鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
古刀・備前 鎌倉中期 寒山先生及び探山先生鞘書き有り 先幅:2.03 元重ね:0 65 先重ね:0.55 穴2 鎬造り、鎬高め庵棟低い、中切っ先やや猪首風となる。 表裏共に棒樋を掻き通す。 鍛え、板目に杢目、流れ肌を交えて良く詰み、地沸厚く付き、地景良く入り、乱れ映り立ち、細かな飛び焼き掛かり、地鉄概ね精良。 刃文、丁子乱れを主体に、大房丁子、重花丁子、蛙子丁子、小互の目、小丁子を交え、刃縁匂い勝ちに明るく締まり、刃中丁子足、葉繁く入る。 帽子、湾れ込んで、先小丸風に返る。 茎大磨り上げ、先切り、鑢筋違い。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。 福岡一文字の重要刀剣、同派最盛期の代表作、万人を魅了して止まない、本家一文字丁子です。 一文字派は、鎌倉初期に興り、以後南北朝期に掛けて福岡、吉岡、片山、岩戸の地に栄えて多数の名工を輩出しました。中でも福岡は、一文字派の中で最も古く、事実上の祖である則宗を始め、代表工には延房、宗吉、助宗、行国、助成、助延、信房などがいます。福岡でもこれら初期の刀工は、それ以前までの古備前派の作風を踏襲し、直調に小丁子を交えた穏やかな作風を本位としました。この時期の同派鍛冶を『古一文字』と呼びます。 鎌倉中期になると、同派は最盛期を迎え、華麗で絢爛たる丁子乱れの作風を展開、この期を以て、後世まで最高芸術と評される『一文字丁子』の完成を見ることとなります。この期の代表工には助真、吉房を筆頭に、吉平、吉用、吉元、助宗などがいます。中でも助真は、後に相州鎌倉へ移住、鎌倉鍛冶の開拓者になったと伝えており、『鎌倉一文字』の呼称があります。 また同派からは後鳥羽院御番鍛冶を七名も輩出されており、当時の一派の実力を窺い知ることが出来ます。 本作は、大磨り上げ無銘ながら『一文字』と極められた典型作優品、昭和四十五年(一九七〇)、第十九回重要刀剣に指定されています。 寸法二尺三寸八分弱、身幅しっかりとして姿美しく、図譜によると、時代は『鎌倉中期』としています。 板目に杢目、流れ肌を交えて良く詰んだ地鉄は、乱れ映り立ち、細かな飛び焼き掛かり、丁子乱れを主体に、大房丁子、重花丁子、蛙子丁子、小互の目、小丁子を交えた刃は、刃縁匂い勝ちに明るく締まり、刃中丁子足、葉繁く入るなど、同派最盛期の典型作と言えるでしょう。 図譜には、『地刃の出来が良く、しかも健全である。』とあり、探山先生鞘書きにも、『猪首切っ先で身幅やや広く、腰反り深め、多種の丁子が重花調となり、所々逆掛かり、刃縁締まり心に明るく冴え、帽子は湾れて小丸に結ぶなど、鎌倉中期福岡一文字派の特色を明示する優品也。』とあります。 華やかな焼刃、鮮明な乱れ映りなど、本歌の一文字丁子を存分に堪能出来る逸品、加えて永らく世に出ていない生ぶい一振りです。








備前伝 · 備前
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福岡一文字派は、備前国福岡の地に興った刀工の一群で、茎に「一」の一字を切ることをその標とする。一派の祖は則宗であり、鎌倉時代初頭、後鳥羽院の御番鍛冶に列せられた一人として、院に月番で仕えた。延房もまた同じ番鍛冶に数えられ、両工はこの一派の最初期の世代をなす。則宗・延房・眞利・爲清・助吉らが鍛えた最初期の手は、後年の華やかさに先立つ古一文字と呼ばれ、その姿恰好および地刃には先行する古備前物の趣が色濃く遺存し、両者を分かちがたいほどである。一派はこの古調の根から起こり、鎌倉中期にかけて福岡の地で大いに開花し、やがて吉岡・片山・岩戸の諸派へと分かれて南北朝期にまで繁栄を続けた。爲遠の「備前国唐河住」、長則の「備前国福岡住」のごとく、銘文に住地を明記する作は、この一派の地理を裏づける資料的な要をなす。 一派を貫く地鉄は、よくつんだ小板目または杢を交えた板目に地沸つき地景の入る鍛えで、その上に明るい乱れ映りが鮮明に立つことを常とする。この乱れ映りこそ、映りの淡い古一文字や、より素朴な古備前の工から本派を分かつ最も確かな標であり、ほとんど全ての在銘・極めの作に繰り返し現れる。刃文はこの地の上に二様に展開する。盛期を代表する吉房・助真・吉平・則包・吉宗らの手は、焼幅広く高低のある華やかな大丁子乱れで、大房の大丁子・重花丁子に蛙頭の蛙子丁子、竪長の袋丁子を交え、足・葉さかんに入り、匂深く小沸つき、金筋・砂流しがかかる。吉房の袋丁子、助真の刃中に強くつく沸と尖りて掃きかける帽子は、それぞれの工を本流の中で分かつ標である。助包は焼の高い丁子主調の華やかさを保ち、彫物に梵字・三鈷柄剣を伴う。これに対し、吉用・長則・爲遠・吉用らは静かな手を担い、直刃調に小丁子・小互の目を交えて焼を低く保ち、抑制をもって明るい映りの地を生かす。長則は同派唯一の「福岡住」を切り「小竜長則」と俗称され、その細直刃調の作は長船景光・近景に通じる。鎌倉後期には逆ごころに傾く好尚も加わる。茎に「一」の一字のみを切る作は工を特定しがたく、極めは時代と一派と銘振りに拠る。 これらの工の作が収集家に希求されるのは、その地刃そのものに鑑識の勘所が宿るためである。鑑定は、明るい乱れ映りと匂深の丁子を細身腰高の初期の姿の上に読むことで、静かな古備前や後年の素朴な備前と分かつ。在銘の作が無銘を測る尺度となり、本阿弥らの極めもこの作風の連続を拠りどころとした。一派の格は高く、則宗を源流とし、吉房は全刀工中屈指の国宝数を負い、助真は徳川家康の愛刀「日光助真」を遺して相州伝の先駆ともされる。その代表作は東照宮日光助真、矢の目吉房、岡田切などに及び、伝来は織田・豊臣・徳川の天下人をはじめ、上杉・島津・毛利・前田・池田ら諸大名家を貫き、皇室の旧蔵にも及んで、社寺の宝としても伝えられてきた。則宗・助包の在銘作のごとく、最も著名なものは取引の財ではなく文化財として守られ、世に現れることは稀である。盛期の華やかな大丁子乱れは、後の一文字諸派および長船の工が己を測る規範となり、備前伝の一つの頂点として後世に長く影響を及ぼした。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,348口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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