吉村一啓(1819-1867) 江戸時代(19世紀) 鉄地 肉彫 銀象嵌 浅い木瓜形:8.3 × 7.8 cm 厚さ:3.2 mm 打返耳 銘:吉村一啓(花押) 所載:林永禄著『鐔・意匠と技の美』(2012年、東京)17頁 鑑定:日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀装具鑑定書 桐箱付 本作は、雲海から聳え立つ雪を頂いた富士の雄姿と、手前に生い茂る「千本松原」の松並木を描いた、極めて情緒豊かな一枚です。この構図は葛飾北斎の『富嶽百景』の一図としても広く知られています。裏面には海岸からの眺望が描かれ、前景の松林の向こう、水平線付近に二艘の帆船が浮かぶ様が表現されています。 作者の吉村一啓は肥前国佐賀の出身で、弘化4年(1847年)に京都へ上り後藤一乗の門下となりました。安政4年(1857年)に帰郷するまで一乗に師事し、その高い技術を習得しました。




一啓
江戸
肥前
在銘
家彫 · Hizen (Saga)
現在1点販売中
家彫 · Kyoto
現在29点販売中
一乗派は、後藤家の掉尾を飾る名工後藤一乗を中心として、幕末から明治にかけて京都に展開した金工の一門である。一乗は寛政三年に後藤家の分家七郎右衛門家四代重乗の子として生まれ、九歳で謙乗の養子となり、十一歳で半左衛門亀乗について彫技を学び、十五歳で家督を相続した。はじめ光貨・光行・光代と名乗ったが、文政七年、三十四歳の時に光格天皇の御剣金具を制作した功により法橋に叙せられて一乗と号し、さらに文久二年には光明天皇の御太刀金具を手がけ、翌年法眼に進んだ。その門下には、船田一琴・今井永武・橋本一至・中川一匠・和田一真の俊英が輩出し「五虎」と称せられ、実弟の光覧や荒木東明らとともに、当代屈指の活況を呈する工房を形成した。 一門の作風は、まず緻密な赤銅魚子地を共有の基盤とする。なかでも一乗の魚子は「絹目魚子」と呼ばれる温順緻密な地がねを特色とし、一匠の「絹魚子」もこれに連なる。その地の上に高彫を主とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅などの色金を駆使した色絵・象嵌によって絵画的な図様を構築する点が、流派一貫の標識である。一乗は家彫の掟物たる竜・獅子の伝統を踏まえつつ、これを写生に転じて草花・虫・鳥・風景を品格高く彫り出し、一門の方向を定めた。この画趣は門下に広く受け継がれ、永武は四季の草花を多彩な色金で濃密華麗に仕上げ、一至は師に最も近しい細緻な花鳥図を得意とした。一琴は深浅自在の甲鋤彫において他の追随を許さず、一乗をして「我が及ばざるところ」[[c:1]]と嘆ぜしめ、竜の図に力感を示した。東明は京都の画家林蘭雅とともに粟穂の彫刻を考案し、立体的にこぼれんばかりの風情をあらわして独壇場をなした。一真は写実の動物表現に長じ、一匠は淡い消し象嵌や砂子象嵌に雅趣を凝らし、光覧は兄一乗に類しつつ細やかな風情で仕上げた。鐔の造込みや雲・波の表現、縁頭の鑢などにも師の特色が顕著であり、表裏に異なる地金を用いる昼夜鐔や、四季・故事・吉祥に取材した大小揃金具・総金具の大作が、この一門の高い技量を端的に示している。 一乗派の意義は、繊細緻密な彫技と高い品格とを兼備した点にある。御家彫たる後藤流の美点を近代的に昇華させたその作風は、典雅・流麗・格調高しと評され、門下に忠実に伝えられた。一琴の作は師に迫るものとされ、永武の草花図は後藤一乗の流れの特色を十全にあらわし、一至の作は「殆んど一乗とえらぶところのない優品」[[c:2]]と称えられた。高彫・片切彫・甲鋤彫・象嵌・色絵に至る金工技法を総合的に体現するこの一門は、後藤家伝統の最後の開花を示すものであり、その作の多くは今日重要刀装具に指定され、なお高く評価されている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
吉村一啓(1819-1867) 江戸時代(19世紀) 鉄地 肉彫 銀象嵌 浅い木瓜形:8.3 × 7.8 cm 厚さ:3.2 mm 打返耳 銘:吉村一啓(花押) 所載:林永禄著『鐔・意匠と技の美』(2012年、東京)17頁 鑑定:日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀装具鑑定書 桐箱付 本作は、雲海から聳え立つ雪を頂いた富士の雄姿と、手前に生い茂る「千本松原」の松並木を描いた、極めて情緒豊かな一枚です。この構図は葛飾北斎の『富嶽百景』の一図としても広く知られています。裏面には海岸からの眺望が描かれ、前景の松林の向こう、水平線付近に二艘の帆船が浮かぶ様が表現されています。 作者の吉村一啓は肥前国佐賀の出身で、弘化4年(1847年)に京都へ上り後藤一乗の門下となりました。安政4年(1857年)に帰郷するまで一乗に師事し、その高い技術を習得しました。




一啓
江戸
肥前
在銘
家彫 · Hizen (Saga)
現在1点販売中
家彫 · Kyoto
現在29点販売中
一乗派は、後藤家の掉尾を飾る名工後藤一乗を中心として、幕末から明治にかけて京都に展開した金工の一門である。一乗は寛政三年に後藤家の分家七郎右衛門家四代重乗の子として生まれ、九歳で謙乗の養子となり、十一歳で半左衛門亀乗について彫技を学び、十五歳で家督を相続した。はじめ光貨・光行・光代と名乗ったが、文政七年、三十四歳の時に光格天皇の御剣金具を制作した功により法橋に叙せられて一乗と号し、さらに文久二年には光明天皇の御太刀金具を手がけ、翌年法眼に進んだ。その門下には、船田一琴・今井永武・橋本一至・中川一匠・和田一真の俊英が輩出し「五虎」と称せられ、実弟の光覧や荒木東明らとともに、当代屈指の活況を呈する工房を形成した。 一門の作風は、まず緻密な赤銅魚子地を共有の基盤とする。なかでも一乗の魚子は「絹目魚子」と呼ばれる温順緻密な地がねを特色とし、一匠の「絹魚子」もこれに連なる。その地の上に高彫を主とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅などの色金を駆使した色絵・象嵌によって絵画的な図様を構築する点が、流派一貫の標識である。一乗は家彫の掟物たる竜・獅子の伝統を踏まえつつ、これを写生に転じて草花・虫・鳥・風景を品格高く彫り出し、一門の方向を定めた。この画趣は門下に広く受け継がれ、永武は四季の草花を多彩な色金で濃密華麗に仕上げ、一至は師に最も近しい細緻な花鳥図を得意とした。一琴は深浅自在の甲鋤彫において他の追随を許さず、一乗をして「我が及ばざるところ」[[c:1]]と嘆ぜしめ、竜の図に力感を示した。東明は京都の画家林蘭雅とともに粟穂の彫刻を考案し、立体的にこぼれんばかりの風情をあらわして独壇場をなした。一真は写実の動物表現に長じ、一匠は淡い消し象嵌や砂子象嵌に雅趣を凝らし、光覧は兄一乗に類しつつ細やかな風情で仕上げた。鐔の造込みや雲・波の表現、縁頭の鑢などにも師の特色が顕著であり、表裏に異なる地金を用いる昼夜鐔や、四季・故事・吉祥に取材した大小揃金具・総金具の大作が、この一門の高い技量を端的に示している。 一乗派の意義は、繊細緻密な彫技と高い品格とを兼備した点にある。御家彫たる後藤流の美点を近代的に昇華させたその作風は、典雅・流麗・格調高しと評され、門下に忠実に伝えられた。一琴の作は師に迫るものとされ、永武の草花図は後藤一乗の流れの特色を十全にあらわし、一至の作は「殆んど一乗とえらぶところのない優品」[[c:2]]と称えられた。高彫・片切彫・甲鋤彫・象嵌・色絵に至る金工技法を総合的に体現するこの一門は、後藤家伝統の最後の開花を示すものであり、その作の多くは今日重要刀装具に指定され、なお高く評価されている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。