後藤家三代目乗真は二代宗乗の嫡男で、初代祐乗の孫にあたる。説明書によれば永正十年の生まれで、俗名を二郎、諱は吉久、のち源四郎治光と称した。将軍足利義晴・義輝の二公に彫金と財政の業務をかねて仕え、初代祐乗以来相続してきた近江国坂本の所領三百町を有し、後年は法眼に叙せられた。北近江の浅井氏と確執があり、永禄五年(1562年)、五十一歳で討死した。説明書はその生涯と作を結びつけ、「乗真は武人であり、性質もいたって剛勇であった」と記す。
その気質から、説明書はほとんど全ての指定作に繰り返す特色を導く。すなわち「作品は大振りで力強く、額面いっぱいに彫るのが特徴とされている」。地は後藤家の赤銅魚子地で、高彫に金うっとり色絵を施し、金紋は肉置き豊かで力強い。ある三所物について説明書は、個々の金紋が大振りで力強く「三角鏨も一段と鮮明である」とする。
その肉取りは『装剣奇賞』の言葉で語られる。「乗真の鏨のあとはするどく、山高く谷深うして凛然たる手際なり」。この言葉は記録に繰り返し現れる。金無垢容彫の二匹獅子の目貫では山高く谷低しという肉置が見事とされ、馬具図の作では「山高く谷深い肉取りも乗真の独壇場で」あるとされる。
画題はまず後藤家の掟物で、倶利迦羅龍・獅子・這龍などは各代の工人がそれぞれ個性的に製作してきた。説明書は乗真の倶利迦羅を祐乗のそれと比べ、作柄が大きく鏨に力感が溢れているとする。これに武人の工らしい尚武の画題が並ぶ。馬具図、そして弓矢に茗荷と蟻を配して「弓矢に茗荷有り」と解く図である。小柄と笄には鉄砲と火薬入れ・火縄・玉など鉄砲一式を額面いっぱいに彫り上げたものがあり、その鉄砲は乗真の存命中、天文十二年(1543年)に種子島に伝来した。ほかに川藻に鯰、竹に虎豹、水鳥、鶏、そして橋に岩水滝図の六所物がある。
乗真の作はほとんど無銘で、後代の後藤家当主の極めに拠る。程乗・顕乗・廉乗・通乗・光孝・光守らが折紙を書き、あるいは「紋乗真」の極め銘を切り、いくつかの揃物は彼らによって補われた。倶利伽羅龍図の笄は金紋が乗真、下地は六代栄乗が彫り足したものと極められ、倶利迦羅の三所物では程乗が乗真の笄に揃えて小柄と目貫を彫り足している。説明書はまた、「上三代といわれる室町期の小柄は稀有であり、殆どが笄直し及び紋のみ転用したものである」とする。ある笄の銘「後藤(花押)」について、説明書は「後藤家最古のものであり、上三代唯一のものでもある」と記す。
指定の記録は特別重要刀装具五点、重要刀装具六十二点、重要美術品一点で、国宝・重要文化財はない。説明書の伝える伝来は大名家と豪商である。特別重要刀装具の六所物は加賀国大前田家に伝わり、鶏図三所物は「大阪の豪商鴻池家伝来である」。ほかに松平家・津軽家・前田家を経たものがあり、昭和二十四年に細川護立の所蔵として認定された猿猴捕月の三所物は現在永青文庫にある。上三代の後藤の作はいずれの格でも稀で、乗真の笄や目貫が市場に現れるのは時折のことであり、揃物よりも単品であることが多い。