鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K]Juyo Token No.69
『古今銘尽』等江戸期の刀剣書は、則重を正宗十哲の一人として挙げているが、太刀や短刀の姿形、及び正和や元応の制作年紀があることな どからすれば、室町時代の刀剣書に述べられている新藤五国光門下説を認めるのが妥当と思われ、正宗とは相弟子とみるべきであろう。則重の 作風は、相州上工中正宗に近似するが、彼は正宗以上に沸の変化を露に表現したものが多く、鍛えは一段と大模様に肌立ち、いわゆる「松皮肌」 と称される同工特有の個性溢れる肌合に、太い地景が目立って入るところに特色があり、また刃境や刃中にも鍛えの肌にからむ様々な働きが看 て取れ、千変万化の沸の働きをあらわしている。 この刀は、大磨上であるが反りが深めで先へも反りがつき、元に復せば力強い太刀姿を偲ばせるものである。また地鉄は板目に杢を交えて太 い地景が処々に入り、総じて肌目が立ち加減となり、加えて刃文には金筋・砂流しが目立ってかかり、地刃を跨いで匂口に絡んだ様は複雑玄妙 なる趣を醸し出している。これら地刃の様相には則重の持ち味と特徴がよく現れており極めは至当である。帽子も深く健全で、物打辺に至って 焼幅が広くなるなど相州伝の見どころも備えた観るべき所の多い一口である。






『古今銘尽』等江戸期の刀剣書は、則重を正宗十哲の一人として挙げているが、太刀や短刀の姿形、及び正和や元応の制作年紀があることな どからすれば、室町時代の刀剣書に述べられている新藤五国光門下説を認めるのが妥当と思われ、正宗とは相弟子とみるべきであろう。則重の 作風は、相州上工中正宗に近似するが、彼は正宗以上に沸の変化を露に表現したものが多く、鍛えは一段と大模様に肌立ち、いわゆる「松皮肌」 と称される同工特有の個性溢れる肌合に、太い地景が目立って入るところに特色があり、また刃境や刃中にも鍛えの肌にからむ様々な働きが看 て取れ、千変万化の沸の働きをあらわしている。 この刀は、大磨上であるが反りが深めで先へも反りがつき、元に復せば力強い太刀姿を偲ばせるものである。また地鉄は板目に杢を交えて太 い地景が処々に入り、総じて肌目が立ち加減となり、加えて刃文には金筋・砂流しが目立ってかかり、地刃を跨いで匂口に絡んだ様は複雑玄妙 なる趣を醸し出している。これら地刃の様相には則重の持ち味と特徴がよく現れており極めは至当である。帽子も深く健全で、物打辺に至って 焼幅が広くなるなど相州伝の見どころも備えた観るべき所の多い一口である。
Soshu / Etchu · 越中 · 1308-1314頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位2%
現在7点販売中
則重は鎌倉時代末期の越中の工で、新藤五国光の門人、行光・正宗とは兄弟弟子として相州伝を完成へ導いた。『古今銘尽』など江戸期の刀剣書は正宗十哲の一人に挙げるが、現存する正和・元応などの年紀や太刀・短刀の姿形からすれば、室町期の刀剣書のいう新藤五国光門下説が妥当で、正宗とは相弟子、あるいはやや先行とみるべきである。
常の作風はその名を負う松皮肌である。板目が大模様に肌立ち、杢を交え、太い地景が頻りに入って松皮の如き肌をなし、地沸厚く、かねは黒みを帯びる。諸書は相州上工中もっとも正宗に近いとしつつ、「正宗以上に沸の変化を露に表現」[[c:1]]したものが多いとし、刃中・地鉄ともに「千変万化の沸の働き」[[c:2]]をあらわすという。刃文はのたれに互の目を交えた沸出来で、匂口は沈みごころ、金筋・砂流しが烈しく働き、二重刃・湯走りを交える。帽子は単なる小丸ではなく、掃きかけて乱れ込み、時に尖り・焼詰め風となる。
いま一つ、精到で珍重される作風がある。在銘の太刀や前期の在銘短刀では地肌が常ほど肌立たず、整った小板目に締まって地刃ともに穏やかとなり、かねは一段と明るく冴え、地景・金筋は静かである。ある在銘太刀は「常の則重の作に比べて地刃共に穏やか」[[c:3]]と評され、小のたれ主調の底に則重特有の渦巻肌と地景を沈めてよく冴える。正和三年紀の在銘短刀は肌立たず明るく、「新藤五国光や行光につながる出来」[[c:4]]として前期作とされる。これは松皮肌の崩れではなく、別個の、そして高く評価される一面である。
鑑別の核は二様に共通する。太い地景、沈みごころの匂口、烈しい金筋・砂流し、そして掃きかける帽子である。沈む匂口は明るい備前と分かち、沸の変化の激しさと肌立ちは正宗と分かつ。藤代は最上作に列し、特別重要刀剣の指定数は全工中でも上位に位置する。在銘作は短刀が主で、太刀については、かつて「太刀は僅かに二口をかぞえるのみである」[[c:5]]と記されたが、指定品では今日、重要文化財二口・特別重要刀剣二口の計四口の在銘太刀が知られる。名物は豊臣秀吉より徳川綱吉を経て柳沢家へ、ほかに島津・前田・細川・井伊などの諸家を歴とし、国宝・重要文化財として動かぬものも多い。松皮肌は門人為継により越中へ受け継がれた。
則重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
相州伝 · 相模
時期区分: 相州· 1288–1385
現在43点販売中
板目に杢を交えた地鉄に地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに織りなされて明るく冴える鍛え、これが相州(鎌倉後期から南北朝期にかけての相州伝の古典的全盛期)を貫く核である。この区分は始祖新藤五国光が粟田口由来の精緻な小板目と直刃の基盤の上に、地刃ともに沸を主体とする鍛えを据えたところに始まる。国光の門から行光、正宗、則重が出て技術が大成し、続いて正宗の系から養子貞宗、越中の郷義弘が出て、伝統が頂点に達した。さらに南北朝期に入ると相模国にあって時代的にも技術的にも貞宗の次に位置する広光と秋広が現れ、十四世紀後半まで本流が続く。鎌倉幕府の府たる鎌倉を母体とし、その滅亡から南北朝の動乱という時代背景のなかで、姿は身幅広く寸延びた豪壮なものへと推移していった。 作風は説示にいう板目に杢交じり、地沸厚くつき、地景頻りに入る鍛えを土台とし、刃文はのたれを基調に互の目を交え、匂口深く沸厚くつき、金筋・沸筋・砂流しが頻りにかかって匂口明るく冴える点にある。郷義弘の作では、正宗・則重に比べて地景・金筋は穏やかながら、刃中に沸足がよく働き、地刃が一段と明るく冴え、肌合に柾ごころを交え、帽子を一枚風に深く焼くのが見どころとされる。広光・秋広に至ると、板目が肌立ちごころとなり、丁子に互の目を交え、飛焼・棟焼を交えて皆焼となり、頭の丸い団子丁子を交える刃文がこの時代に始まる。これらは母体である粟田口の抑制された直刃の源流からは遠く隔たり、沸の働きを前面に押し出した展開である。一方、後続の末相州(室町期の継続と衰退)が、こうした皆焼や帽子の一枚焼きといった形を継承しつつ地刃の冴えと沸の質を次第に薄めていくのに対し、本区分は地刃ともに明るく冴え、働きが豊富である点で截然と区別される。秋広の彫物が後の正広・広正、さらに室町末期の相州鍛冶の先駆となったことも、本区分が型を確立した側であることを示す。 収集家がこの区分を別格とするのは、正宗を頂点に、貞宗、そして正宗十哲の筆頭に挙げられる郷義弘という頂の刀工を擁するからである。鑑定上の要点は、郷義弘・貞宗ともに在銘作が皆無であるため、地刃の明るい冴え、沸足の働き、柾ごころ、一枚風に深く焼く帽子といった作域から極めることにある。代表作には金象嵌銘の兜切り江や名物中川江があり、宇和島伊達家、小田原藩大久保家、薩摩の島津家など大名家への伝来が説示に記される。秋広には延文二年から至徳四年に及ぶ年紀作があり、銘の切り方の変遷とともに資料的価値を支えている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません
鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K]Juyo Token No.69
『古今銘尽』等江戸期の刀剣書は、則重を正宗十哲の一人として挙げているが、太刀や短刀の姿形、及び正和や元応の制作年紀があることな どからすれば、室町時代の刀剣書に述べられている新藤五国光門下説を認めるのが妥当と思われ、正宗とは相弟子とみるべきであろう。則重の 作風は、相州上工中正宗に近似するが、彼は正宗以上に沸の変化を露に表現したものが多く、鍛えは一段と大模様に肌立ち、いわゆる「松皮肌」 と称される同工特有の個性溢れる肌合に、太い地景が目立って入るところに特色があり、また刃境や刃中にも鍛えの肌にからむ様々な働きが看 て取れ、千変万化の沸の働きをあらわしている。 この刀は、大磨上であるが反りが深めで先へも反りがつき、元に復せば力強い太刀姿を偲ばせるものである。また地鉄は板目に杢を交えて太 い地景が処々に入り、総じて肌目が立ち加減となり、加えて刃文には金筋・砂流しが目立ってかかり、地刃を跨いで匂口に絡んだ様は複雑玄妙 なる趣を醸し出している。これら地刃の様相には則重の持ち味と特徴がよく現れており極めは至当である。帽子も深く健全で、物打辺に至って 焼幅が広くなるなど相州伝の見どころも備えた観るべき所の多い一口である。






『古今銘尽』等江戸期の刀剣書は、則重を正宗十哲の一人として挙げているが、太刀や短刀の姿形、及び正和や元応の制作年紀があることな どからすれば、室町時代の刀剣書に述べられている新藤五国光門下説を認めるのが妥当と思われ、正宗とは相弟子とみるべきであろう。則重の 作風は、相州上工中正宗に近似するが、彼は正宗以上に沸の変化を露に表現したものが多く、鍛えは一段と大模様に肌立ち、いわゆる「松皮肌」 と称される同工特有の個性溢れる肌合に、太い地景が目立って入るところに特色があり、また刃境や刃中にも鍛えの肌にからむ様々な働きが看 て取れ、千変万化の沸の働きをあらわしている。 この刀は、大磨上であるが反りが深めで先へも反りがつき、元に復せば力強い太刀姿を偲ばせるものである。また地鉄は板目に杢を交えて太 い地景が処々に入り、総じて肌目が立ち加減となり、加えて刃文には金筋・砂流しが目立ってかかり、地刃を跨いで匂口に絡んだ様は複雑玄妙 なる趣を醸し出している。これら地刃の様相には則重の持ち味と特徴がよく現れており極めは至当である。帽子も深く健全で、物打辺に至って 焼幅が広くなるなど相州伝の見どころも備えた観るべき所の多い一口である。
Soshu / Etchu · 越中 · 1308-1314頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位2%
現在7点販売中
則重は鎌倉時代末期の越中の工で、新藤五国光の門人、行光・正宗とは兄弟弟子として相州伝を完成へ導いた。『古今銘尽』など江戸期の刀剣書は正宗十哲の一人に挙げるが、現存する正和・元応などの年紀や太刀・短刀の姿形からすれば、室町期の刀剣書のいう新藤五国光門下説が妥当で、正宗とは相弟子、あるいはやや先行とみるべきである。
常の作風はその名を負う松皮肌である。板目が大模様に肌立ち、杢を交え、太い地景が頻りに入って松皮の如き肌をなし、地沸厚く、かねは黒みを帯びる。諸書は相州上工中もっとも正宗に近いとしつつ、「正宗以上に沸の変化を露に表現」[[c:1]]したものが多いとし、刃中・地鉄ともに「千変万化の沸の働き」[[c:2]]をあらわすという。刃文はのたれに互の目を交えた沸出来で、匂口は沈みごころ、金筋・砂流しが烈しく働き、二重刃・湯走りを交える。帽子は単なる小丸ではなく、掃きかけて乱れ込み、時に尖り・焼詰め風となる。
いま一つ、精到で珍重される作風がある。在銘の太刀や前期の在銘短刀では地肌が常ほど肌立たず、整った小板目に締まって地刃ともに穏やかとなり、かねは一段と明るく冴え、地景・金筋は静かである。ある在銘太刀は「常の則重の作に比べて地刃共に穏やか」[[c:3]]と評され、小のたれ主調の底に則重特有の渦巻肌と地景を沈めてよく冴える。正和三年紀の在銘短刀は肌立たず明るく、「新藤五国光や行光につながる出来」[[c:4]]として前期作とされる。これは松皮肌の崩れではなく、別個の、そして高く評価される一面である。
鑑別の核は二様に共通する。太い地景、沈みごころの匂口、烈しい金筋・砂流し、そして掃きかける帽子である。沈む匂口は明るい備前と分かち、沸の変化の激しさと肌立ちは正宗と分かつ。藤代は最上作に列し、特別重要刀剣の指定数は全工中でも上位に位置する。在銘作は短刀が主で、太刀については、かつて「太刀は僅かに二口をかぞえるのみである」[[c:5]]と記されたが、指定品では今日、重要文化財二口・特別重要刀剣二口の計四口の在銘太刀が知られる。名物は豊臣秀吉より徳川綱吉を経て柳沢家へ、ほかに島津・前田・細川・井伊などの諸家を歴とし、国宝・重要文化財として動かぬものも多い。松皮肌は門人為継により越中へ受け継がれた。
則重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
相州伝 · 相模
時期区分: 相州· 1288–1385
現在43点販売中
板目に杢を交えた地鉄に地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに織りなされて明るく冴える鍛え、これが相州(鎌倉後期から南北朝期にかけての相州伝の古典的全盛期)を貫く核である。この区分は始祖新藤五国光が粟田口由来の精緻な小板目と直刃の基盤の上に、地刃ともに沸を主体とする鍛えを据えたところに始まる。国光の門から行光、正宗、則重が出て技術が大成し、続いて正宗の系から養子貞宗、越中の郷義弘が出て、伝統が頂点に達した。さらに南北朝期に入ると相模国にあって時代的にも技術的にも貞宗の次に位置する広光と秋広が現れ、十四世紀後半まで本流が続く。鎌倉幕府の府たる鎌倉を母体とし、その滅亡から南北朝の動乱という時代背景のなかで、姿は身幅広く寸延びた豪壮なものへと推移していった。 作風は説示にいう板目に杢交じり、地沸厚くつき、地景頻りに入る鍛えを土台とし、刃文はのたれを基調に互の目を交え、匂口深く沸厚くつき、金筋・沸筋・砂流しが頻りにかかって匂口明るく冴える点にある。郷義弘の作では、正宗・則重に比べて地景・金筋は穏やかながら、刃中に沸足がよく働き、地刃が一段と明るく冴え、肌合に柾ごころを交え、帽子を一枚風に深く焼くのが見どころとされる。広光・秋広に至ると、板目が肌立ちごころとなり、丁子に互の目を交え、飛焼・棟焼を交えて皆焼となり、頭の丸い団子丁子を交える刃文がこの時代に始まる。これらは母体である粟田口の抑制された直刃の源流からは遠く隔たり、沸の働きを前面に押し出した展開である。一方、後続の末相州(室町期の継続と衰退)が、こうした皆焼や帽子の一枚焼きといった形を継承しつつ地刃の冴えと沸の質を次第に薄めていくのに対し、本区分は地刃ともに明るく冴え、働きが豊富である点で截然と区別される。秋広の彫物が後の正広・広正、さらに室町末期の相州鍛冶の先駆となったことも、本区分が型を確立した側であることを示す。 収集家がこの区分を別格とするのは、正宗を頂点に、貞宗、そして正宗十哲の筆頭に挙げられる郷義弘という頂の刀工を擁するからである。鑑定上の要点は、郷義弘・貞宗ともに在銘作が皆無であるため、地刃の明るい冴え、沸足の働き、柾ごころ、一枚風に深く焼く帽子といった作域から極めることにある。代表作には金象嵌銘の兜切り江や名物中川江があり、宇和島伊達家、小田原藩大久保家、薩摩の島津家など大名家への伝来が説示に記される。秋広には延文二年から至徳四年に及ぶ年紀作があり、銘の切り方の変遷とともに資料的価値を支えている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません