銘:折紙銘 久則(花押) 久則(1725-1795)は、水戸徳川家の支藩である守山藩の藩士です。大森派の巨匠、大森英秀に師事し彫金を学びました。『守山藩士略伝』によれば、その人となりは「性質温良にして、しかも規律に厳格なり」と評され、三代藩主・松平頼寛、四代・頼亮に小姓として仕え、三十石を食んでいました。 武士としての矜持を持ちつつ彫金に打ち込んだ久則の作風は、精緻かつ華麗な象嵌細工に独創性があり、当時から高い評価を得ていました。特に人物や鳥の描写に秀でており、本作はその特徴が遺憾なく発揮された傑作です。 地金は異例なほど肉厚で量感に溢れ、雌鶏の頭部は裏側にまで達する高彫りによって、圧倒的な立体感を生み出しています。その構図は生命力に満ち、今にも鳥たちが動き出しそうなほどの躍動感を湛えています。 銘:折紙銘 久則(花押) 雌雄鶏図
遅塚久則(享保十~寛政七)は水戸分家の守山藩士で、彫金は大森英秀に師事した。『守山藩士略伝』に拠れば、「資性温厚にして謹厳、三代 頼寛・四代頼亮の二侯に仕え、小姓となって三十石を給わる」とあり、また『夏雄彫金談』では「その姓を刻せしもの未見。賞翫すべき彫法なり。 色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」とある。久則は武人の誇りを持って彫技に励み、細密濃麗な象嵌は独歩の域に達して世人の喝采を博した。 久則は孔雀や鳳凰などの鳥類や人物の緻密な意匠を得意とし、本作もその典型的な彫口を示した目貫である。地金は厚手で肉置が豊かで、 からのだしと表からのへし込みが強調され、腰の部分はくくり込むようになって総体に丸味のある形状となり、鶏の顔は裏側まで丸彫に彫り込 むなど一段と立体的になって、今にも動き出しそうな躍動感に溢れた作品となっている。










遅塚久則
Kyōhō–Kansei (1725-1795)
在銘
重要 #70 (NBTHK)
町彫 · 1725-1795頃
現在1点販売中
遅塚久則(おそづかひさのり)は、享保十年(1725)に江戸に生まれ、寛政七年(1795)に没した。水戸徳川家の支藩である守山藩の藩士であり、有福の家に育ったと伝わる。『守山藩士略伝』によれば、「資性温厚にして謹厳、三代頼寛・四代頼亮の二侯に仕え、小姓となって三十石を給わる」[[c:1]]とある。彫金は大森英秀に師事し、二十八歳から刀装具の彫技を始めたとされる。
久則の作風は、赤銅地を高彫、容彫とし、金、銀、赤銅、素銅などを用いた象嵌色絵を多用する点に特色がある。特に孔雀や鳳凰などの鳥類や人物の意匠を得意とし、その表現は細密濃麗である。目貫の造形には独特のものがあり、地金は厚手で肉置がむっくりとし、裏からのだしと表からのへし込みが強調され、腰の部分はくくり込むようになって総体に丸味がある形状となる。鳥の顔は丸彫風に彫り込むなど、一段と立体的に表現される点も特徴として挙げられる。また、小柄や縁頭においては、赤銅魚子地を高彫とし、据紋象嵌色絵や金消象嵌を施す作例が見られる。色絵は丁寧で極彩風の仕立てであり、その緻密さは他の追随を許さないと評される。
久則の作品は、武人の誇りを持って彫技に励み、細密濃麗な象嵌は独歩の域に達して世人の喝采を博したと評される。その作は「賞翫すべき彫法」であり、「色絵丁寧にして極彩風の仕方」[[c:2]]であると評され、総体に高彫が効かされ、メリハリのある出来となっている。鳥を題材とした作品においては、濃密な出来となり、彫技も卓抜であり、すぐれて立体感に富む出来となっている。全体的に今にも動き出しそうな躍動感が感じられ、嘴や鶏冠の現実感は筆舌に尽くしがたいと評される。人物の顔を丸彫にして動くようにし、鹿の角を動かすなどからくり人形を思わせる遊び心のある作例も見られ、久則の才智と華麗な彩色象嵌を極めた作として評価されている。
遅塚久則の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在13点販売中
大森派は、江戸に興った町彫の名門である。祖は横谷宗珉の門人大森英昌であり、十八世紀前半、享保の頃に江戸で一家を成した。英昌の甥で通称を喜惣次という英秀(号龍雨斎)は、英昌に師事してその跡を継ぎ、横谷派の中でも有力な一派を築いて活躍し、審査説明において繰り返し「一派に興隆をもたらした名人」と称される。英秀在銘の樊噲図鐔に「明和庚寅六月吉日」の年紀が刻されることは、その円熟期の活動を明示する好資料である。家督はその後、秀永を経て英秀の五男英満へと受け継がれ、門人の秀知が「東都隅田川辺」と製作地を明記するように、一門の本拠は終始江戸の地にあって幕末に至るまで栄えた。 一派の作風の根幹は、赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅・緋色銅等の象嵌色絵を加える彫法にあり、獅子・動物・鳥類・花卉・人物図を好んで彫った。とりわけ英秀は、大森浪と呼ばれる独特の立体的な波濤図を創案し、金消技法の砂子象嵌、あるいは塵紙象嵌とも梨子地象嵌とも呼ばれる蒔絵を想起させる金平象嵌の技法をあみだして雅な趣を高めており、これこそが大森派の眼目である。画題は牡丹獅子、旭日波濤に猛禽、竹に虎、波濤魚尽、宇治川先陣、鴻門の会の樊噲、七福神鶴亀など和漢にわたり、武家に好まれた故事・武者絵を、力強くも細緻な高彫と鮮やかな色絵で描き切るところに「大森流の重厚な高彫」の本領が示される。代を下った英満は、父祖の彫法を守りながらも時流の変化を受け入れて工夫を凝らしながら一門を繁栄に導き、鉄石目地に鋤出高彫を施した白鷺図大小鐔では狩野洞白愛信の下絵に拠るなど、当時の絵師との交流をも窺わせる。また英満門人の満辰が師銘をもって代作した例も知られ、隆盛した工房制作の実態を今日に伝えている。 大森派の彫技は大名の儀仗にも用いられ、彦根藩主井伊家伝来の金平目地鞘橘紋金具細太刀拵は、英秀一作の金具に井伊家の橘紋を高彫金色絵で配した整緻にして豪華な作であり、江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者の明確な遺例として貴重とされる。門流もまた広く、龍鱗齋大森定兵衛と称した秀知は『江都金工銘譜』に「英秀ノ一弟子也」と記される腕達者であり、水戸分家守山藩士の遅塚久則は英秀に彫金を師事し、『夏雄彫金談』に「賞翫すべき彫法なり。色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」と評される細密濃麗な象嵌をもって独歩の域に達した。浜野政隨の没後に英秀の門に入った堀江興成は、後に阿波蜂須賀家の抱え工となって一門の子弟を多く養成し、その嫡子興吉に技を伝えた。さらに英秀と秀知に学んだ泉秀寿の存在も知られ、大森の彫法は幕末の町彫金工に広く波及した。立体的な波濤表現と豊麗な高彫色絵を旨とするその様式は、横谷派中屈指の有力な一流として、刀装具史に確固たる地位を占めている。
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内にご連絡ください。その際の送料はお客様ご負担とさせていただきます。ご返金は、商品到着後お送りしたときと同じ状態であることを確認の上、翌日ご指定の口座にお振込みさせていただきます。
銘:折紙銘 久則(花押) 久則(1725-1795)は、水戸徳川家の支藩である守山藩の藩士です。大森派の巨匠、大森英秀に師事し彫金を学びました。『守山藩士略伝』によれば、その人となりは「性質温良にして、しかも規律に厳格なり」と評され、三代藩主・松平頼寛、四代・頼亮に小姓として仕え、三十石を食んでいました。 武士としての矜持を持ちつつ彫金に打ち込んだ久則の作風は、精緻かつ華麗な象嵌細工に独創性があり、当時から高い評価を得ていました。特に人物や鳥の描写に秀でており、本作はその特徴が遺憾なく発揮された傑作です。 地金は異例なほど肉厚で量感に溢れ、雌鶏の頭部は裏側にまで達する高彫りによって、圧倒的な立体感を生み出しています。その構図は生命力に満ち、今にも鳥たちが動き出しそうなほどの躍動感を湛えています。 銘:折紙銘 久則(花押) 雌雄鶏図
遅塚久則(享保十~寛政七)は水戸分家の守山藩士で、彫金は大森英秀に師事した。『守山藩士略伝』に拠れば、「資性温厚にして謹厳、三代 頼寛・四代頼亮の二侯に仕え、小姓となって三十石を給わる」とあり、また『夏雄彫金談』では「その姓を刻せしもの未見。賞翫すべき彫法なり。 色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」とある。久則は武人の誇りを持って彫技に励み、細密濃麗な象嵌は独歩の域に達して世人の喝采を博した。 久則は孔雀や鳳凰などの鳥類や人物の緻密な意匠を得意とし、本作もその典型的な彫口を示した目貫である。地金は厚手で肉置が豊かで、 からのだしと表からのへし込みが強調され、腰の部分はくくり込むようになって総体に丸味のある形状となり、鶏の顔は裏側まで丸彫に彫り込 むなど一段と立体的になって、今にも動き出しそうな躍動感に溢れた作品となっている。










遅塚久則
Kyōhō–Kansei (1725-1795)
在銘
重要 #70 (NBTHK)
町彫 · 1725-1795頃
現在1点販売中
遅塚久則(おそづかひさのり)は、享保十年(1725)に江戸に生まれ、寛政七年(1795)に没した。水戸徳川家の支藩である守山藩の藩士であり、有福の家に育ったと伝わる。『守山藩士略伝』によれば、「資性温厚にして謹厳、三代頼寛・四代頼亮の二侯に仕え、小姓となって三十石を給わる」[[c:1]]とある。彫金は大森英秀に師事し、二十八歳から刀装具の彫技を始めたとされる。
久則の作風は、赤銅地を高彫、容彫とし、金、銀、赤銅、素銅などを用いた象嵌色絵を多用する点に特色がある。特に孔雀や鳳凰などの鳥類や人物の意匠を得意とし、その表現は細密濃麗である。目貫の造形には独特のものがあり、地金は厚手で肉置がむっくりとし、裏からのだしと表からのへし込みが強調され、腰の部分はくくり込むようになって総体に丸味がある形状となる。鳥の顔は丸彫風に彫り込むなど、一段と立体的に表現される点も特徴として挙げられる。また、小柄や縁頭においては、赤銅魚子地を高彫とし、据紋象嵌色絵や金消象嵌を施す作例が見られる。色絵は丁寧で極彩風の仕立てであり、その緻密さは他の追随を許さないと評される。
久則の作品は、武人の誇りを持って彫技に励み、細密濃麗な象嵌は独歩の域に達して世人の喝采を博したと評される。その作は「賞翫すべき彫法」であり、「色絵丁寧にして極彩風の仕方」[[c:2]]であると評され、総体に高彫が効かされ、メリハリのある出来となっている。鳥を題材とした作品においては、濃密な出来となり、彫技も卓抜であり、すぐれて立体感に富む出来となっている。全体的に今にも動き出しそうな躍動感が感じられ、嘴や鶏冠の現実感は筆舌に尽くしがたいと評される。人物の顔を丸彫にして動くようにし、鹿の角を動かすなどからくり人形を思わせる遊び心のある作例も見られ、久則の才智と華麗な彩色象嵌を極めた作として評価されている。
遅塚久則の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在13点販売中
大森派は、江戸に興った町彫の名門である。祖は横谷宗珉の門人大森英昌であり、十八世紀前半、享保の頃に江戸で一家を成した。英昌の甥で通称を喜惣次という英秀(号龍雨斎)は、英昌に師事してその跡を継ぎ、横谷派の中でも有力な一派を築いて活躍し、審査説明において繰り返し「一派に興隆をもたらした名人」と称される。英秀在銘の樊噲図鐔に「明和庚寅六月吉日」の年紀が刻されることは、その円熟期の活動を明示する好資料である。家督はその後、秀永を経て英秀の五男英満へと受け継がれ、門人の秀知が「東都隅田川辺」と製作地を明記するように、一門の本拠は終始江戸の地にあって幕末に至るまで栄えた。 一派の作風の根幹は、赤銅魚子地に高彫を施し、金・銀・四分一・素銅・緋色銅等の象嵌色絵を加える彫法にあり、獅子・動物・鳥類・花卉・人物図を好んで彫った。とりわけ英秀は、大森浪と呼ばれる独特の立体的な波濤図を創案し、金消技法の砂子象嵌、あるいは塵紙象嵌とも梨子地象嵌とも呼ばれる蒔絵を想起させる金平象嵌の技法をあみだして雅な趣を高めており、これこそが大森派の眼目である。画題は牡丹獅子、旭日波濤に猛禽、竹に虎、波濤魚尽、宇治川先陣、鴻門の会の樊噲、七福神鶴亀など和漢にわたり、武家に好まれた故事・武者絵を、力強くも細緻な高彫と鮮やかな色絵で描き切るところに「大森流の重厚な高彫」の本領が示される。代を下った英満は、父祖の彫法を守りながらも時流の変化を受け入れて工夫を凝らしながら一門を繁栄に導き、鉄石目地に鋤出高彫を施した白鷺図大小鐔では狩野洞白愛信の下絵に拠るなど、当時の絵師との交流をも窺わせる。また英満門人の満辰が師銘をもって代作した例も知られ、隆盛した工房制作の実態を今日に伝えている。 大森派の彫技は大名の儀仗にも用いられ、彦根藩主井伊家伝来の金平目地鞘橘紋金具細太刀拵は、英秀一作の金具に井伊家の橘紋を高彫金色絵で配した整緻にして豪華な作であり、江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者の明確な遺例として貴重とされる。門流もまた広く、龍鱗齋大森定兵衛と称した秀知は『江都金工銘譜』に「英秀ノ一弟子也」と記される腕達者であり、水戸分家守山藩士の遅塚久則は英秀に彫金を師事し、『夏雄彫金談』に「賞翫すべき彫法なり。色絵丁寧にして極彩風の仕方なり」と評される細密濃麗な象嵌をもって独歩の域に達した。浜野政隨の没後に英秀の門に入った堀江興成は、後に阿波蜂須賀家の抱え工となって一門の子弟を多く養成し、その嫡子興吉に技を伝えた。さらに英秀と秀知に学んだ泉秀寿の存在も知られ、大森の彫法は幕末の町彫金工に広く波及した。立体的な波濤表現と豊麗な高彫色絵を旨とするその様式は、横谷派中屈指の有力な一流として、刀装具史に確固たる地位を占めている。
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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