後藤通乗光寿(ごとうみちのりみつひさ)は、後藤太郎右衛門家の仙乗光晴(せんじょうみつはる)の三男で、宗家七代顕乗(けんじょう)の孫にあたる。幼名を光雄、俗名を源之丞と称した。宗家十代廉乗(れんじょう)の嫡男である光嘉(みつよし)が若くして病歿したため、廉乗の娘と娶されて養子となり、名を四郎兵衛光寿と改めた。元禄十年(1697年)、養父廉乗の隠居に伴い、34歳で宗家十一代目を相続した。寛文四年(1664年)に生まれ、享保五年(1720年)に法体となって通乗と号したが、翌年の十二月二十七日に病を得て歿している。このため、通乗銘の使用は晩年の短い期間に限られ、作例は極めて少ない。後藤宗家は廉乗の時、京都から江戸に移って定住するが、通乗の時代は、元禄という世風に応じて台頭してきた町彫の影響を受け、家彫の伝統の上に新風を加味して時代の要求に応えている。
通乗の作風は、後藤家の伝統的な家彫を基盤としつつ、元禄期の華やかな世相を反映した新機軸を加味している点が特徴である。赤銅魚子地(しゃくどうななこじ)に高彫(たかぼり)を施し、金・銀・素銅などの色金を効果的に用いた色絵(いろえ)を得意とする。その彫口は濃やかで格調高く、鏨(たがね)使いは的確で、枝菊や秋草などの意匠を品良く表現する。また、扇子や宝船、龍虎豹、七福神など、多様な題材を手がけており、従来の家彫に動きや斬新な趣を加えるなど、意匠にも工夫が見られる。特に、人物表現においては、一人一人の姿態を異ならせ、動きのある構図を巧みに仕上げる力量を示す。総金(そうきん)と呼ばれる、金の薄板で全体をくるむ豪華な造り込みの小柄も手がけており、その作には量感があふれている。後藤家では五代徳乗の頃から鐔の作品が僅かながら見られたが、通乗の時から鐔を含めた刀装具の製作を積極的にはじめている。
通乗の作品は、後藤家の格調の高さを備えつつ、元禄期の華美な好みを反映した作風が評価されている。重要刀装具の指定を受けている作品には、「枝菊図三所物」「秋草に三日月図三所物」「金這龍図三所物」「虎豹図三所物」「七福神図三所物」「宝尽図揃金具」などがあり、その多くが三所物(みところもの)である。これらの作品は、金・銀色絵の巧みな配色や、高彫の技術、構図の斬新さなどが評価されている。また、「狩野常信以下絵 後藤光寿彫之」銘の恵比須天図小柄のように、狩野派の絵師と協力した作品も存在し、その作域の広さを示している。通乗銘の作は、晩年の短い期間に限られるため遺作は極めて少なく、資料的にも貴重である。