Published Referrences ・Masterpieces of Japanese sword metalwork great metalworkers ・Masterpieces of Machibori sword fittings ・The art appreciation of Japanese sword fittings Funada Ikkin was born in Shonai, Dewa Province. He was the son of Funada Hirotsune, a disciple of Iwamoto Hirotoshi, and later became one of the foremost pupils of the celebrated master Goto Ichijo. At the age of 15, in Bunsei 9(1826), he traveled to Edo to study under Kumagai Yoshiyuki. Two years later, in Bunsei 11(1828), he entered the school of Goto Ichijo and underwent seven years of training in Kyoto. After returning to Edo, he established his own studio and was subsequently appointed as an official metalworker to the Sakai family, lords of the Shonai Domain. He passed away in Bunkyu 3(1863) at the age of 52. Ikkin excelled in both high-relief carving (Takabori) and Katakiribori engraving. He was especially renowned for his exceptional mastery of Kosukibori, a highly demanding carving technique in which he was considered unsurpassed by his contemporaries. Even his teacher, Goto Ichijo, openly acknowledged the extraordinary quality of his workmanship. This work depicts the God of Harmony and Union (Wago-shin), divine figures believed to bestow domestic harmony, marital happiness, and prosperity for future generations. Traditionally, the image of these deities has been revered as an auspicious symbol of prayers and heartfelt wishes. In China, they are said to be enshrined at wedding ceremonies as an expression of the hope for harmony and unity between two families. A closely related composition by Goto Ichijo is also known, suggesting that this work was created after his master's design.Executed with meticulous care, this outstanding example fully demonstrates the supreme artistic accomplishment of Funada Ikkin, regarded as the most gifted disciple of the Ichijo school.
和合神は略して和合ともいう。 和合するときは生活の安定、子孫繁昌、諸方の幸せをもたらすといい、この願いと祈 りのために和合神の図が描かれ、中国では婚礼の時にこの神を祀るといわれるのは、両家の和合を願う気持の現われであ ろう。この図は男が女を背負い、二人が棒や花を持ち、足許には丁子や宝殊・宝繋ぎなど、およそ福を象徴する物を添え ている。裏板に二行に和合生万福日進太平銭と毛彫りされており、後半の、随亭高孚書万事吉兆図は省略されている。後 藤一乗門第一の技術を示す船田一琴の入念の作である。










一琴
江戸
出羽
在銘
第28回重要刀装具 (NBTHK)
販売店の記載のまま
(翻訳なし)
和合神は略して和合ともいう。 和合するときは生活の安定、子孫繁昌、諸方の幸せをもたらすといい、この願いと祈りのために和合神の図が描かれ、中国では婚礼の時にこの神を祀るといわれるのは、両家の和合を願う気持の現われであろう。この図は男が女を背負い、二人が棒や花を持ち、足許には丁子や宝殊・宝繋ぎなど、およそ福を象徴する物を添えている。裏板に二行に和合生万福日進太平銭と毛彫りされており、後半の、随亭高孚書万事吉兆図は省略されている。後藤一乗門第一の技術を示す船田一琴の入念の作である。
家彫 · Dewa / Edo / Yamashiro
現在2点販売中
船田一琴は、出羽庄内鶴岡の出身で、岩本寛利門である船田寛常の子として文化九年(一八一二)に生まれた。幼くして父に死別し、母の再婚により熊谷義信に養われ、文政九年十五歳の折に江戸に出て熊谷義之に学び、同十一年、十七歳の時に後藤一乗の門に入って、京都において七年間修業した。やがて江戸に戻って独立し、出羽庄内の酒井家の抱え工となり、文久三年、五十二歳で歿している。本姓は船田、号は一琴、本名は義長で、船田一琴義長、船田一琴、あるいは単に一琴と銘する。
説明は彼を一乗門下の高弟、鬼才と記す。今井永武・橋本一至・中川一匠・和田一真らと共に一乗門の五虎と称せられ、加納夏雄は「一琴は其第一にして最も高肉彫に長ず」[[c:1]]と賞讃した。高彫・片切彫共に上手であるが、特に甲鋤彫においては他の追随を許さず、師の一乗をして「甲鋤彫は我が及ばざるところである」[[c:2]]と歎じしめたと伝える。
素材は後藤系の修業に由来する正統のもので、小柄・笄は赤銅魚子地に高彫・金紋・色絵、裏哺金とし、目貫は金地容彫とする。鐔・縁頭では赤銅槌目地や石肌地に甲鋤彫・毛彫を施し、金・銀の平象嵌を配する。四君子図の大小揃について説明は「深浅自在の甲鋤彫が見事であり」[[c:3]]、金銀の平象嵌が赤銅地によく映えて画面は清麗とした風情に満ちるとする。
画題は一乗門と後藤家のもので、四君子は一乗門の最も得意とする画題とされ、這竜は後藤家の掟物である。藩主酒井家の命により弘化二年、三十四歳の時に製作した龍三所物は、後藤家の古作に範をとり、「特に肉置が豊かで力感に溢れ」[[c:4]]、角・頬・足に三角タガネを効果的に用い、「同作中の白眉と称すべき作」[[c:5]]とされる。同作の別の説明は竜を一琴の作としては珍らしい図とし、その技量は師に迫るとして「力と技量に溢れた作品である」[[c:6]]と評する。赤銅のみの高彫で細身の龍を表した三所物については「本作は凛々として覇気が漲る一琴の力作である」[[c:7]]と評される。四分一磨地に金平象嵌で翁を表した小柄については「流石に一乗門下の逸材であることを知らされる」[[c:8]]と記す。
説明は一貫して師との比較で彼を測り、その技量は師に迫るとする。後藤一乗の下画により大を一琴、小を橋本一至が製作した四君子図大小鐔は、作風が一乗そのものであり、説明はここから「一乗銘の作品の中にはこのように多くの門人のうちの代作が含まれていたと推することができよう」[[c:9]]と資料的価値を説く。
指定は重要刀装具十一点で、うち二点が特別重要刀装具に進み、いずれも一琴の銘がある。年紀は弘化二年から嘉永年間を経て文久二年に及び、「武陽射向里」の添銘を持つものも多い。藩主酒井家の命による作には、弘化二年の龍三所物や安政二年の四神図三所物があり、後者は庄内酒井家に伝来した。また赤銅のみの龍図三所物は池田隆雄の箱書を伴い、龍獅堂の箱に納められている。
一琴の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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家彫 · Kyoto
現在35点販売中
一乗派は、後藤家の掉尾を飾る名工後藤一乗を中心として、幕末から明治にかけて京都に展開した金工の一門である。一乗は寛政三年に後藤家の分家七郎右衛門家四代重乗の子として生まれ、九歳で謙乗の養子となり、十一歳で半左衛門亀乗について彫技を学び、十五歳で家督を相続した。はじめ光貨・光行・光代と名乗ったが、文政七年、三十四歳の時に光格天皇の御剣金具を制作した功により法橋に叙せられて一乗と号し、さらに文久二年には光明天皇の御太刀金具を手がけ、翌年法眼に進んだ。その門下には、船田一琴・今井永武・橋本一至・中川一匠・和田一真の俊英が輩出し「五虎」と称せられ、実弟の光覧や荒木東明らとともに、当代屈指の活況を呈する工房を形成した。 一門の作風は、まず緻密な赤銅魚子地を共有の基盤とする。なかでも一乗の魚子は「絹目魚子」と呼ばれる温順緻密な地がねを特色とし、一匠の「絹魚子」もこれに連なる。その地の上に高彫を主とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅などの色金を駆使した色絵・象嵌によって絵画的な図様を構築する点が、流派一貫の標識である。一乗は家彫の掟物たる竜・獅子の伝統を踏まえつつ、これを写生に転じて草花・虫・鳥・風景を品格高く彫り出し、一門の方向を定めた。この画趣は門下に広く受け継がれ、永武は四季の草花を多彩な色金で濃密華麗に仕上げ、一至は師に最も近しい細緻な花鳥図を得意とした。一琴は深浅自在の甲鋤彫において他の追随を許さず、一乗をして「我が及ばざるところ」[[c:1]]と嘆ぜしめ、竜の図に力感を示した。東明は京都の画家林蘭雅とともに粟穂の彫刻を考案し、立体的にこぼれんばかりの風情をあらわして独壇場をなした。一真は写実の動物表現に長じ、一匠は淡い消し象嵌や砂子象嵌に雅趣を凝らし、光覧は兄一乗に類しつつ細やかな風情で仕上げた。鐔の造込みや雲・波の表現、縁頭の鑢などにも師の特色が顕著であり、表裏に異なる地金を用いる昼夜鐔や、四季・故事・吉祥に取材した大小揃金具・総金具の大作が、この一門の高い技量を端的に示している。 一乗派の意義は、繊細緻密な彫技と高い品格とを兼備した点にある。御家彫たる後藤流の美点を近代的に昇華させたその作風は、典雅・流麗・格調高しと評され、門下に忠実に伝えられた。一琴の作は師に迫るものとされ、永武の草花図は後藤一乗の流れの特色を十全にあらわし、一至の作は「殆んど一乗とえらぶところのない優品」[[c:2]]と称えられた。高彫・片切彫・甲鋤彫・象嵌・色絵に至る金工技法を総合的に体現するこの一門は、後藤家伝統の最後の開花を示すものであり、その作の多くは今日重要刀装具に指定され、なお高く評価されている。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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