ね厚く踏張りのある建武頃の体配となり、短刀は平造で寸延びごころ、あるいは僅かに内反りごころとなる。稀な菖蒲造の一口を、説明書は守次に限らずこの派の作に珍しいと記す。短刀の数口は櫃内に三鈷剣、あるいは護摩箸の彫を伴う。
一派の中に本工を据えるのは、まさに極めの言うところである。末期の青江が新たに生んだ華やかな逆丁子に対し、守次は一派の古い線、すなわち小板目の地に立つ明るい乱れ映りと締まって冴えた直刃を守る。力強い初期の太刀は直刃と映りの古典的な青江の作風に属し、年紀ある短刀は長く続いた守次の名跡を閉じる。本工の一口は同派の常の出来に極めて近く、その極めは個性以上に時代と一派に拠るとされる。最も確かな外的な拠り所は資料的なもので、説明書は最上の太刀の銘振りが上杉家伝来の太刀、重要文化財「号輪宝太刀」の手と全く同一であるとし、ただ棒樋を茎まで掻き通したために銘が棟寄りではなく平地に切られた点のみが異なるとする。
収集の観点では、稀でしずかな名である。藤代の極めは上作、刀剣の評価も中の上に位置する。国宝はない。その記録は重要文化財の級、うち三口を数え、特別重要刀剣の太刀一口に重要刀剣四口、さらに戦前の重要美術品の短刀一口を通じて、指定を受けた作は九口が記録に遺る。最も名高い一口、上杉謙信とその家に伝わった輪宝太刀は東京国立博物館に蔵され、所有というより遺産である。重要美術品の短刀は山形の鈴木家にあって認定を受けた。残る特別重要刀剣・重要刀剣の太刀が、私蔵と所在の知られる手に遺る作であり、それさえ世に出ることは稀である。この期の守次が現存稀なためで、在銘の青江守次が収集家のもとに現れることは稀な出来事であり、青江派がその古い直刃を一派の末まで伝えた証である。
守次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備中
時期区分: 中青江· 1235–1334
現在6点販売中
中青江 備中国青江派は、高梁川下流域の子位・万寿の地を中心に栄えた一派であり、その淵源は古く、十一世紀初頭の往来物『新猿楽記』が諸国の名産物の中に「備中ノ刀」を挙げるところに遡る。これより二世紀の後、その高い評価を受け継ぐ青江派の刀工が登場し、同地に繁栄した。同派は時代的に大別され、鎌倉時代中期頃までのものを古青江、それ以降南北朝時代にかけてのものを青江と汎称する。中青江は、この後者のうち鎌倉時代後期より南北朝時代に至る一作風期を指し、青江派の最も充実した盛期に当たる。代表工としては、逆丁子の名手として定評ある次直、これと並んで直刃に長じた次吉、鎌倉時代末期より南北朝初期にかけての同派を代表する直次らが挙げられ、ほかに守次・吉次・秀次・貞次・大隅権介貞次など、多くの良工が輩出した。なお同派には太刀銘と刀銘の両方が見られ、書下し銘の手法もままみるところである。 作風を見ると、まず鍛えは小板目肌に板目・小杢目を交えてつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。処々に地斑状の肌合を交え、肌立ちごころに縮緬肌状を呈するものもあり、これらは同派の大きな見どころである。映りは同派を特徴づける要素であり、乱れ映りが鮮明に立つほか、棟寄りの乱れ映りと刃寄りの筋状の映りとが相俟って、いわゆる段映りを形成するものが看て取れる。刃文は中直刃ないし広直刃を基調とし、小互の目・小丁子・角ばる刃などを交え、処々逆がかって逆足を交えるのが通例である。匂口は締まりごころに小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかり、明るく冴える。この締まって明るく冴えた匂口こそ青江物随一の美点であり、塩相の深い様は見事である。帽子は直ぐ調に浅くのたれ、先尖りごころの小丸に返るものが多い。古青江が小沸出来で匂口のやや沈んだ直刃仕立てに小乱れを交えたのに対し、中青江は沸づきが穏やかとなり、匂出来で匂口の冴え冴えとした刃文に転じた点に画期がある。さらに南北朝時代最盛期の延文頃に至っては、華やかな逆丁子乱れが完成され、これは当時にあって青江一派の独壇場というべき個性的作域となった。鎌倉時代末期の作に窺える逆がかる態や下半の賑やかな乱れは、この後の華麗な逆丁子乱れの先駆を想起させるものである。 評価の面では、中青江は日本刀の中でも第一級の声価を得ている。古来、本阿弥家では無銘の青江物で典型的かつ出来のよいものに貞次の極めをあてる傾向があり、貞次の名は『新刊秘伝抄』に「備中物極上十五貫」と最高の代付をされるなど、同派の最高位の標識とされた。直次・次直・次吉らの在銘年紀作は元徳・延慶より貞和・観応・正平・文和・延文に及び、同工・同派を研究する上で資料的価値が頗る高い。伝来も長州毛利家・肥前小城鍋島家・大垣藩主戸田家・日州延岡藩主内藤家など名家に及び、世々珍重されてきたことが知られる。直刃の静謐な締まりと逆丁子乱れの華麗とを兼ね備え、つんだ鍛え・明るく冴えた匂口・特色ある段映りを以て、備中の伝統を最も洗練した姿で示すのが、この中青江の作風期である。
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Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 守次は備中国青江派の刀工。初代守次は平安時代後期に青江派を創始したと伝える刀工で、以来その名跡は脈々と引き継がれたと推考される。本作は南北朝延文に活躍した工の作。板目肌顕著に表れて、凛とした美しさが魅力的な作品。


Aoe (Bitchu) · 備中 · 1356-1361頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位10%
守次は備中青江の刀工で、その名は青江派の祖と伝える安次に由来するとされ、古青江の頃から南北朝にかけて数代の手が継いだ。説明書はこの名に慎重で、「銘鑑」は古青江の中にも複数の同名工を挙げ、その名跡が以後も継承されたと記す。ゆえに現存作は、鎌倉末期と鑑せられる作から、南北朝中期の文和・延文の年紀を有する作にまで及ぶ。記録は初期の力強い太刀と末期の年紀ある短刀の二面に分かれ、後者のうち延文の一口について説明書は、これが名跡最後の守次の作であると明言し、「本作はその最後をかざる守次の作である」[[c:1]]とする。
両面を貫くのは、おだやかで明るい直刃である。末期の短刀では刃文が匂主調に冴え、匂口締りごころとなって小沸つき、文和年紀の一口を説明書は南北朝青江の直刃出来の一典型とする。初期の太刀でも同じ線は直刃を基調に小互の目・小丁子を交え、小足入り、金筋細かに入って匂口明るい。鑑定者が何より取り上げるのもこの質で、匂口のしまった明るい直刃を焼いて塩相の深い様を成すさまを「塩相の深い様は見事であり」[[c:2]]と評し、そこから「守次の技術の高さが窺い知られる」[[c:3]]とする。
地鉄は青江の鉄を二つの強さで見せる。初期の二字在銘の太刀では小板目に小杢を交え、肌目細かに立ちごころとなり、地沸が微塵につき、地景細かに入り、区際よりやや淡く乱れ映りが立つ、記録中最も精緻な地である。年紀ある短刀ではやや肌立ち、時に流れごころの板目に地斑・地斑状を交え、その上に映りが鮮明に立つ。帽子はいずれも直ぐ調に小丸へ返り、時に掃きかけ、太刀には表裏に棒樋を掻き通す。
年紀ある作のうちに、説明書はこの期の核心を説く。この代の青江は沸めだたずほとんど匂出来となり、そこには「伝統的な直刃出来と以前には見られなかった華やかな逆丁子の刃文の二様がある」[[c:4]]とする。守次自身の作はその第一、伝統的な直刃に属し、第二の逆がかった線は、重要美術品の短刀の逆がかった互の目に触れるにとどまる。そこでは刃文が匂出来の濡れに逆がかった互の目を交え、足が入る。姿も時代を映し、初期の太刀は身幅広く力強く、腰反り高く重ね厚く踏張りのある建武頃の体配となり、短刀は平造で寸延びごころ、あるいは僅かに内反りごころとなる。稀な菖蒲造の一口を、説明書は守次に限らずこの派の作に珍しいと記す。短刀の数口は櫃内に三鈷剣、あるいは護摩箸の彫を伴う。
一派の中に本工を据えるのは、まさに極めの言うところである。末期の青江が新たに生んだ華やかな逆丁子に対し、守次は一派の古い線、すなわち小板目の地に立つ明るい乱れ映りと締まって冴えた直刃を守る。力強い初期の太刀は直刃と映りの古典的な青江の作風に属し、年紀ある短刀は長く続いた守次の名跡を閉じる。本工の一口は同派の常の出来に極めて近く、その極めは個性以上に時代と一派に拠るとされる。最も確かな外的な拠り所は資料的なもので、説明書は最上の太刀の銘振りが上杉家伝来の太刀、重要文化財「号輪宝太刀」の手と全く同一であるとし、ただ棒樋を茎まで掻き通したために銘が棟寄りではなく平地に切られた点のみが異なるとする。
収集の観点では、稀でしずかな名である。藤代の極めは上作、刀剣の評価も中の上に位置する。国宝はない。その記録は重要文化財の級、うち三口を数え、特別重要刀剣の太刀一口に重要刀剣四口、さらに戦前の重要美術品の短刀一口を通じて、指定を受けた作は九口が記録に遺る。最も名高い一口、上杉謙信とその家に伝わった輪宝太刀は東京国立博物館に蔵され、所有というより遺産である。重要美術品の短刀は山形の鈴木家にあって認定を受けた。残る特別重要刀剣・重要刀剣の太刀が、私蔵と所在の知られる手に遺る作であり、それさえ世に出ることは稀である。この期の守次が現存稀なためで、在銘の青江守次が収集家のもとに現れることは稀な出来事であり、青江派がその古い直刃を一派の末まで伝えた証である。
守次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備中
時期区分: 中青江· 1235–1334
現在6点販売中
中青江 備中国青江派は、高梁川下流域の子位・万寿の地を中心に栄えた一派であり、その淵源は古く、十一世紀初頭の往来物『新猿楽記』が諸国の名産物の中に「備中ノ刀」を挙げるところに遡る。これより二世紀の後、その高い評価を受け継ぐ青江派の刀工が登場し、同地に繁栄した。同派は時代的に大別され、鎌倉時代中期頃までのものを古青江、それ以降南北朝時代にかけてのものを青江と汎称する。中青江は、この後者のうち鎌倉時代後期より南北朝時代に至る一作風期を指し、青江派の最も充実した盛期に当たる。代表工としては、逆丁子の名手として定評ある次直、これと並んで直刃に長じた次吉、鎌倉時代末期より南北朝初期にかけての同派を代表する直次らが挙げられ、ほかに守次・吉次・秀次・貞次・大隅権介貞次など、多くの良工が輩出した。なお同派には太刀銘と刀銘の両方が見られ、書下し銘の手法もままみるところである。 作風を見ると、まず鍛えは小板目肌に板目・小杢目を交えてつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。処々に地斑状の肌合を交え、肌立ちごころに縮緬肌状を呈するものもあり、これらは同派の大きな見どころである。映りは同派を特徴づける要素であり、乱れ映りが鮮明に立つほか、棟寄りの乱れ映りと刃寄りの筋状の映りとが相俟って、いわゆる段映りを形成するものが看て取れる。刃文は中直刃ないし広直刃を基調とし、小互の目・小丁子・角ばる刃などを交え、処々逆がかって逆足を交えるのが通例である。匂口は締まりごころに小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかり、明るく冴える。この締まって明るく冴えた匂口こそ青江物随一の美点であり、塩相の深い様は見事である。帽子は直ぐ調に浅くのたれ、先尖りごころの小丸に返るものが多い。古青江が小沸出来で匂口のやや沈んだ直刃仕立てに小乱れを交えたのに対し、中青江は沸づきが穏やかとなり、匂出来で匂口の冴え冴えとした刃文に転じた点に画期がある。さらに南北朝時代最盛期の延文頃に至っては、華やかな逆丁子乱れが完成され、これは当時にあって青江一派の独壇場というべき個性的作域となった。鎌倉時代末期の作に窺える逆がかる態や下半の賑やかな乱れは、この後の華麗な逆丁子乱れの先駆を想起させるものである。 評価の面では、中青江は日本刀の中でも第一級の声価を得ている。古来、本阿弥家では無銘の青江物で典型的かつ出来のよいものに貞次の極めをあてる傾向があり、貞次の名は『新刊秘伝抄』に「備中物極上十五貫」と最高の代付をされるなど、同派の最高位の標識とされた。直次・次直・次吉らの在銘年紀作は元徳・延慶より貞和・観応・正平・文和・延文に及び、同工・同派を研究する上で資料的価値が頗る高い。伝来も長州毛利家・肥前小城鍋島家・大垣藩主戸田家・日州延岡藩主内藤家など名家に及び、世々珍重されてきたことが知られる。直刃の静謐な締まりと逆丁子乱れの華麗とを兼ね備え、つんだ鍛え・明るく冴えた匂口・特色ある段映りを以て、備中の伝統を最も洗練した姿で示すのが、この中青江の作風期である。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。