説明

【解説】 荒木東明(1817-1870)は、幕末期を代表する京都の金工師です。文化14年(1817年)、京都の米商の家に生まれました。丑年生まれであった東明は、当時の慣習に従い他家へ養子に出され、家業の米屋は弟が継ぐこととなりました。しかし、この数奇な運命こそが、後の金工界に不世出の名工を生むきっかけとなったのです。 13歳で京都後藤家(勘兵衛家)の九代・後藤東乗に弟子入りし、後に幕府や皇室の御用を務めた史上最高の名工の一人、後藤一乗の門下となりました。 東明は、自ら考案した特殊な鏨(たがね)を駆使し、粟の穂を極めて写実的かつ立体的に表現する技法でその名を馳せました。また、絵師の林蘭雅とも親交があり、彼から絵画を学んだことが、その卓越した意匠構成に大きな影響を与えています。 【参考文献】 Markus Sesko著 『The Japanese tōsō-kinkō Schools』 (2012年) 81-82頁 Darcy Brockbank著 『Description of a fuchi/kashira by Araki Tōmei』 荒木東明は同時代の金工師の中でも屈指の実力を誇り、熟練のコレクターの間で非常に高く評価されています。現存する作品の多くは、目貫、小柄、鍔などの単品、あるいはそれらが箱に収められた状態で伝わっています。地鉄は赤銅地が一般的であり、鉄地の作品は極めて稀少です。本作のように、東明の手による一作(揃い)の金具で設えられた「揃い金具」の拵は、市場でも滅多に見ることのできない極めて貴重な遺例といえます。 【内容】 脇差拵 一式 (縁、頭、目貫、鍔、笄、小柄、栗形、鐺) 本作は、栗形と鐺(赤銅魚子地)、および目貫(金無垢)を除き、すべての金具が鉄地で統一されています。 各所には、東明の代名詞ともいえる「粟穂」の図が、黄金色に輝く高彫で精緻に施されています。また、笄と小柄の裏板には、使い込まれた風合いを再現した「猫掻(ねこがき)」の金着が施されており、細部に至るまで隙のない仕上がりを見せています。 鍔、縁、笄、小柄には、東明の典型的な銘である「吟松亭東明」の銘が鮮明に刻まれています。

Araki Tōmei wakizashi koshirae
Tokuho

Araki Tōmei wakizashi koshirae

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Araki Tomei東明

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荒木東明は文化十四年(1817)に京都で生まれた。十三歳の時、後藤東乗に師事し「東」の一字を許されて東明と名乗り、後に後藤一乗の門に学び「一斎」の工名を許されて一斎東明と銘している。吟松亭とも号した。京都の画家林蘭雅について下絵を学び、特技である粟穂の彫刻は蘭雅との研究により考案されたものといわれ、この粟穂をもって当時から著名であったという。後藤一乗門下には多くの優秀な金工がいるが、東明は粟穂の彫技に独自の才能を発揮し、一乗一門の特色を示す作風を確立した。 東明の作風は、赤銅、四分一、素銅、鉄など多様な素材を用い、魚子地、石目地、磨地など、素材に応じた地肌の表現にも工夫が見られる。高彫、据紋象嵌、色絵、金砂子象嵌など、多様な技法を駆使し、金、銀、赤銅、四分一、素銅などの素材を適材適所に配することで、写実的かつ立体的な表現を可能としている。特に粟穂の表現においては、穂は七粒の円錐形を成して一花とし、穂先が鋭く、周囲へ零れんばかりにたわわなその風情は、正に東明の真骨頂であり、特殊な鏨を打込んで立体的に表現した粟穂はこぼれんばかりの風情である。その粟穂の実は三条に連なり、中央が一段と盛上る点に特徴がある。また、粟穂に雀や鶉を組み合わせることで、より豊かな情景を表現している点も注目される。粟穂の意匠の他にも、大黒天や毘沙門天を題材とした作品や、富岳寿星・幽渓月図のように漢詩と画題を組み合わせた作品も手掛けている。縁の天上板は銅まわりと共の造込みで時雨鑢がかかる作があり、師である一乗譲りの技が見られる。 東明の作品は、その卓越した技術と意匠により、高く評価されている。特に粟穂の彫刻は「他の追随を許さぬ卓越した粟穂の彫技」「他工の遠く及ぶところではない」「東明の独壇場」と評され、同工の代名詞となっている。その彫技は「東明ここにあり」を文字通り実現した作品ともいえよう。洗練味の高い鏨さばきと色絵で抒情味豊かに表現された作品は、格調高く、東明の魅力が詰まった優品として、後世に伝えられている。

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