説明

鎌倉末期以降の年代の作と鑑せられる青江の薙刀直しの脇指である。薙刀は文献には古くより登場するものの、現存する作例が認められるものは、ほぼ鎌倉時代中期頃からであり、それらの一部が後世、刀や脇指に直されている。青江派でも鎌倉時代末期以降に遺例がまま見られ、在銘のものでは次吉・次直等が知られている。 この薙刀直しの脇指は、元来先のあまり張らない古様な形の薙刀であったものと思われる。地鉄は、板目、部分的に大板目となり、杢目をよく交え、総じて肌立ちごこととなり、地沸つき、地景太くよく入り、鉄色が黒みがかり、映り立ち、部分的には黒い澄肌もみせている。中直刃調浅くのたれごころをおび、小足少しく入り、匂口締まって小沸つき、細かな砂流しかかり、明るく冴え、帽子は、直ぐ調にのたれ込み小丸に返り、先掃きかけるといった青江派の特色が顕著に示されている。地鉄に青江派の特色がよくあらわされ、匂口が一段と締まって明るく冴えた優品である。

No.A00659 薙刀直し脇指 青江
Tokuho

No.A00659 薙刀直し脇指 青江

脇差

¥650,000

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仕様

長さ

45.6 cm

反り

0.8 cm

元幅

2.85 cm

流派について

Aoe School青江派

2 重要文化財15 重要美術品2 御物24 特別重要刀剣210 重要刀剣

青江派は備中国に興った刀工集団で、承安頃の安次を祖と伝え、高梁川下流域の子位荘・万寿荘を拠点に平安時代末期から南北朝時代後期に至るまで大いに繁栄した。十一世紀初頭の往来物『新猿楽記』が諸国の名産物として「備中ノ刀」を挙げていることは夙に知られ、その高い評価を受け継ぐ刀工群として歴史に名を刻む。鎌倉時代中期頃までのものを特に古青江と称し、それ以降南北朝期にかけてのものを青江と汎称して大別される。南北朝期には次直・次吉・守次・直次等の良工が輩出し、一派の技量は頂点に達した。 作風は時代によって明確な変遷を示す。古青江は小沸出来で匂口のやや沈んだ直刃仕立てに小乱れを交えたものが多く、鍛えには杢目が目立ってやや肌立ち、いわゆる縮緬肌状の肌合となり、地斑の交じるものが多い。同時代の備前物に比すると幾分地味で渋い味わいを醸す点に独自の風趣がある。鎌倉時代後期になると沸づきが穏やかとなり、さらに南北朝期に至ると匂口が締まり、明るく冴えた直刃、或いは延文頃に完成された特色ある逆丁子乱れの二様を見せるようになる。この期の他国の刀工が相州伝の影響を受けて沸出来をあらわしているのに対し、匂出来である点が興味深い。地鉄は小板目に小杢目を交えてよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、地斑状の肌合や乱れ映りが立ち、刃寄りには二重三重の筋状の映りを形成していわゆる段映りの態を見せるなど、鍛えに独特の景色を呈する。刃文は直刃を基調に小互の目・小丁子・角がかった刃などが交じり、足・逆足・葉がよく入り、匂口が締まって明るく冴え、帽子は突き上げて尖りごころとなり、やや長く返るものが多い。 青江派は地刃共に明るく冴え渡る精美な出来口をもって知られ、指定品には「同派極めの中でも出色の出来映え」「青江極めの白眉」と称される逸品が少なくない。縮緬肌に地斑と映りが交錯する鍛えの妙味、匂口の締まった冴えやかな直刃、そして逆がかった刃に飛焼が火焔の如く乱れる華やかな作域に至るまで、備中鍛冶の伝統を脈々と受け継ぐ一派の技と風格が遺憾なく示されている。

刀剣商

つるぎの屋

tsuruginoya.com

¥650,000

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