大森英秀 第六十七回 重要刀装具 旭日波濤猛禽図 大小縁頭 ウォルター・A・コンプトン博士旧蔵品 【所載・出陳】 ・『One Hundred Masterpieces from the Collection of Dr. Walter A. Compton』1992年 クリスティーズ(ニューヨーク) ・『Japanese Swords & Sword Fittings from the Collection of Dr. Walter A. Compton - Part II』1992年10月22日 ・『Nippon-To: Art Swords of Japan - The Walter A. Compton Collection』1976年 【指定】 令和三年(2021年)十月二十九日 第六十七回 重要刀装具指定 【銘文】 大小共 大森英秀(花押) 【員数】 一組 【寸法】 (大) 縁:長さ 4.1 cm、幅 2.6 cm、高さ 1.5 cm 頭:長さ 3.6 cm、幅 2.0 cm、高さ 1.3 cm (小) 縁:長さ 4.0 cm、幅 2.4 cm、高さ 1.0 cm 頭:長さ 3.5 cm、幅 1.8 cm、高さ 1.2 cm 【様式・法量】 赤銅魚子地 鋤出高彫 金銀四分一据紋象嵌 色絵 【時代】 江戸時代中期〜後期 【解説】 大森英秀は、横谷宗珉の門人である大森英昌を継いだ大森家二代目であり、同派を大きく隆盛させた名工です。彼は「大森波」と称される立体的な波頭の意匠や、金消しを用いた「砂子」の技法、さらには蒔絵を彷彿とさせる「梨子地」象嵌などを編み出し、作品の気品を一層高めました。 本作は、英秀の芸術的表現が凝縮された逸品です。冴えわたる高彫の技法が随所に発揮され、力強い鏨運びによる銘振りとも相まって、英秀の世界観を見事に体現しています。その卓越した技術はまさに彼ならではのものであり、品格に溢れた傑作と評せます。 以上の解説は、第六十七回重要刀装具図譜の記述に基づいています。本作はコンプトン・コレクションの『One Hundred Masterpieces』および『Nippon-To: Art Swords of Japan』にも掲載された著名な一組です。海外における最も高名なコレクションの白眉として、品質・保存状態ともに愛好家垂涎の極致にあります。 特製桐箱、重要刀装具指定書、および図譜の写しが付属いたします。 nihontocraft@bellsouth.net 戻る
大森英秀は横谷宗珉の門人大森英昌を継ぐ大森二代目であり、一派に興隆をもたらした名人である。特に大森浪と呼ばれる独特の立体的な 波濤図や金消技法の砂子象嵌、あるいは梨子象嵌と呼ばれる蒔絵を想起させる技法を編み出して雅な趣を高めている。 本作は英秀の世界観が凝縮された作品である。冴え冴えと効いた高彫の技が随所に展開され、鏨も見事な銘が豪快に切られ、全てが相俟って氏 の英秀の世界が形成された優品である。この技の表出は英秀にしか出来ないと思われるほどの出来の良さが横溢としており、傑出した作品とい えるだろう。

























大森
江戸
在銘
重要 #67 (NBTHK)
町彫 · Edo
現在1点販売中
大森英秀は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した金工家である。横谷宗珉の門人である大森英昌の甥にあたり、後にその養子となって大森派の二代目を継承した。喜惣次と称し、横谷派の中でも有力な一派を築き、一門の興隆に大きく貢献した名人として知られる。
英秀の作風は、赤銅魚子地を高彫色絵で飾ることを得意とし、獅子、動物、鳥類、花卉、人物図など、幅広い題材を手がけた。特に「大森波」と呼ばれる独特の立体的な波濤図は、英秀の代名詞とも言える意匠であり、その卓越した技量を示すものである。また、塵紙象嵌、あるいは梨子地象嵌とも呼ばれる、蒔絵を想起させる金平象嵌の技法を編み出し、作品に雅やかな趣を加えている点も特筆される。作域は、高彫、据文、色絵、平象嵌など多岐にわたり、金、銀、四分一、緋色銅などの素材を巧みに用いて、華麗で迫力のある作風を確立した。銘は、割短冊銘や金象嵌銘など、多様な形式が見られる。
英秀の作品は、「華麗」「迫力」といった言葉で評されることが多い。高彫の冴え、鏨の妙、構図の妙など、あらゆる要素が組み合わさり、英秀ならではの世界観を形成している。その技巧と技術は、狭い区間の中で獅子や牡丹などの意匠を開花させ、見る者を魅了する。また、大森派の作風に留まらず、奈良派の作風を参考にしたり、狩野派の画稿を基に製作するなど、意欲的な試みも行っている。江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者として明確な遺例を残しており、その作は保存状態も良好なものが多く、江戸金工史上、重要な位置を占める。
英秀の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在15点販売中
大森派は、江戸に興った町彫の名門である。祖は横谷宗珉の門人大森英昌であり、十八世紀前半、享保の頃に江戸で一家を成した。英昌の甥で通称を喜惣次という英秀(号龍雨斎)は、英昌に師事してその跡を継ぎ、横谷派の中でも有力な一派を築いて活躍し、審査説明において繰り返し「一派に興隆をもたらした名人」[[c:2]]と称される。英秀在銘の樊噲図鐔に「明和庚寅六月吉日」[[c:3]]の年紀が刻されることは、その円熟期の活動を明示する好資料である。家督はその後、秀永を経て英秀の五男英満へと受け継がれ、門人の秀知が「東都隅田川辺」と製作地を明記するように、一門の本拠は終始江戸の地にあって幕末に至るまで栄えた。 一派の作風の根幹は、赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅・緋色銅等の象嵌色絵を加える彫法にあり、獅子・動物・鳥類・花卉・人物図を好んで彫った。とりわけ英秀は、大森浪と呼ばれる独特の立体的な波濤図を創案し、金消技法の砂子象嵌、あるいは塵紙象嵌とも梨子地象嵌とも呼ばれる蒔絵を想起させる金平象嵌の技法をあみだして雅な趣を高めており、これこそが大森派の眼目である。画題は牡丹獅子、旭日波濤に猛禽、竹に虎、波濤魚尽、宇治川先陣、鴻門の会の樊噲、七福神鶴亀など和漢にわたり、武家に好まれた故事・武者絵を、力強くも細緻な高彫と鮮やかな色絵で描き切るところに「大森流の重厚な高彫」[[c:4]]の本領が示される。代を下った英満は、父祖の彫法を守りながらも時流の変化を受け入れて工夫を凝らしながら一門を繁栄に導き、鉄石目地に鋤出高彫を施した白鷺図大小鐔では狩野洞白愛信の下絵に拠るなど、当時の絵師との交流をも窺わせる。また英満門人の満辰が師銘をもって代作した例も知られ、隆盛した工房制作の実態を今日に伝えている。 大森派の彫技は大名の儀仗にも用いられ、彦根藩主井伊家伝来の金平目地鞘橘紋金具細太刀拵は、英秀一作の金具に井伊家の橘紋を高彫金色絵で配した整緻にして豪華な作であり、江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者の明確な遺例として貴重とされる。門流もまた広く、龍鱗齋大森定兵衛と称した秀知は『江都金工銘譜』に「英秀ノ一弟子也」と記される腕達者であり、水戸分家守山藩士の遅塚久則は英秀に彫金を師事し、『夏雄彫金談』に「賞翫すべき彫法なり。色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」[[c:5]]と評される細密濃麗な象嵌をもって独歩の域に達した。浜野政隨の没後に英秀の門に入った堀江興成は、後に阿波蜂須賀家の抱え工となって一門の子弟を多く養成し、その嫡子興吉に技を伝えた。さらに英秀と秀知に学んだ泉秀寿の存在も知られ、大森の彫法は幕末の町彫金工に広く波及した。立体的な波濤表現と豊麗な高彫色絵を旨とするその様式は、横谷派中屈指の有力な一流として、刀装具史に確固たる地位を占めている。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト3 day inspection period on all sales. Items can be returned for any reason for a full refund, less return shipping cost. Returned items must be in the same condition as when purchased.
$55,000
大森英秀 第六十七回 重要刀装具 旭日波濤猛禽図 大小縁頭 ウォルター・A・コンプトン博士旧蔵品 【所載・出陳】 ・『One Hundred Masterpieces from the Collection of Dr. Walter A. Compton』1992年 クリスティーズ(ニューヨーク) ・『Japanese Swords & Sword Fittings from the Collection of Dr. Walter A. Compton - Part II』1992年10月22日 ・『Nippon-To: Art Swords of Japan - The Walter A. Compton Collection』1976年 【指定】 令和三年(2021年)十月二十九日 第六十七回 重要刀装具指定 【銘文】 大小共 大森英秀(花押) 【員数】 一組 【寸法】 (大) 縁:長さ 4.1 cm、幅 2.6 cm、高さ 1.5 cm 頭:長さ 3.6 cm、幅 2.0 cm、高さ 1.3 cm (小) 縁:長さ 4.0 cm、幅 2.4 cm、高さ 1.0 cm 頭:長さ 3.5 cm、幅 1.8 cm、高さ 1.2 cm 【様式・法量】 赤銅魚子地 鋤出高彫 金銀四分一据紋象嵌 色絵 【時代】 江戸時代中期〜後期 【解説】 大森英秀は、横谷宗珉の門人である大森英昌を継いだ大森家二代目であり、同派を大きく隆盛させた名工です。彼は「大森波」と称される立体的な波頭の意匠や、金消しを用いた「砂子」の技法、さらには蒔絵を彷彿とさせる「梨子地」象嵌などを編み出し、作品の気品を一層高めました。 本作は、英秀の芸術的表現が凝縮された逸品です。冴えわたる高彫の技法が随所に発揮され、力強い鏨運びによる銘振りとも相まって、英秀の世界観を見事に体現しています。その卓越した技術はまさに彼ならではのものであり、品格に溢れた傑作と評せます。 以上の解説は、第六十七回重要刀装具図譜の記述に基づいています。本作はコンプトン・コレクションの『One Hundred Masterpieces』および『Nippon-To: Art Swords of Japan』にも掲載された著名な一組です。海外における最も高名なコレクションの白眉として、品質・保存状態ともに愛好家垂涎の極致にあります。 特製桐箱、重要刀装具指定書、および図譜の写しが付属いたします。 nihontocraft@bellsouth.net 戻る
大森英秀は横谷宗珉の門人大森英昌を継ぐ大森二代目であり、一派に興隆をもたらした名人である。特に大森浪と呼ばれる独特の立体的な 波濤図や金消技法の砂子象嵌、あるいは梨子象嵌と呼ばれる蒔絵を想起させる技法を編み出して雅な趣を高めている。 本作は英秀の世界観が凝縮された作品である。冴え冴えと効いた高彫の技が随所に展開され、鏨も見事な銘が豪快に切られ、全てが相俟って氏 の英秀の世界が形成された優品である。この技の表出は英秀にしか出来ないと思われるほどの出来の良さが横溢としており、傑出した作品とい えるだろう。

























大森
江戸
在銘
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大森英秀は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した金工家である。横谷宗珉の門人である大森英昌の甥にあたり、後にその養子となって大森派の二代目を継承した。喜惣次と称し、横谷派の中でも有力な一派を築き、一門の興隆に大きく貢献した名人として知られる。
英秀の作風は、赤銅魚子地を高彫色絵で飾ることを得意とし、獅子、動物、鳥類、花卉、人物図など、幅広い題材を手がけた。特に「大森波」と呼ばれる独特の立体的な波濤図は、英秀の代名詞とも言える意匠であり、その卓越した技量を示すものである。また、塵紙象嵌、あるいは梨子地象嵌とも呼ばれる、蒔絵を想起させる金平象嵌の技法を編み出し、作品に雅やかな趣を加えている点も特筆される。作域は、高彫、据文、色絵、平象嵌など多岐にわたり、金、銀、四分一、緋色銅などの素材を巧みに用いて、華麗で迫力のある作風を確立した。銘は、割短冊銘や金象嵌銘など、多様な形式が見られる。
英秀の作品は、「華麗」「迫力」といった言葉で評されることが多い。高彫の冴え、鏨の妙、構図の妙など、あらゆる要素が組み合わさり、英秀ならではの世界観を形成している。その技巧と技術は、狭い区間の中で獅子や牡丹などの意匠を開花させ、見る者を魅了する。また、大森派の作風に留まらず、奈良派の作風を参考にしたり、狩野派の画稿を基に製作するなど、意欲的な試みも行っている。江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者として明確な遺例を残しており、その作は保存状態も良好なものが多く、江戸金工史上、重要な位置を占める。
英秀の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
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大森派は、江戸に興った町彫の名門である。祖は横谷宗珉の門人大森英昌であり、十八世紀前半、享保の頃に江戸で一家を成した。英昌の甥で通称を喜惣次という英秀(号龍雨斎)は、英昌に師事してその跡を継ぎ、横谷派の中でも有力な一派を築いて活躍し、審査説明において繰り返し「一派に興隆をもたらした名人」[[c:2]]と称される。英秀在銘の樊噲図鐔に「明和庚寅六月吉日」[[c:3]]の年紀が刻されることは、その円熟期の活動を明示する好資料である。家督はその後、秀永を経て英秀の五男英満へと受け継がれ、門人の秀知が「東都隅田川辺」と製作地を明記するように、一門の本拠は終始江戸の地にあって幕末に至るまで栄えた。 一派の作風の根幹は、赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅・緋色銅等の象嵌色絵を加える彫法にあり、獅子・動物・鳥類・花卉・人物図を好んで彫った。とりわけ英秀は、大森浪と呼ばれる独特の立体的な波濤図を創案し、金消技法の砂子象嵌、あるいは塵紙象嵌とも梨子地象嵌とも呼ばれる蒔絵を想起させる金平象嵌の技法をあみだして雅な趣を高めており、これこそが大森派の眼目である。画題は牡丹獅子、旭日波濤に猛禽、竹に虎、波濤魚尽、宇治川先陣、鴻門の会の樊噲、七福神鶴亀など和漢にわたり、武家に好まれた故事・武者絵を、力強くも細緻な高彫と鮮やかな色絵で描き切るところに「大森流の重厚な高彫」[[c:4]]の本領が示される。代を下った英満は、父祖の彫法を守りながらも時流の変化を受け入れて工夫を凝らしながら一門を繁栄に導き、鉄石目地に鋤出高彫を施した白鷺図大小鐔では狩野洞白愛信の下絵に拠るなど、当時の絵師との交流をも窺わせる。また英満門人の満辰が師銘をもって代作した例も知られ、隆盛した工房制作の実態を今日に伝えている。 大森派の彫技は大名の儀仗にも用いられ、彦根藩主井伊家伝来の金平目地鞘橘紋金具細太刀拵は、英秀一作の金具に井伊家の橘紋を高彫金色絵で配した整緻にして豪華な作であり、江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者の明確な遺例として貴重とされる。門流もまた広く、龍鱗齋大森定兵衛と称した秀知は『江都金工銘譜』に「英秀ノ一弟子也」と記される腕達者であり、水戸分家守山藩士の遅塚久則は英秀に彫金を師事し、『夏雄彫金談』に「賞翫すべき彫法なり。色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」[[c:5]]と評される細密濃麗な象嵌をもって独歩の域に達した。浜野政隨の没後に英秀の門に入った堀江興成は、後に阿波蜂須賀家の抱え工となって一門の子弟を多く養成し、その嫡子興吉に技を伝えた。さらに英秀と秀知に学んだ泉秀寿の存在も知られ、大森の彫法は幕末の町彫金工に広く波及した。立体的な波濤表現と豊麗な高彫色絵を旨とするその様式は、横谷派中屈指の有力な一流として、刀装具史に確固たる地位を占めている。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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