後藤家14代後藤光守によって後藤家初代祐乗の作品と極められた特別保存刀装具指定作品。 後藤家初代祐乗は永享十二年(1440年)に生まれ、幼名は経光丸、通称を四郎兵衛尉と呼び、将軍足利義政に仕えた日本彫金師の元祖と称えられる名工である。後藤家の歴代は以後明治に至るまで長い時を各将軍家の御用を務める名誉に賜り、装剣金工の本家となったことから御家彫、御家流と尊称されている。永正九年(1512年)73歳で没したという。 本作は林檎をモチーフにした実に珍しい図柄の小柄である。林檎は古代中国から日本に伝来したと云われ、平安時代の書物には既に記述がみられる。戦国時代には大名家での贈答品として用いられた記録がまま残されており、上流階級で珍重されていた様子を窺い知ることができる。西洋絵画では古来よく扱われるモチーフであるが、日本でも室町時代にすでに祐乗の手によって画題として用いられていたというのは興味深い事実である。高彫で彫り出された林檎の実は一見簡単に見えるが、たわわに実った様子が見事に描き出され、後藤家らしい上質な赤銅の漆黒により実に格調高く纏められた逸品である。




後藤祐乗
室町
在銘
特別保存 (NBTHK)
販売店の記載のまま
家彫 · 山城 · 1440-1512頃
後藤家初代祐乗は、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛されている。将軍足利義政に仕え、東山文化の一翼を担い、その作品も東山御物として数多く取り上げられた。従って、後世に名を残した名工は、挙って後藤家の祐乗に範をとっている。生歿年は永享十二年に生まれ、永正九年に七十三歳で歿した説が有力である。説明はまた、義政の側近として近江国坂本郷の中に食邑三百町を支給され、法眼をへて法印に叙されたと記し、後藤家を初代祐乗以来十七代典乗にいたるまで歴代の将軍家に仕えた装剣金工の宗家とする。
画題は獅子と龍を主とし、説明は龍を後藤家御家彫の伝統的な画題とし、その様式はこの祐乗が考案したといわれているとする。目貫は金無垢地または赤銅地の容彫で、小柄・笄は赤銅魚子地に金紋を高彫に据え、裏を哺金とする。説明は繰り返し、丸味をおびた豊かな肉置に味わいがあり、「鏨運びが雄渾でいかにも力強い」[[c:1]]と記す。
祐乗と鑑るべき特色として、説明は額の皺の八文字が先端で繋がること、桧垣べしの鱗、玉をつかむ鋭い爪、手首足首の隆起と五本のなめくり鑽、角の三角鏨、耳に切り掛け鑚のないことを挙げる。目貫の裏の陰陽根添え根付、いわゆる二つ根は室町時代中期以前の作品に稀に見受けるもので、「後藤家でこの特徴を有するのは祐乗だけ」[[c:2]]であり、祐乗の目貫でも稀に見られるという。
自身銘の作はなく、その作は七代顕乗、程乗、廉乗、通乗光寿、寿乗光理、延乗光孝、桂乗光守ら後代当主の極め銘と折紙によって知られ、代付は千貫、千二百貫に及ぶ。程乗が片目貫を彫足した猿目貫について、説明は程乗の技術も非凡であるが、きわだのまくれ込んだ具合と裏行きの差は及び難いとする。赤銅一色の這龍目貫は「丸木橋図三所物」「濡烏笄」の域に迫る作とされ、「時代感溢れる摩耗の状態」[[c:3]]がその実力を確かなものとしたと評される。特別重要刀装具の金獅子三所物は「後藤家の真髄を披露する一作である」[[c:4]]とされる。
指定は特別重要刀装具四点、重要刀装具三十七点の計四十一点で、国宝・重要文化財はない。伝来は大徳川家、鴻池家、佐竹家、津軽家、鍋島家に及び、柳沢出羽守から酒井左衛門尉に譲られたという書付を伴う三所物もある。獅子目貫の一組について説明は「丸味をおびた豊かな肉置きに味わいがあり、出来が優れている」[[c:5]]と記す。
後藤祐乗の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · 山城
時期区分: 古後藤· 1440–1573
現在317点販売中
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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