政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
綾小路派について 山城国綾小路派は、鎌倉時代中期から後期にかけて山城国四条綾小路の地に住し、来派と共に大いに発展した一派で、三条派あるいは五条派の影響が強く認められる作風を示している。 末行について 末行は銘鑑上数名いますが、城州(山城)とすれば綾小路もしくは来となります。 綾小路末行は重要刀剣に認定されているものもあり、遺作は稀有。 末行の名は銘鑑には綾小路・千手院・当麻・古備前・古青江に同銘をあげております。 末行同様に介定や定家の作品も少ないのですが、末行には越後新発田藩溝口家伝来の在銘の太刀有り。





山城伝 · 山城 · 1303-1306頃
現在4点販売中
末行は鎌倉後期の永仁頃と銘鑑のいう京の綾小路派の刀工である。説明書は、銘鑑が末行を名乗る同名の工を綾小路・千手院・当麻・古備前・古青江等に挙げることを記したうえで、地刃の出来と銘振りから本工の作を綾小路の末行と鑑する。その出来口は定利ら綾小路派の作風を継承した古雅なものとされ、一口の太刀については地刃の出来と体配が綾小路一派の定吉に結ばれるとして、「銘鑑に言う「綾小路定利門・永仁頃」[[c:4]]に該当するものとみられる」とする。在銘作については「現存する在銘作は少なく貴重である」[[c:5]]と記す。
太刀は長寸で姿が優美である。鎬造、庵棟、身幅は尋常あるいは広く、元先の幅差つき、腰反り高く先へも反りが加わり、無銘生ぶ茎の太刀は踏張りがあって小鋒に結び、在銘の太刀は中鋒となる。鍛えは板目が肌立ちごころとなり、杢を交え、一口には大板目・地斑調の肌合も交じり、地沸微塵に厚くつく。映りは二口に沸映り、一口に地斑映りが立ち、説明書は地沸の微塵に厚くついた鍛えに沸映りが立つ点を京物らしいとする。
刃文は直刃あるいは広直刃調を基調に、小乱れ・小互の目・小丁子風の刃・浅い湾れなど小模様の刃を間近く交え、足・葉入る。沸づいた刃縁は細かにほつれ、生ぶ茎の太刀では小さな飛焼や湯走りがかかって部分的に二重刃風となり、処々京逆足を見せる。細かに金筋・砂流しがかかり、匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸に短く返り、あるいは湾れ込み焼詰めごころとなり、身幅の広い太刀では直ぐごころにうるむ。
指定の三口はそれぞれ別の点で読まれる。平成五年指定の在銘の太刀は身幅広く反り深く輪反り風となり、説明書はその反り恰好と、鋒の方へ向かって逆がかる乱れが備前・備中と相違することから京物と鑑する。平成二十四年指定の在銘の太刀は長寸で腰反り高く、説明書はこれを「同作中でも比較的小互の目の目立つ一口」[[c:6]]とし、地沸の微塵に厚くついた鍛えに沸映りが立ち、刃沸が光美しく厚くつくとする。平成二十六年指定の無銘の太刀は生ぶ茎を留める点を大変貴重とされ、味わい深い枯淡な乱れの中に処々新味を見せる刃文から、「同派中の末行に最も鑑すべきもの」[[c:7]]とされる。
末行の指定作は三口で、いずれも重要刀剣の太刀、在銘二口・無銘一口である。平成五年指定の在銘の太刀は新発田藩主溝口家の旧蔵と伝える。藤代の格付けと刀工大鑑の評価は記録されていない。
末行の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在10点販売中
綾小路派は京の綾小路に在住して鍛刀した一派で、定利・定吉らを主要な刀工とする。銘鑑では定利の年代を文永頃としているが、現存する作品の作風は「古京物の三条・五条派の作域を踏襲した感のある古様な趣」[[c:1]]を呈しており、「通説よりも年代が遡るものと鑑せられる」[[c:2]]と繰り返し指摘されている。一説に定利は来国行の近隣に居住し、互いに代作しあったとも伝えられるが、もし両者に接点があるとしたならば「定利の晩年と国行の初期の頃」[[c:3]]ということになろうとされ、粟田口国安あたりに繋がる古雅な作域との類縁も認められている。 本派の作風上の最大の特徴は、刃文が「乱れが間近く小模様に複雑に乱れ」[[c:4]]る点にある。小丁子・小互の目・小乱れ・小のたれなどを交えた小模様の乱れに足・葉がよく入り、沸出来となる。とりわけ鑑定の決め手となるのは、「焼頭にさらに小さな焼が点続して二重刃風を形成」[[c:5]]する現象であり、湯走りや飛焼が焼頭上に点続して現れる様は同派に一貫して認められる。匂口は「うるみごころ」を呈し、この沈んだ柔らかな匂口も本派の重要な識別点である。帽子は乱れ込んで「さかんに掃きかけ」[[c:6]]るものが多く、火焔風や焼詰め風となる作も見られる。鍛えは板目肌ないし小板目肌がつみ、地沸が微塵ないし厚くつき、地景が入り、沸映りが立つ精美な地鉄を示す。姿態はやや細身で元先の幅差がつき、腰反り深く、先伏さりごころとなって小鋒に結ぶ優美な太刀姿を典型とし、踏張りを残す生ぶ茎の遺例も知られる。同時代の来派とは、焼の高低や匂口の性質、二重刃風の焼頭の有無によって区別され、備前物とは所謂「京逆足」の入り方や小模様の複雑さにおいて異なる作域を示す。 綾小路派の作は大磨上無銘がほとんどであるが、古様な姿態と独自の刃文構成により極めが可能とされ、その所伝は「首肯しうる」と繰り返し評価されている。江戸時代の刀剣書の系図には定家・定次・家安など門流を挙げ、南北朝時代から応永頃まで同派が継続したとするものもある。説示においては「古雅」「雅趣に富んだ」「滋味溢れる」といった評語が頻出し、華やかさよりも細やかな変化と深みに本派の美点が見出されている。三条・五条派の作域を基盤としながら独自の刃文意匠を確立した綾小路派は、京鍛冶の古層を伝える貴重な存在として、刀剣史上に重要な位置を占めている。 詳しく見る →
鎌倉時代の山城
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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