鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀装具[N.B.T.H.K] Juyo Tousougu No.47 江戸時代後期、江戸金工を代表する名工、東龍斎清寿の重要刀装具指定作品。田中清寿は、幕末に東龍斎派という大流派を築いて活躍した巨匠で、時流に即した江戸前風の洒落で粋な作風を具現し、後藤一乗、加納夏雄と共に幕末三名工として賞讃されている。文化元年(1804年)に武州鐔工、田中房二郎の子として江戸で生まれ、後藤正乗のもとで修行し、親の号を踏襲して東龍斎と号した。自流、流自、我一格、一家式などの添銘をきり、弘化二年(1845年)に法橋に叙され、翌年は法眼に進む。多くの門人を養成すると共に数々の名作を世に生み出し、明治9年(1876年)、73歳で没した。本作は表に「本来無一物」の文字を、裏には払子を配して達磨の留守模様とし、鉄地の巧妙な変化仕立てに金の露象嵌を散らすなど、同工ならではの技法が画面により禅味を与えている。留守の達磨は鐔の形とよく見ると櫃穴の形にも隠されている。いかにも清寿の洒落気を感じさせる計らいである。かつては小窪健一氏の旧蔵品で、幾たびも刀剣博物館にて展示された名鐔である。
田中清寿は幕末の江戸金工を代表する上手であり、本名を田中文次郎といい、文化元年に武州の鐔工、田中房二郎の 子として江戸で生まれ、芝新銭座町の隣の柴井町に住した。後藤清乗と関係のある後藤宗次郎正乗のもとで鐔工として修 業したが、本人は金工を好み、独学で勉強し、親の号を踏襲して東龍斎と号した。 後藤一乗とも親交があり、時流に即し た洒落た彼独特の東龍斎流の作風を完成し、幕末三名工の一人に数えられている。流自・自流・我一格・一家式等の添銘 をきり、弘化二年には法橋に叙され、翌三年に法眼に進んだ。多くの門人を養成すると同時に、数々の名作も遺し、明治 九年、七十三歳で歿している。 本作は、表に「本来無一物」の文字を、裏には払子を配して達磨の留守模様とし、すっきりとした意匠ながら、 鉄地の 巧妙な変化仕立に金の露象嵌を散らすなど、同工ならではの技法が、画面により禅味を与えている。 留守の達磨は鐔の姿 形に象られているのであろう、いかにも清寿の洒落気を感じさせる計らいである。総体に手際のよさが光る洗練味に溢れ 優品である。
在銘 · Toryusai · 江戸





田中清寿は幕末の江戸金工を代表する上手であり、本名を田中文次郎といい、文化元年に武州の鐔工、田中房二郎の 子として江戸で生まれ、芝新銭座町の隣の柴井町に住した。後藤清乗と関係のある後藤宗次郎正乗のもとで鐔工として修 業したが、本人は金工を好み、独学で勉強し、親の号を踏襲して東龍斎と号した。 後藤一乗とも親交があり、時流に即し た洒落た彼独特の東龍斎流の作風を完成し、幕末三名工の一人に数えられている。流自・自流・我一格・一家式等の添銘 をきり、弘化二年には法橋に叙され、翌三年に法眼に進んだ。多くの門人を養成すると同時に、数々の名作も遺し、明治 九年、七十三歳で歿している。 本作は、表に「本来無一物」の文字を、裏には払子を配して達磨の留守模様とし、すっきりとした意匠ながら、 鉄地の 巧妙な変化仕立に金の露象嵌を散らすなど、同工ならではの技法が、画面により禅味を与えている。 留守の達磨は鐔の姿 形に象られているのであろう、いかにも清寿の洒落気を感じさせる計らいである。総体に手際のよさが光る洗練味に溢れ 優品である。
町彫 · 武蔵
田中清寿は文化元年、武州の鐔工田中房二郎の子として江戸に生まれ、後藤清乗と関係のある後藤宗次郎正乗のもとで鐔工として修業した。しかし本人は金工を好み、独学で勉強し、親の号を踏襲して東龍斎と号した。後藤一乗とも親交があり、後藤家や柳川家などの彫法を巧みに取拾して「時流に即した洒落た彼独特の東龍斎流の作風」[[c:1]]を完成し、「幕末三名工」の一人に数えられるに至った。流自・自流・我一格・一家式等の添銘をきり、弘化二年に法橋、翌三年に法眼に進んでいる。
説示において清寿は「色金の魔術師」と賞され、赤銅・素銅・四分一・金・銀・真鍮など多彩な色金を自在に操る象嵌色絵の技が繰り返し称揚される。墨象嵌では「毛筆の穂先を意識させるかの」[[c:2]]筆致を四分一地上に実現し、鉄地においても鋤出高彫の肉取りと鏨の冴えが力強い空間を生む。一方、素銅にこだわった作では色金を多用せずとも「重厚感のある作品を作るという清寿の思い」[[c:3]]が看取され、独学で金工の世界を極めた「意気地」が窺える。構図は斬新にして些かのけれん味もなく、「垢抜けた個性」と「小粋で洒落た江戸前の彫技」[[c:4]]が一貫して指摘される。
「西の後藤一乗、東の東竜斎清寿」[[c:5]]と並び称された清寿は、多くの門人を養成しつつ数々の名作を遺した。格調が高く情趣豊かな初期作から、微細にして華やかな盛期の色金象嵌に至るまで、その作域は広く、いずれの作にも独学で一家をなした工人の気骨と洗練が通底している。
清寿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
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東龍斎派は、幕末の江戸に興った金工の一門である。開祖は田中清寿(東龍斎)であり、武蔵国の鐔工田中房次郎の子として生まれた。はじめ後藤宗次郎政則に学んだものの、装剣金工の広い領域はおおむね独学によって究め、ついに洒脱で個性ゆたかな独自の作風を完成させた。その手法は東龍斎風と称され、一派の基をなすにいたる。清寿は幕末金工の三名工の一に数えられ、京の後藤一乗と名声を競い、一乗と同じく法眼の位を授けられた。その工房には多くの門人が集い、なかでも養子の清重が二代を継ぎ、また柴原十郎(俊美)は、後年に至るまで「清寿門下随一の金工」[[c:1]]と評された。柳川派の名工河野春明もまた江戸において清寿と時を同じくし、幕末金工の一潮流をなして、この一門の周辺に少なからぬ影響を及ぼしている。 作風は、あらゆる彫法を自在に駆使する技倆と、江戸ならではの粋にして機知に富む趣向とに支えられる。清寿から清重・俊美にいたるまで、赤銅・四分一・鉄・銀などの地金の上に、色絵を伴う高彫をはじめ、鋤出彫、据紋象嵌、平象嵌、布目象嵌などを巧みに用いた。とりわけ清寿は、金に加えて素銅・四分一・真鍮・色金を交える鮮麗な色調を確立し、「色金の魔術師」とも称された。清重はこの語彙を受け継ぎつつ、肉置のすぐれた立体的な彫成を得意とし、その肉彫は丸彫に迫るとされる。俊美は磨いた四分一地を主とし、据紋象嵌・置金・消鍍金などを一作のうちに綜合して、深みのある色調を表した。なお小柄裏の猫掻鑢は、この一門の後期作を結ぶ特色として知られる。画題もまた広く、人物・花鳥・竹取物語や徒然草に取材した文学的主題、さらには擬人化された蛙などの諧謔をまじえ、江戸風の洒落た味わいをよく伝えている。 日本美術刀剣保存協会の鑑識は、この一門の作を、金象嵌を多用しても格調高く、荘重にして衒いのない品位と完成度を備えたものと評している。清寿円熟の作は技と趣向とがよく協和し、清重の優品は開祖に比肩する域に達するとされ、俊美の作には余白を生かした構図と落ち着いた気韻が認められる。東龍斎派は、後藤・柳川の彫法を摂取しつつ、これを独自の作意へと昇華させ、江戸金工の自立した美意識をもっとも明確に体現した一門といえる。開祖清寿に始まり、清重の継承を経て俊美の明治期の活動へと流派の個性が連綿と保たれたことは、その芸術的気概の確かさを物語っている。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀装具[N.B.T.H.K] Juyo Tousougu No.47 江戸時代後期、江戸金工を代表する名工、東龍斎清寿の重要刀装具指定作品。田中清寿は、幕末に東龍斎派という大流派を築いて活躍した巨匠で、時流に即した江戸前風の洒落で粋な作風を具現し、後藤一乗、加納夏雄と共に幕末三名工として賞讃されている。文化元年(1804年)に武州鐔工、田中房二郎の子として江戸で生まれ、後藤正乗のもとで修行し、親の号を踏襲して東龍斎と号した。自流、流自、我一格、一家式などの添銘をきり、弘化二年(1845年)に法橋に叙され、翌年は法眼に進む。多くの門人を養成すると共に数々の名作を世に生み出し、明治9年(1876年)、73歳で没した。本作は表に「本来無一物」の文字を、裏には払子を配して達磨の留守模様とし、鉄地の巧妙な変化仕立てに金の露象嵌を散らすなど、同工ならではの技法が画面により禅味を与えている。留守の達磨は鐔の形とよく見ると櫃穴の形にも隠されている。いかにも清寿の洒落気を感じさせる計らいである。かつては小窪健一氏の旧蔵品で、幾たびも刀剣博物館にて展示された名鐔である。
田中清寿は幕末の江戸金工を代表する上手であり、本名を田中文次郎といい、文化元年に武州の鐔工、田中房二郎の 子として江戸で生まれ、芝新銭座町の隣の柴井町に住した。後藤清乗と関係のある後藤宗次郎正乗のもとで鐔工として修 業したが、本人は金工を好み、独学で勉強し、親の号を踏襲して東龍斎と号した。 後藤一乗とも親交があり、時流に即し た洒落た彼独特の東龍斎流の作風を完成し、幕末三名工の一人に数えられている。流自・自流・我一格・一家式等の添銘 をきり、弘化二年には法橋に叙され、翌三年に法眼に進んだ。多くの門人を養成すると同時に、数々の名作も遺し、明治 九年、七十三歳で歿している。 本作は、表に「本来無一物」の文字を、裏には払子を配して達磨の留守模様とし、すっきりとした意匠ながら、 鉄地の 巧妙な変化仕立に金の露象嵌を散らすなど、同工ならではの技法が、画面により禅味を与えている。 留守の達磨は鐔の姿 形に象られているのであろう、いかにも清寿の洒落気を感じさせる計らいである。総体に手際のよさが光る洗練味に溢れ 優品である。
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田中清寿は幕末の江戸金工を代表する上手であり、本名を田中文次郎といい、文化元年に武州の鐔工、田中房二郎の 子として江戸で生まれ、芝新銭座町の隣の柴井町に住した。後藤清乗と関係のある後藤宗次郎正乗のもとで鐔工として修 業したが、本人は金工を好み、独学で勉強し、親の号を踏襲して東龍斎と号した。 後藤一乗とも親交があり、時流に即し た洒落た彼独特の東龍斎流の作風を完成し、幕末三名工の一人に数えられている。流自・自流・我一格・一家式等の添銘 をきり、弘化二年には法橋に叙され、翌三年に法眼に進んだ。多くの門人を養成すると同時に、数々の名作も遺し、明治 九年、七十三歳で歿している。 本作は、表に「本来無一物」の文字を、裏には払子を配して達磨の留守模様とし、すっきりとした意匠ながら、 鉄地の 巧妙な変化仕立に金の露象嵌を散らすなど、同工ならではの技法が、画面により禅味を与えている。 留守の達磨は鐔の姿 形に象られているのであろう、いかにも清寿の洒落気を感じさせる計らいである。総体に手際のよさが光る洗練味に溢れ 優品である。
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田中清寿は文化元年、武州の鐔工田中房二郎の子として江戸に生まれ、後藤清乗と関係のある後藤宗次郎正乗のもとで鐔工として修業した。しかし本人は金工を好み、独学で勉強し、親の号を踏襲して東龍斎と号した。後藤一乗とも親交があり、後藤家や柳川家などの彫法を巧みに取拾して「時流に即した洒落た彼独特の東龍斎流の作風」[[c:1]]を完成し、「幕末三名工」の一人に数えられるに至った。流自・自流・我一格・一家式等の添銘をきり、弘化二年に法橋、翌三年に法眼に進んでいる。
説示において清寿は「色金の魔術師」と賞され、赤銅・素銅・四分一・金・銀・真鍮など多彩な色金を自在に操る象嵌色絵の技が繰り返し称揚される。墨象嵌では「毛筆の穂先を意識させるかの」[[c:2]]筆致を四分一地上に実現し、鉄地においても鋤出高彫の肉取りと鏨の冴えが力強い空間を生む。一方、素銅にこだわった作では色金を多用せずとも「重厚感のある作品を作るという清寿の思い」[[c:3]]が看取され、独学で金工の世界を極めた「意気地」が窺える。構図は斬新にして些かのけれん味もなく、「垢抜けた個性」と「小粋で洒落た江戸前の彫技」[[c:4]]が一貫して指摘される。
「西の後藤一乗、東の東竜斎清寿」[[c:5]]と並び称された清寿は、多くの門人を養成しつつ数々の名作を遺した。格調が高く情趣豊かな初期作から、微細にして華やかな盛期の色金象嵌に至るまで、その作域は広く、いずれの作にも独学で一家をなした工人の気骨と洗練が通底している。
清寿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
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東龍斎派は、幕末の江戸に興った金工の一門である。開祖は田中清寿(東龍斎)であり、武蔵国の鐔工田中房次郎の子として生まれた。はじめ後藤宗次郎政則に学んだものの、装剣金工の広い領域はおおむね独学によって究め、ついに洒脱で個性ゆたかな独自の作風を完成させた。その手法は東龍斎風と称され、一派の基をなすにいたる。清寿は幕末金工の三名工の一に数えられ、京の後藤一乗と名声を競い、一乗と同じく法眼の位を授けられた。その工房には多くの門人が集い、なかでも養子の清重が二代を継ぎ、また柴原十郎(俊美)は、後年に至るまで「清寿門下随一の金工」[[c:1]]と評された。柳川派の名工河野春明もまた江戸において清寿と時を同じくし、幕末金工の一潮流をなして、この一門の周辺に少なからぬ影響を及ぼしている。 作風は、あらゆる彫法を自在に駆使する技倆と、江戸ならではの粋にして機知に富む趣向とに支えられる。清寿から清重・俊美にいたるまで、赤銅・四分一・鉄・銀などの地金の上に、色絵を伴う高彫をはじめ、鋤出彫、据紋象嵌、平象嵌、布目象嵌などを巧みに用いた。とりわけ清寿は、金に加えて素銅・四分一・真鍮・色金を交える鮮麗な色調を確立し、「色金の魔術師」とも称された。清重はこの語彙を受け継ぎつつ、肉置のすぐれた立体的な彫成を得意とし、その肉彫は丸彫に迫るとされる。俊美は磨いた四分一地を主とし、据紋象嵌・置金・消鍍金などを一作のうちに綜合して、深みのある色調を表した。なお小柄裏の猫掻鑢は、この一門の後期作を結ぶ特色として知られる。画題もまた広く、人物・花鳥・竹取物語や徒然草に取材した文学的主題、さらには擬人化された蛙などの諧謔をまじえ、江戸風の洒落た味わいをよく伝えている。 日本美術刀剣保存協会の鑑識は、この一門の作を、金象嵌を多用しても格調高く、荘重にして衒いのない品位と完成度を備えたものと評している。清寿円熟の作は技と趣向とがよく協和し、清重の優品は開祖に比肩する域に達するとされ、俊美の作には余白を生かした構図と落ち着いた気韻が認められる。東龍斎派は、後藤・柳川の彫法を摂取しつつ、これを独自の作意へと昇華させ、江戸金工の自立した美意識をもっとも明確に体現した一門といえる。開祖清寿に始まり、清重の継承を経て俊美の明治期の活動へと流派の個性が連綿と保たれたことは、その芸術的気概の確かさを物語っている。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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