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流水に藻貝図二所 小柄 銘 法眼一乗作 時年八十翁 笄 銘 後藤法眼作 Hutatokoro(Gotou-Ichizyou) 商品番号 NO.C0024 価格 2,200,000円(税込) 品質形状 赤銅魚子地・高彫・金色絵・裏板金・小柄裏和歌毛彫 鑑定書 特別保存刀装具 NBTHK Tokubetsu hozon Paper (公財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具鑑定書 時代 江戸後期ー明治 堅長さ 笄:21.1cm 小柄:9.7cm 横長さ 笄:1.2cm 小柄:1.4cm 附属品 桐箱 詳細説明 後藤一乗は寛政三年三月三日に京都宝町頭木下で七郎右衛門重乗の次男として生まれる。兄弟に光燕と光覧がいる。文化二年に謙乗が病死したため十五歳で八郎兵衛家六代目の家督を相続し、光貨と名乗る。文化八年に二十一歳で光行と改名し、四郎兵衛宗家から大判の墨書書改めや分銅製作の依頼を受け京都に於ける業務を代行した。文政七年に光格天皇の正宗刀の装具製作を行い同年十二月十九日に法橋の位に叙された。三十四歳で一乗と名乗り、一乗光行と称した。嘉永四年十二月に幕府の命により江戸に下向し、芝新銭座に仮属して十人扶持を支給され、文久元年に浅草猿屋町に転じた。文久二年の夏に皇室御用のため京都に戻り孝明天皇の太刀拵を製作し、文久三年に七十三歳で法眼の位に叙された。一乗細工所を経営し一琴、一至、一匠などの優れた門弟を数多く養成した。明治維新後は勧業場御用係などを任命された。後年は伯応、凸凹山人、凸凹翁と号した。赤銅魚子地に高彫色絵工法と片切彫平象嵌工法があり、作柄も幅広く名工である。 お問い合わせ 商品番号 (必須) 商品名 (必須) ご相談内容 (必須) お名前(姓) (必須) お名前(名) (必須) メールアドレス (必須) メールアドレス確認 (必須) 郵便番号 (必須) ご住所1 (必須) (都道府県) ご住所2 (必須) (市区町村) ご住所3 (必須) (番地、建物名等) 電話番号 (必須) 絞り込み検索 商品種別 選択しない 刀剣全般 (25) 大小 (1) 刀 (16) 太刀 (2) 脇指 (2) 短刀 (4) 刀剣その他 (1) 刀装具全般 (25) 三所物 (2) 鐔 (14) 目貫 (2) 小柄 (2) 笄 (0) 縁頭 (3) 揃金具 (0) 二所物 (1) 拵 (1) 刀装具その他 (0) 武具全般 (12) 甲冑 (8) 面頬 (1) 兜 (3) 武具その他 (0) 古美術品・その他全般 (2) 書籍全般 (2) 街道名 選択しない 畿内 (2) 東山道 (4) 北陸道 (1) 東海道 (5) 南海道 (1) 山陽道 (10) 山陰道 (0) 西海道 (2) 価格帯 選択しない ~50万円 (12) 51万〜100万円 (13) 101万〜200万円 (6) 201万〜300万円 (3) 301万〜400万円 (5) 401万〜500万円 (5) 501万〜1000万円 (0) 1001万円〜 (0) 要問合せ (21) 時代別 選択しない 大正時代 (0) 昭和時代 (1) 平成時代 (1) 平安時代 (0) 鎌倉時代 (2) 南北朝時代 (2) 室町時代 (9) 安土桃山時代 (3) 江戸時代 (35) 明治時代 (0) 現代 (2) その他時代 (0) 鑑定書 選択しない 重要美術品 (0) 特別重要刀剣 (0) 重要刀剣 (6) 特別保存刀剣 (16) 保存刀剣 (3) 特別重要刀装具 (0) 重要刀装具 (0) 特別保存刀装具 (16) 保存刀装具 (9) 重要刀装 (0) その他の鑑定書 (0) 鑑定書なし (3) キーワード検索 時代別一覧 古刀 | 新刀 | 新々刀 | 現代刀 価格別一覧 ~50万円 | 51万~100万円 | 101万~200万円 | 201万~300万円 | 301万~400万円 | 401万~500万円 | 501万~1000万円 | 1001万円~ | 要問合せ 鑑定書別一覧 重要美術品 | その他の鑑定書 | 鑑定書なし 刀剣 特別重要 | 重要 | 特別保存 | 保存 刀装具 特別重要 | 重要 | 特別保存 | 保存

後藤一乗 流水に藻貝図二所
Tokuho

後藤一乗 流水に藻貝図二所

二所物

¥2,200,000

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仕様

長さ

21.1 cm

元幅

1.2 cm

先幅

1.4 cm

作者について

Goto Ichijo後藤一乗

2 重要文化財2 重要美術品6 特別重要刀剣80 重要刀剣

後藤一乗は、後藤家の掉尾を飾る名工である。寛政三年(1791年)に後藤家の分家である七郎右衛門家四代重乗の子として京都に生まれた。九歳の時、八郎兵衛謙乗の養子となり、十一歳で半左衛門亀乗について彫技を学んだ。十五歳の時、養父の死に伴い家督を相続した。兄に是乗光熙、弟に久乗光覧がいる。彼ははじめ光貨といい、ついで光行、さらに光代と名乗り、文政七年(1824年)三十四歳の時、光格天皇の御剣金具を制作した功により法橋の位を授かり一乗と号し、文久二年(1862年)には光明天皇の御太刀金具を制作し、翌年法眼に叙せられた。嘉永四年(1851年)六十一歳時に将軍家に召されて江戸に移ったが、晩年は京都にもどり、明治九年(1876年)八十六歳で歿している。 一乗の作風は、はじめ家彫の掟物である竜や獅子を手がけ、のちはそれを基礎にして写生を主としたものに転じ、草花・虫・鳥・風景などを細緻な彫法で品格高くあらわしている。作域は広く、赤銅魚子地、四分一磨地、素銅地など様々な素材を用い、高彫、容彫、象嵌、色絵といった多様な技法を駆使する。特に赤銅魚子地においては、「絹目魚子と呼称される温順な地がね」と評される緻密で美しい魚子地を特徴とする。図柄は四君子、花鳥、虫、風景など多岐にわたり、大小拵の金具一式を手がけることも多い。作風は時期によって変化が見られ、壮年期の作品は細密なものが多いとされる。嘉永頃の作品には細密でありながらも格調高い見所が多く見受けられる。また、金砂子象嵌を用いる作も存在する。銘は「後藤法橋一乗(花押)」、「後藤一乗」、「一乗(花押)」などがある。 一乗の作品は、後藤流の伝統的な美点を近代的に昇華させたものとして高く評価されている。その作風は「典雅」、「品格が高い」、「流麗」、「格調高い」と評され、繊細緻密な高彫と的確な色絵、雅びな砂子象嵌など、御家彫である後藤流の美点が、一乗の手にかかり近代的に昇華された感があると評される。また、「一乗ならではの洗練された構図と鮮やかな高彫」、「卓越した技巧と一乗独特の画題選択」、「第一人者としての自負と矜持さえもが、作品の一部を形成しているかのようである」と評されるように、その独創性と高い技術力は、他の追随を許さない。後藤家における最後の名工として、その作品は今日においても高く評価され、重要刀装具として指定されているものも多い。

刀剣商

丸英刀剣

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