説明

刃長66.2センチ 反り1.5センチ 元幅26.1ミリ 元重ね6.1ミリ 物打幅20.9ミリ 物打重ね4.6ミリ 横手位置幅17.5ミリ 松葉先重ね4.5ミリ 裸身重量527グラム 拵に納めて鞘を払った重量793グラム 鎌倉後期 The latter period of Kamakura era 平成7年11月21日 東京都登録 附属 日本刀剣保存会鑑定書、倉敷刀剣美術館鑑定書、素銅はばき、黒蝋塗鞘打刀拵、白鞘、継木 日本刀剣保存会では吉岡一文字助光。倉敷刀剣美術館では畠田光守で極められた一刀です。 吉岡一文字派は吉井川左岸の赤磐郡吉岡(現在の岡山県久米郡)で槌を振るった刀工一派で、助吉を祖とし、一族は刀工名の頭に「助」の字を冠しており、助光は開祖である助吉の孫、または曽孫と伝えられる同派を代表する名工です。 助光の作風としては、匂出来(においでき:匂が刃文全体を 覆うような様)で焼き幅の広い丁子乱や大丁子乱の刃を焼き、地鉄は細かい杢目肌に地沸が付き、乱映りが立ちます。 「一 備前国吉岡住左近将監紀助光」等と長銘を切り、紀姓で左近将監の官名を名乗ったことが知られており、代表作には国宝指定の元応二年紀の薙刀と元亨二年紀の太刀があります。 畠田派は鎌倉時代の備前国(岡山県東南部)の一派で、その作風は丁子刃の華やかな刃文を得意とし、同国で栄えた長船派や一文字派の刀工と類似します。 光守は同派の刀工で、現存する有銘作は非常に少なく、代表作としては重要美術品に指定されている堀田家伝来の太刀と、同じく重要美術品に指定されている秋元家伝来の折返銘の小太刀がよく知られており、これらは共に焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼いて華麗な作風を示しています。 本刀は大きく磨り上げられているものの、なお踏ん張りを失わず、細身ながらも優雅な姿態を確かに留めています。長い時代を経ながら、なお骨格の確かさを感じさせる点は特筆に値します。 地鉄は小板目に杢目を交え、よく練れて品位高く、刃文はふわりと柔らかな味わいを湛えた丁字乱れを基調に、互ノ目や小丁字を交え、小足入り、金筋かかり、まさに千変万化の景色を見せます。鋩子は表にやや乱れごころを見せ、裏は直ぐに先丸く返り、実戦を潜り抜けてきた古刀らしい風格が感じられます。 棟には大小合わせて八箇所の切込傷が認められ、歴史を物語る生々しい痕跡として、本刀の存在感を一層際立たせています。 附属の拵は、近年の数寄者によって新調されたもので、金具はいずれも時代物を用いて誂えられた上質な拵です。実際に鞘を払って構えてみると、手元重心で非常にバランスが良く、驚くほど軽く感じられるのも魅力の一つ。柄にガタツキは無く、締まりは良好です。 無銘物の極めは研磨によって大きく左右される傾向がありますので、上研磨を施し、日本美術刀剣保存協会による審査の結果に期待したい一刀。 来歴を物語る切込と、優美な出来を併せ持つ、古刀の醍醐味を存分に味わえる作品です。

無銘(畠田光守)(備前国吉岡一文字助光)- Mumei (Hatakeda Mitsumori)(Bizen no kuni Ichimonji Sukemitsu) - 2-1860

無銘(畠田光守)(備前国吉岡一文字助光)- Mumei (Hatakeda Mitsumori)(Bizen no kuni Ichimonji Sukemitsu) - 2-1860

¥1,210,000

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

66.2 cm

反り

1.5 cm

元幅

2.61 cm

先幅

2.09 cm

流派について

Hatakeda School畠田派

1 重要刀剣

畠田派は鎌倉時代中期の備前国に興った一門で、長船村に直に隣接する畠田の地に住したことから、その祖を畠田守家と呼ぶ。守家および一門の真守らに「畠田住」と銘したものは未見で、いずれも「備前国長船住守家造」などと長船住に切ることから、畠田はおそらく長船村のなかの小字であったと推察されている。守家には文永九年(一二七二)紀の太刀を最古として在銘作があり、長船光忠・長光と同時代に鍛えた工としてその名を立てる。銘鑑はその系を福岡一文字の守恒系に置くが、守家の作はすでに福岡一文字の古調を離れ、長船一派が古典の姿を結ぶその近き圏内に位置する。守家の代別はなお定まらず、通説は初代を光忠、二代を長光と同年代の刀工とする二代説を伝えるが、初二代を銘字のみで明確に分けることは難しく、一人説を唱える向きもあって、今後の研究課題とされている。 一門の作風は同時代の長船刀工に近似するが、地鉄が肌立ち、焼刃に蛙子丁子が目立つところに共通の特色がある。鍛えは板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、その上に乱れ映りが鮮やかに立つ。この肌立つ備前地に立つ冴えた映りは、ほぼ全作に挙げられる確かな見どころである。刃文は華やかな丁子乱れを主とし、腰のくびれた頭の丸い蛙子丁子を交え、袋丁子・重花丁子・互の目・尖りごころの刃を加え、足・葉さかんに入り、小沸つき、処々飛焼・湯走りを見せ、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るい。帽子は乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに掃きかける。蛙子丁子こそ最大の鑑識点で、光忠も交えるが、これほど中心に据えた同時代工はなく、長光には稀である。祖守家はこの華やかさをもっとも強く示し、地の肌立ちと刃沸の強さにおいて隣人の長船物を凌ぐ。子と伝える真守はその見どころをよく受け継ぐが、乱れがやや小模様となる傾向があり、銘も太字の華やかな作と、長光・景光に近い小振りの作とに分かれる。光守もまた焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼いて守家系に近く、いずれも蛙子丁子と鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれる。 鑑定の勘所は、この一門を福岡一文字や長船嫡流から分かつ点にある。長船の名手の丁子が丸く豊かに張るところを、畠田のそれは腰でくびれ、そのくびれこそ畠田の刀の運ぶ最も確かな一事である。地もまた、光忠のつむ地に対して守家の地は肌立ち、刃沸はより強く集まる。それゆえ上作が長船に紛れるとき、極めの拠るのはまさにこの肌立つ鍛えと蛙子丁子であり、無銘作では蛙子が大房に乱れるところに極めどころがあるとされる。華やかな丁子乱れの傍らに、一門は穏やかな作域も持つ。守家後期の一群は片落ち互の目・角互の目を主調とし、鎌倉後期の長船正系に通い、子守重に至っては直刃調に互の目を交える手と、景光・元重を思わせる片落ち互の目とがあって、畠田派よりむしろ長船色が濃い。守重の子と伝える守長は南北朝の代に下り、沸の盛んな相伝備前風の乱れに転じて、もはや備前の脈は丁子の交じりとして残るのみとなる。かくして一派は次第に長船派へ溶け込んでいく。守家は藤代の極めで最上作とされ、その作は重要文化財・重要美術品に及び、徳川家・細川家・上杉家・三井家・奥平家、さらに皇室の手を経て、京都国立博物館・徳川美術館・静嘉堂文庫・永青文庫などに蔵される。真守・光守の作にも紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家・堀田家・秋元家などの伝来が録され、名家の歴史を負って今日に伝わっている。

刀剣商

刀心

shop.nihontou.jp

¥1,210,000

刀心で見る