岩本昆寿 重要刀装具 竹に虎図大小鐔 傑作解説 法量: (大)竪:7.45 cm 横:7.12 cm 耳厚:0.36 cm (小)竪:7.14 cm 横:6.79 cm 耳厚:0.36 cm 時代: 江戸時代中期(18世紀後半から19世紀初頭) 系譜: 岩本昆寿は通称を久五郎と称し、江戸の名工・岩本昆寛の門下の中でも、特に優れた高弟として知られています。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の最高位に近い「重要刀装具」に指定された、極めて稀少な大小鐔です。 (注:刀装具における重要審査の基準は非常に厳格であり、卓越した出来映えと高い資料的価値を備えた作品のみが合格を許されます。) 古来、鐔や目貫、縁頭、小柄、笄などの刀装具において、虎の意匠は武士の強さ、勇気、そして守護の象徴として好んで用いられました。 本作における虎の描写は写実を極めており、特に一体の虎が身を屈め、右後脚のあたりから後ろを振り返る姿は、作者の並外れた技量と構成力を如実に示しています。 また「竹に虎」の取り合わせは、古来より最も親しまれてきた吉祥図案の一つです。竹は冬でも青々とした葉を失わず、強風に撓んでも折れないことから、不屈の精神、誠実、そして長寿の象徴とされています。 重要刀装具指定解説: 平成17年(2005年)10月13日 第51回重要刀装具指定 竹に虎図大小鐔 大小銘:岩本昆寿(花押) 栃木県 大塚源市 蔵 品質形状: 竪丸形 赤銅磨地 一部魚子地 鋤下彫 高彫据紋 金銀四分一象嵌 価格:お問い合わせください(諸条件あり)
岩本昆寿は、江戸麹町に住み、名工昆寛の門人として活躍した。作風は昆寛に似て彫口が引き締まり、 色絵の手法も象嵌方式が多い。 本作は、赤銅の地面に鋤出彫、鋤下彫、据文を併用し、竹林の虎を描いた大小鐔である。 表から繋がる裏面の竹林には隙間なく竹を配し、 中 央の幹は太く、左右のそれは細く描くことにより、 画面に遠近をもたせて、うっそうと生い繁る竹林の奥深さをよく表現している。入念な鏨使 いの彫口には、同工の技術の高さが存分に窺え、意匠・彫技共に完成度の高い同作中の優品である。









昆寿
江戸
在銘
重要 #51 (NBTHK)
岩本昆寿は、江戸麹町に住み、名工昆寛の門人として活躍した。作風は昆寛に似て彫口が引き締まり、 色絵の手法も象嵌方式が多い。 本作は、赤銅の地面に鋤出彫、鋤下彫、据文を併用し、竹林の虎を描いた大小鐔である。 表から繋がる裏面の竹林には隙間なく竹を配し、 中 央の幹は太く、左右のそれは細く描くことにより、 画面に遠近をもたせて、うっそうと生い繁る竹林の奥深さをよく表現している。入念な鏨使 いの彫口には、同工の技術の高さが存分に窺え、意匠・彫技共に完成度の高い同作中の優品である。
町彫 · 武蔵 · 1670頃
現在1点販売中
昆寿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在11点販売中
岩本派は、江戸に本拠を置いた町彫金工の一家であり、十八世紀初頭、横谷派に学んだ岩本忠兵衛を祖として興り、以後八代にわたって家系を継承した。審査説明に繰り返し記される如く、「岩本家は元来、横谷派である」[[c:2]]が、同家の歴史を画するのは六代目の継承である。五代目良寛が早世したため、弟弟子である昆寛が岩本家の六代目を継いだ。昆寛は延享元年に江戸で生まれ、本姓は浅井氏で、はじめ良(良云)といい、のち昆寛と改めた。横谷派の家系を継ぎながら、昆寛は安親を主とした奈良派の彫法を研究し、横谷・奈良派の長所を取り入れて完成したものが、江戸前のいかにも粋な昆寛の芸術である。銘には「春曙堂昆寛」「白峯亭岩本昆寛」の号銘も見られる。その後、通称を喜十郎という寛利が、はじめ昆寛の弟子で、後にその養子となって岩本家七代目を継ぎ、また江戸麹町に住した昆寿も名工昆寛の門人として活躍しており、一門の広がりを伝えている。 一門の作風は、横谷派の彫技と奈良派の彫法との融合の上に成り立つ。基調をなすのは赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅の据紋象嵌色絵を加える手法であるが、現存する重要刀装具には、四分一磨地、鉄磨地、赤銅・四分一の縮緬石目地、真鍮石目地、金地など多彩な地金・地肌が認められ、鋤出高彫・鋤下彫・肉彫地透・毛彫、さらに青貝嵌入(魚の目に青貝を嵌め込む例もある)を自在に併用している。独特の三角鏨は一門の見所として説明中に度々指摘され、余白を巧妙に使用した絶妙な構図と配置、表裏の対照を計算した画面構成も特色である。画題は写生に根ざした自然物を得意とし、鱗の一枚一枚まで表現した彫りの精緻性をもって「魚があたかも一匹一匹種類が特定出来るほどの精緻さ」[[c:3]]と評される魚尽をはじめ、芦に白鷺、月下の雉子、藻鯉、鵜飼や調布玉川の風景、獅子、蘭、菊花、雲龍、さらに大日如来や仁王といった仏教的画題にまで及ぶ。昆寛は「写生派としても一流であった」[[c:4]]と評される一方、葵紋を手がけて揃いとした一作金具の打刀拵の如く、注文による正統派の仕事においても、赤銅魚子地、高彫、金色絵という伝統の技法のうちに存分に高い技術を顕示している。 岩本派の名声は、何よりも六代昆寛によって確立された。昆寛は岩本家を継いだ江戸金工の大家であり、常に「江戸前の粋」という言葉で賞される工人であって、その作は津軽家伝来、酒井伯爵家伝来の品が知られるなど、大名家においても珍重された。多彩にして多作なその芸術は後代に範を示し、七代寛利は師風をよく踏襲して昆寛に次いで力作を遺し、門人昆寿も作風は昆寛に似て彫口が引き締まり、色絵の手法も象嵌方式が多いと評されるなど、師の技法を確実に受け継いだ。横谷・奈良両派の長所を取り入れて江戸前のいかにも粋な作風を確立した岩本派は、江戸時代中期から後期の町彫金工を代表する一門として、刀装具史上に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
| 刀工 | 時代 | 指定 |
|---|---|---|
| 昆寛 | — | 51 |
| 寛利 | 1670 | 3 |
| 政克 (Masamoto | — | 0 |
| 宗栄 | — | 0 |
| 一寛 | — | 0 |
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトPurchases are final and items cannot be returned unless otherwise stated.
岩本昆寿 重要刀装具 竹に虎図大小鐔 傑作解説 法量: (大)竪:7.45 cm 横:7.12 cm 耳厚:0.36 cm (小)竪:7.14 cm 横:6.79 cm 耳厚:0.36 cm 時代: 江戸時代中期(18世紀後半から19世紀初頭) 系譜: 岩本昆寿は通称を久五郎と称し、江戸の名工・岩本昆寛の門下の中でも、特に優れた高弟として知られています。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の最高位に近い「重要刀装具」に指定された、極めて稀少な大小鐔です。 (注:刀装具における重要審査の基準は非常に厳格であり、卓越した出来映えと高い資料的価値を備えた作品のみが合格を許されます。) 古来、鐔や目貫、縁頭、小柄、笄などの刀装具において、虎の意匠は武士の強さ、勇気、そして守護の象徴として好んで用いられました。 本作における虎の描写は写実を極めており、特に一体の虎が身を屈め、右後脚のあたりから後ろを振り返る姿は、作者の並外れた技量と構成力を如実に示しています。 また「竹に虎」の取り合わせは、古来より最も親しまれてきた吉祥図案の一つです。竹は冬でも青々とした葉を失わず、強風に撓んでも折れないことから、不屈の精神、誠実、そして長寿の象徴とされています。 重要刀装具指定解説: 平成17年(2005年)10月13日 第51回重要刀装具指定 竹に虎図大小鐔 大小銘:岩本昆寿(花押) 栃木県 大塚源市 蔵 品質形状: 竪丸形 赤銅磨地 一部魚子地 鋤下彫 高彫据紋 金銀四分一象嵌 価格:お問い合わせください(諸条件あり)
岩本昆寿は、江戸麹町に住み、名工昆寛の門人として活躍した。作風は昆寛に似て彫口が引き締まり、 色絵の手法も象嵌方式が多い。 本作は、赤銅の地面に鋤出彫、鋤下彫、据文を併用し、竹林の虎を描いた大小鐔である。 表から繋がる裏面の竹林には隙間なく竹を配し、 中 央の幹は太く、左右のそれは細く描くことにより、 画面に遠近をもたせて、うっそうと生い繁る竹林の奥深さをよく表現している。入念な鏨使 いの彫口には、同工の技術の高さが存分に窺え、意匠・彫技共に完成度の高い同作中の優品である。









昆寿
江戸
在銘
重要 #51 (NBTHK)
岩本昆寿は、江戸麹町に住み、名工昆寛の門人として活躍した。作風は昆寛に似て彫口が引き締まり、 色絵の手法も象嵌方式が多い。 本作は、赤銅の地面に鋤出彫、鋤下彫、据文を併用し、竹林の虎を描いた大小鐔である。 表から繋がる裏面の竹林には隙間なく竹を配し、 中 央の幹は太く、左右のそれは細く描くことにより、 画面に遠近をもたせて、うっそうと生い繁る竹林の奥深さをよく表現している。入念な鏨使 いの彫口には、同工の技術の高さが存分に窺え、意匠・彫技共に完成度の高い同作中の優品である。
町彫 · 武蔵 · 1670頃
現在1点販売中
昆寿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
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岩本派は、江戸に本拠を置いた町彫金工の一家であり、十八世紀初頭、横谷派に学んだ岩本忠兵衛を祖として興り、以後八代にわたって家系を継承した。審査説明に繰り返し記される如く、「岩本家は元来、横谷派である」[[c:2]]が、同家の歴史を画するのは六代目の継承である。五代目良寛が早世したため、弟弟子である昆寛が岩本家の六代目を継いだ。昆寛は延享元年に江戸で生まれ、本姓は浅井氏で、はじめ良(良云)といい、のち昆寛と改めた。横谷派の家系を継ぎながら、昆寛は安親を主とした奈良派の彫法を研究し、横谷・奈良派の長所を取り入れて完成したものが、江戸前のいかにも粋な昆寛の芸術である。銘には「春曙堂昆寛」「白峯亭岩本昆寛」の号銘も見られる。その後、通称を喜十郎という寛利が、はじめ昆寛の弟子で、後にその養子となって岩本家七代目を継ぎ、また江戸麹町に住した昆寿も名工昆寛の門人として活躍しており、一門の広がりを伝えている。 一門の作風は、横谷派の彫技と奈良派の彫法との融合の上に成り立つ。基調をなすのは赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅の据紋象嵌色絵を加える手法であるが、現存する重要刀装具には、四分一磨地、鉄磨地、赤銅・四分一の縮緬石目地、真鍮石目地、金地など多彩な地金・地肌が認められ、鋤出高彫・鋤下彫・肉彫地透・毛彫、さらに青貝嵌入(魚の目に青貝を嵌め込む例もある)を自在に併用している。独特の三角鏨は一門の見所として説明中に度々指摘され、余白を巧妙に使用した絶妙な構図と配置、表裏の対照を計算した画面構成も特色である。画題は写生に根ざした自然物を得意とし、鱗の一枚一枚まで表現した彫りの精緻性をもって「魚があたかも一匹一匹種類が特定出来るほどの精緻さ」[[c:3]]と評される魚尽をはじめ、芦に白鷺、月下の雉子、藻鯉、鵜飼や調布玉川の風景、獅子、蘭、菊花、雲龍、さらに大日如来や仁王といった仏教的画題にまで及ぶ。昆寛は「写生派としても一流であった」[[c:4]]と評される一方、葵紋を手がけて揃いとした一作金具の打刀拵の如く、注文による正統派の仕事においても、赤銅魚子地、高彫、金色絵という伝統の技法のうちに存分に高い技術を顕示している。 岩本派の名声は、何よりも六代昆寛によって確立された。昆寛は岩本家を継いだ江戸金工の大家であり、常に「江戸前の粋」という言葉で賞される工人であって、その作は津軽家伝来、酒井伯爵家伝来の品が知られるなど、大名家においても珍重された。多彩にして多作なその芸術は後代に範を示し、七代寛利は師風をよく踏襲して昆寛に次いで力作を遺し、門人昆寿も作風は昆寛に似て彫口が引き締まり、色絵の手法も象嵌方式が多いと評されるなど、師の技法を確実に受け継いだ。横谷・奈良両派の長所を取り入れて江戸前のいかにも粋な作風を確立した岩本派は、江戸時代中期から後期の町彫金工を代表する一門として、刀装具史上に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
| 刀工 | 時代 | 指定 |
|---|---|---|
| 昆寛 | — | 51 |
| 寛利 | 1670 | 3 |
| 政克 (Masamoto | — | 0 |
| 宗栄 | — | 0 |
| 一寛 | — | 0 |
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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