船田一琴は、出羽庄内(現在の山形県鶴岡市)の出身。岩本寛利門である船田寛常の子として文化九年(1802)に生まれる。幼くして父と死別し、母の再婚により熊谷義信に養われ、後に江戸に出て熊谷義之に学んだ。文政十一年(1828)には後藤一乗に入門、今井永武、橋本一至、中川一匠、和田一真らと共に一乗門下の「五虎」と称せられた。天保五年(1834)に江戸に門戸を開き、やがて庄内藩酒井家の抱え工となり、文久三年(1863)に五十二歳で没した。同時代の刀工との関係については、橋本一至との合作が現存する。
一琴の作風は、高彫、片切彫共に上手であるが、特に甲鋤彫においては他の追随を許さず、師の一乗もその力量を認めたという。作域は広く、龍、四君子、和合神など多様な題材を手がけている。地金は赤銅魚子地を多用し、金、銀による平象嵌を効果的に用いる。鏨の働きが躍如としており、角、頬、足に三角タガネを効果的に用いる点も特徴として挙げられる。作風は師である後藤一乗に迫るものがあり、後藤家の古作に範をとった作品も多く見られる。
一琴の作品は、「肉置が豊かで力感に溢れ」、「深浅自在の甲鋤彫が見事」と評される。師である一乗をして「甲鋤彫は我が及ばざるところである」と嘆じしめたという逸話も残る。その作は「入念の作」であり、「力と技量に溢れた作品」として高く評価されている。後藤一乗門第一の技術を示す刀工として、後藤家の伝統を継承しつつ、独自の作風を確立した。