後藤光昌(ごとうみつまさ)は、後藤家九代目を務めた刀装金工である。七代顕乗(けんじょう)の次男として慶長八年(1603年)に京都で生まれ、幼名を源一郎、諱を光尹と称した。寛永元年(1624年)、父正継が剃髪して顕乗と号した際に、理兵衛家を相続し、名を理兵衛光昌と改めた。その後、宗家八代目光重(みつしげ、即乗)が若くして没したため、後継者の亀市(かめいち、後の廉乗)が幼少であったことから、一時的に宗家を預かり、後に九代目を相続した。廉乗が成長すると宗家を譲り、その後見役を務めた。また、加賀前田家に覚乗の子である演乗と隔年交代で勤務し、加賀百万石文化の発展に大きく貢献した。
光昌の作風は、後藤家の伝統を受け継ぎつつも、独自の意匠と技法を加味した格調高いものである。赤銅魚子地(しゃくどうななこじ)の高彫(たかぼり)、色絵(いろえ)を多用し、金、銀、赤銅などの素材を巧みに用いて、写実的かつ装飾的な表現を追求した。題材は、源平合戦の武将の勇戦を描いた合戦図、牽牛織女(けんぎゅうしょくじょ)のような故事、鶴退治(つるたいじ)や羅生門(らしょうもん)のような物語、獅子虎豹(ししこひょう)や龍のような吉祥文様など、多岐にわたる。特に獅子や龍の意匠は得意とし、その姿態は躍動感に溢れ、筋肉の動きや毛並みまで細密に表現されている。また、金象嵌(きんぞうがん)や金無垢地(きんむくじ)を用いることで、作品に豪華さを加えている点も特徴である。作風は「格調高く堂々たる出来栄え」と評され、「悠揚迫らず格調の高い」銘振りが王者の風格を感じさせると評される。
光昌は、後藤家における鐔(つば)製作の初期の作者としても知られ、自身銘のある鐔は極めて珍しいとされる。その作品は、後藤家の伝統的な技法を踏襲しながらも、名工としての技量の高さを示し、狭い鐔の面に堂々とした景色を表現している。また、光昌銘の三所物(みところもの)は貴重であり、その出来栄えは勇壮で躍動感に溢れ、壮年期の撥剌とした空気を発散していると評される。後藤家では龍と獅子の作品が多いが、二疋を組み合わせた龍の作品はあまり見受けられない中、光昌の作には数少ない二疋龍図の目貫も存在する。総じて、光昌は後藤家の中でも特に優れた技量を持つ金工家として高く評価されており、その作品は「品位が高く、程乗の傑作といい得る」と評されている。