鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
備中国青江派は、平安末期承安頃の安次を祖として始まると伝え、以後南北朝時代に至るまで、多くの名工を輩出した。その作風は、いわゆる縮緬状の肌合となり、地班の交じるものが多く、刃文は直刃調の穏やかなものや小乱れを交えるもの、逆丁子華やかなものなどがありる。この刀は、身幅広く、先反りつき、中鋒延びる南北朝時代の姿で、杢目肌よく交じる板目肌がつみ、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、乱れ映り立つ美しい地鉄に、直刃調に、小乱れ小互の目交じり、逆掛かった足を交え、湯走り掛り、小沸よく付き、匂口明るい、頗る健全な名刀である。本田忠勝佩刀と伝え、重美の認定は細川家16代当主細川譲立の名義となる。







































備前伝 · 備中
現在8点販売中
中青江派の起源 中青江派は、備中国高梁川下流域を中心に栄えた青江派の、鎌倉時代末期から南北朝時代に至る中興・最盛の一群を指す。備中の刀剣は古く平安時代末期より名を知られ、青江物は鎌倉時代中期頃までを古青江、それ以降南北朝期にかけてを青江と汎称して大別する。中青江は、まさにこの古青江を承けて鎌倉末期に展開し、さらに末青江へと連なる中間の段階を体現する。名跡としては貞次が最も尊ばれ、『観智院本銘尽』以来、初代貞次は後鳥羽院番鍛冶の一人に選ばれた名工と伝えられ、『新刊秘伝抄』に「備中物極上十五貫」[[c:1]]と最高の代付をされている。鎌倉末期から南北朝初期にかけては吉次・直次・恒次・秀次・助次らが、南北朝中期には次直・次吉・守次らが、それぞれ同派を代表する刀工として知られる。 作風 中青江の作は、その地刃に著しい共通の標識を備える。鍛えは小板目肌がよくつみ、杢目や流れ肌を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。澄肌状の地斑を交え、青江本来の縮緬肌を示すものや、小板目のつんだ肌に独特の地斑が交じる、いわゆる鯰肌を呈するものもある。映りは同派の最大の見どころであり、淡い乱れ映りから、刃寄りに筋状、鎬寄りに乱れ状となる段映りまで多様に立つ。刃文は概して直刃を基調とし、細直刃・中直刃に浅くのたれごころをおび、小互の目・小丁子・尖り刃を交え、足・葉が頻りに入り、処々逆足・逆がかる態を見せる。匂口は締まりごころに小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかり、明るく冴える。この締まって冴える匂口こそ同派を貫く第一の特色である。帽子は直ぐに小丸、尖りごころに返るものが多い。鎌倉末期の太刀は身幅広めに重ね厚く腰反りつく雄渾な体配を示し、南北朝期に至ると幅広・大鋒の豪壮な姿、薙刀直しが加わる。作風には今一様、華やかな逆丁子乱れがあり、これは延文頃に完成された南北朝最盛期の作域である。次直はこの逆丁子の名手として「この一派の独壇場」[[c:2]]と称される個性的な作を遺し、鎌倉期の作に見える逆がかる態は、後年のこの華やかな展開の先駆と解される。 評価・伝承 中青江派は、刀剣史上一貫して高い声価を保ってきた。本阿弥家では、無銘の青江物で典型的かつ出来の良いものに貞次の極めをあてる慣わしがあり、名物「大青江」「小青江」がその代表で、貞次は単なる工名を超えて青江の優品への賛辞ともなった。在銘・年紀作も貴重で、直次や吉次の左兵衛尉・右衛門尉等の官途銘、元徳・建武・嘉暦・延慶等の年紀銘は、備中刀工研究の得難い基準資料である。直次は鎌倉期の小沸出来から南北朝期の締まって明るい匂出来への推移の要に位置し、守次の遺作は鎌倉末期と南北朝初期を架橋し、直刃と逆丁子の二様を併せ示す。次吉は直刃を、次直は逆丁子乱れを得手とし、両者相俟って南北朝青江の典型を成す。作品は長州毛利家・加賀前田家・肥前鍋島家・上杉家等の名門に伝来し、世々の珍重を物語る。締まって冴える直刃の静謐と逆丁子乱れの華麗とを兼備した中青江は、備中伝の最も洗練された達成を示し、つみたる鍛え・明るき匂口・特色ある映りをもって、刀剣史上に確たる地歩を占める一派である。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
国(政府)がその高い美術的・歴史的価値を認めて認定した刀剣で、重要刀剣に相当する格を持ちます。輸出が制限され、重要美術品は日本国内にとどめられ、国外へ持ち出されると認定を失います。
重要美術品の認定は、世界恐慌下で日本の貴重な文化財が海外へ流出するのを防ぐために制定された、昭和8年(1933年)の「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に始まります。当時はまだ民間所有品を対象とする重要文化財・国宝の制度が整っておらず、文部大臣の認定によって国宝に準ずるもの(准国宝)として国外への持ち出しを禁じました。制度の終了までに約8,300件が認定され、うち刀剣は約1,000口でした。昭和25年(1950年)の文化財保護法に引き継がれ、価値の高いものは重要文化財へ昇格し、その他は重要美術品の認定を保持しています。以後、新たな認定は行われていません。
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備中国青江派は、平安末期承安頃の安次を祖として始まると伝え、以後南北朝時代に至るまで、多くの名工を輩出した。その作風は、いわゆる縮緬状の肌合となり、地班の交じるものが多く、刃文は直刃調の穏やかなものや小乱れを交えるもの、逆丁子華やかなものなどがありる。この刀は、身幅広く、先反りつき、中鋒延びる南北朝時代の姿で、杢目肌よく交じる板目肌がつみ、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、乱れ映り立つ美しい地鉄に、直刃調に、小乱れ小互の目交じり、逆掛かった足を交え、湯走り掛り、小沸よく付き、匂口明るい、頗る健全な名刀である。本田忠勝佩刀と伝え、重美の認定は細川家16代当主細川譲立の名義となる。







































備前伝 · 備中
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中青江派の起源 中青江派は、備中国高梁川下流域を中心に栄えた青江派の、鎌倉時代末期から南北朝時代に至る中興・最盛の一群を指す。備中の刀剣は古く平安時代末期より名を知られ、青江物は鎌倉時代中期頃までを古青江、それ以降南北朝期にかけてを青江と汎称して大別する。中青江は、まさにこの古青江を承けて鎌倉末期に展開し、さらに末青江へと連なる中間の段階を体現する。名跡としては貞次が最も尊ばれ、『観智院本銘尽』以来、初代貞次は後鳥羽院番鍛冶の一人に選ばれた名工と伝えられ、『新刊秘伝抄』に「備中物極上十五貫」[[c:1]]と最高の代付をされている。鎌倉末期から南北朝初期にかけては吉次・直次・恒次・秀次・助次らが、南北朝中期には次直・次吉・守次らが、それぞれ同派を代表する刀工として知られる。 作風 中青江の作は、その地刃に著しい共通の標識を備える。鍛えは小板目肌がよくつみ、杢目や流れ肌を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。澄肌状の地斑を交え、青江本来の縮緬肌を示すものや、小板目のつんだ肌に独特の地斑が交じる、いわゆる鯰肌を呈するものもある。映りは同派の最大の見どころであり、淡い乱れ映りから、刃寄りに筋状、鎬寄りに乱れ状となる段映りまで多様に立つ。刃文は概して直刃を基調とし、細直刃・中直刃に浅くのたれごころをおび、小互の目・小丁子・尖り刃を交え、足・葉が頻りに入り、処々逆足・逆がかる態を見せる。匂口は締まりごころに小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかり、明るく冴える。この締まって冴える匂口こそ同派を貫く第一の特色である。帽子は直ぐに小丸、尖りごころに返るものが多い。鎌倉末期の太刀は身幅広めに重ね厚く腰反りつく雄渾な体配を示し、南北朝期に至ると幅広・大鋒の豪壮な姿、薙刀直しが加わる。作風には今一様、華やかな逆丁子乱れがあり、これは延文頃に完成された南北朝最盛期の作域である。次直はこの逆丁子の名手として「この一派の独壇場」[[c:2]]と称される個性的な作を遺し、鎌倉期の作に見える逆がかる態は、後年のこの華やかな展開の先駆と解される。 評価・伝承 中青江派は、刀剣史上一貫して高い声価を保ってきた。本阿弥家では、無銘の青江物で典型的かつ出来の良いものに貞次の極めをあてる慣わしがあり、名物「大青江」「小青江」がその代表で、貞次は単なる工名を超えて青江の優品への賛辞ともなった。在銘・年紀作も貴重で、直次や吉次の左兵衛尉・右衛門尉等の官途銘、元徳・建武・嘉暦・延慶等の年紀銘は、備中刀工研究の得難い基準資料である。直次は鎌倉期の小沸出来から南北朝期の締まって明るい匂出来への推移の要に位置し、守次の遺作は鎌倉末期と南北朝初期を架橋し、直刃と逆丁子の二様を併せ示す。次吉は直刃を、次直は逆丁子乱れを得手とし、両者相俟って南北朝青江の典型を成す。作品は長州毛利家・加賀前田家・肥前鍋島家・上杉家等の名門に伝来し、世々の珍重を物語る。締まって冴える直刃の静謐と逆丁子乱れの華麗とを兼備した中青江は、備中伝の最も洗練された達成を示し、つみたる鍛え・明るき匂口・特色ある映りをもって、刀剣史上に確たる地歩を占める一派である。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
国(政府)がその高い美術的・歴史的価値を認めて認定した刀剣で、重要刀剣に相当する格を持ちます。輸出が制限され、重要美術品は日本国内にとどめられ、国外へ持ち出されると認定を失います。
重要美術品の認定は、世界恐慌下で日本の貴重な文化財が海外へ流出するのを防ぐために制定された、昭和8年(1933年)の「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に始まります。当時はまだ民間所有品を対象とする重要文化財・国宝の制度が整っておらず、文部大臣の認定によって国宝に準ずるもの(准国宝)として国外への持ち出しを禁じました。制度の終了までに約8,300件が認定され、うち刀剣は約1,000口でした。昭和25年(1950年)の文化財保護法に引き継がれ、価値の高いものは重要文化財へ昇格し、その他は重要美術品の認定を保持しています。以後、新たな認定は行われていません。
商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
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