政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
城州末行 脇差 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣 【作品解説】 概要 本作は、鎌倉時代後期(正安年間:1293-1299年頃)に活躍した城州末行(じょうしゅう すえゆき)と極められた一振りです。「城州」とは山城国の別称であり、末行は山城国(現在の京都府)の綾小路派に属した名工です。 綾小路派は、鎌倉時代中期の文永年間(1264-1275年頃)に定利によって創始されました。定利が京都の綾小路に居住したことが流派の名の由来となっています。末行はその門流の中でも際立った存在であり、日本刀の五ヶ伝の一つである「山城伝」の伝統を色濃く受け継いでいます。 山城伝について 山城国は、平安遷都以来、刀剣制作の中心的拠点として栄えた「山城伝」の故郷です。当初は公家や皇族のための優美な太刀を制作していましたが、武家政権の台頭とともに、有力な諸大名のためにも多くの名刀を打ち出しました。この地からは数多くの名工が輩出されています。 山城伝の祖は三条宗近とされ、三条、来、信国、粟田口といった名門が軒を連ねました。記録によれば、綾小路派は三条派と密接な関わりがあったとされています。 山城伝の最大の特徴は、気品ある姿と精緻で美しい地鉄(じがね)にあります。本作もまた、山城伝の真髄を体現した見事な出来映えを示しています。 また、本作には「誉疵(ほまれきず)」と思われる痕跡が見受けられます。これは実戦で用いられた証であり、武士にとって名誉ある疵として、刀剣の歴史を物語る見どころの一つとされています。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは、美術品としての価値が極めて高く、保存状態が良好で、かつ確かな品質を備えた真作にのみ与えられる鑑定書です。 ※地鉄にわずかな鍛え疵がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):54.0 cm 反り(Sori):1.1 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって生じる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 古い日本刀の茎には、赤錆を防ぐための「黒錆」が残されています。この錆色は歳月を経て形成されるものであり、制作年代を特定する上で極めて重要な指標となります。 【外装】 小柄・目貫・縁頭が揃った「松図」の意匠と思われる拵(こしらえ)が付随しています。 松は厳しい寒暑の中でも一年中その緑を失わないことから、「不老長寿」の象徴として尊ばれてきました。その色は「常盤色(ときわいろ)」と呼ばれ、不変を意味する「常盤」の名が示す通り、長寿と繁栄への願いが込められた吉祥の色です。特に江戸時代には縁起の良い色として広く愛好されました。この松の意匠は、格調高く高貴な印象を与えています。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する金具。 本作の縁頭には、唐獅子牡丹(からじしぼたん)が施されていると思われます。























山城伝 · 山城 · 1303-1306頃
現在2点販売中
末行は山城の綾小路派に属する刀工である。銘鑑は末行を名乗る同名の工を綾小路・千手院・当麻・古備前・古青江等に挙げているが、地刃の出来や銘振りから綾小路の末行と鑑せられ、その年代は鎌倉後期の永仁頃にあたる。出来口は定利ら綾小路派の作風を継承した古雅なもので、地刃の出来と体配は同派の定吉に結ばれ、銘鑑にいう「綾小路定利門・永仁頃」[[c:1]]に該当するものとみられる。
姿は鎬造、庵棟で、身幅尋常に元先の幅差がつき、腰反りが高く踏張りがあって優美な太刀姿を示す。鍛えは板目肌に杢を交え、地沸微塵につき、京物らしく沸映りが立つ。刃文は中直刃調を基調に小乱れ・小互の目・小丁子風の刃・小のたれなどを交え、足・葉入り、処々に京逆足を見せる。沸づいた刃縁にはほつれ・小さな飛焼・湯走りがかかって部分的に二重刃風となり、細かに金筋・砂流しがかかる。帽子は直ぐに丸、あるいは濡れ込み焼詰めごころとなる。
末行は綾小路に連なる京物の特色を地刃に明らかに示す点が見どころである。現存する在銘作は少なく、無銘ながら生ぶ茎を留める一口は殊に貴重とされる。味わい深い枯淡な乱れの中に処々新味を見せる刃文は、同派中の末行に最も鑑すべきものとして評価される。新発田藩主溝口家の旧蔵と伝える一口も知られ、綾小路一類の古色を伝える優品である。
末行の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在11点販売中
綾小路派は京の綾小路に在住して鍛刀した一派で、定利・定吉らを主要な刀工とする。銘鑑では定利の年代を文永頃としているが、現存する作品の作風は「古京物の三条・五条派の作域を踏襲した感のある古様な趣」[[c:1]]を呈しており、「通説よりも年代が遡るものと鑑せられる」[[c:2]]と繰り返し指摘されている。一説に定利は来国行の近隣に居住し、互いに代作しあったとも伝えられるが、もし両者に接点があるとしたならば「定利の晩年と国行の初期の頃」[[c:3]]ということになろうとされ、粟田口国安あたりに繋がる古雅な作域との類縁も認められている。 本派の作風上の最大の特徴は、刃文が「乱れが間近く小模様に複雑に乱れ」[[c:4]]る点にある。小丁子・小互の目・小乱れ・小のたれなどを交えた小模様の乱れに足・葉がよく入り、沸出来となる。とりわけ鑑定の決め手となるのは、「焼頭にさらに小さな焼が点続して二重刃風を形成」[[c:5]]する現象であり、湯走りや飛焼が焼頭上に点続して現れる様は同派に一貫して認められる。匂口は「うるみごころ」を呈し、この沈んだ柔らかな匂口も本派の重要な識別点である。帽子は乱れ込んで「さかんに掃きかけ」[[c:6]]るものが多く、火焔風や焼詰め風となる作も見られる。鍛えは板目肌ないし小板目肌がつみ、地沸が微塵ないし厚くつき、地景が入り、沸映りが立つ精美な地鉄を示す。姿態はやや細身で元先の幅差がつき、腰反り深く、先伏さりごころとなって小鋒に結ぶ優美な太刀姿を典型とし、踏張りを残す生ぶ茎の遺例も知られる。同時代の来派とは、焼の高低や匂口の性質、二重刃風の焼頭の有無によって区別され、備前物とは所謂「京逆足」の入り方や小模様の複雑さにおいて異なる作域を示す。 綾小路派の作は大磨上無銘がほとんどであるが、古様な姿態と独自の刃文構成により極めが可能とされ、その所伝は「首肯しうる」と繰り返し評価されている。江戸時代の刀剣書の系図には定家・定次・家安など門流を挙げ、南北朝時代から応永頃まで同派が継続したとするものもある。説示においては「古雅」「雅趣に富んだ」「滋味溢れる」といった評語が頻出し、華やかさよりも細やかな変化と深みに本派の美点が見出されている。三条・五条派の作域を基盤としながら独自の刃文意匠を確立した綾小路派は、京鍛冶の古層を伝える貴重な存在として、刀剣史上に重要な位置を占めている。 詳しく見る →
鎌倉時代の山城
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
城州末行 脇差 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣 【作品解説】 概要 本作は、鎌倉時代後期(正安年間:1293-1299年頃)に活躍した城州末行(じょうしゅう すえゆき)と極められた一振りです。「城州」とは山城国の別称であり、末行は山城国(現在の京都府)の綾小路派に属した名工です。 綾小路派は、鎌倉時代中期の文永年間(1264-1275年頃)に定利によって創始されました。定利が京都の綾小路に居住したことが流派の名の由来となっています。末行はその門流の中でも際立った存在であり、日本刀の五ヶ伝の一つである「山城伝」の伝統を色濃く受け継いでいます。 山城伝について 山城国は、平安遷都以来、刀剣制作の中心的拠点として栄えた「山城伝」の故郷です。当初は公家や皇族のための優美な太刀を制作していましたが、武家政権の台頭とともに、有力な諸大名のためにも多くの名刀を打ち出しました。この地からは数多くの名工が輩出されています。 山城伝の祖は三条宗近とされ、三条、来、信国、粟田口といった名門が軒を連ねました。記録によれば、綾小路派は三条派と密接な関わりがあったとされています。 山城伝の最大の特徴は、気品ある姿と精緻で美しい地鉄(じがね)にあります。本作もまた、山城伝の真髄を体現した見事な出来映えを示しています。 また、本作には「誉疵(ほまれきず)」と思われる痕跡が見受けられます。これは実戦で用いられた証であり、武士にとって名誉ある疵として、刀剣の歴史を物語る見どころの一つとされています。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは、美術品としての価値が極めて高く、保存状態が良好で、かつ確かな品質を備えた真作にのみ与えられる鑑定書です。 ※地鉄にわずかな鍛え疵がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):54.0 cm 反り(Sori):1.1 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって生じる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 古い日本刀の茎には、赤錆を防ぐための「黒錆」が残されています。この錆色は歳月を経て形成されるものであり、制作年代を特定する上で極めて重要な指標となります。 【外装】 小柄・目貫・縁頭が揃った「松図」の意匠と思われる拵(こしらえ)が付随しています。 松は厳しい寒暑の中でも一年中その緑を失わないことから、「不老長寿」の象徴として尊ばれてきました。その色は「常盤色(ときわいろ)」と呼ばれ、不変を意味する「常盤」の名が示す通り、長寿と繁栄への願いが込められた吉祥の色です。特に江戸時代には縁起の良い色として広く愛好されました。この松の意匠は、格調高く高貴な印象を与えています。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する金具。 本作の縁頭には、唐獅子牡丹(からじしぼたん)が施されていると思われます。























山城伝 · 山城 · 1303-1306頃
現在2点販売中
末行は山城の綾小路派に属する刀工である。銘鑑は末行を名乗る同名の工を綾小路・千手院・当麻・古備前・古青江等に挙げているが、地刃の出来や銘振りから綾小路の末行と鑑せられ、その年代は鎌倉後期の永仁頃にあたる。出来口は定利ら綾小路派の作風を継承した古雅なもので、地刃の出来と体配は同派の定吉に結ばれ、銘鑑にいう「綾小路定利門・永仁頃」[[c:1]]に該当するものとみられる。
姿は鎬造、庵棟で、身幅尋常に元先の幅差がつき、腰反りが高く踏張りがあって優美な太刀姿を示す。鍛えは板目肌に杢を交え、地沸微塵につき、京物らしく沸映りが立つ。刃文は中直刃調を基調に小乱れ・小互の目・小丁子風の刃・小のたれなどを交え、足・葉入り、処々に京逆足を見せる。沸づいた刃縁にはほつれ・小さな飛焼・湯走りがかかって部分的に二重刃風となり、細かに金筋・砂流しがかかる。帽子は直ぐに丸、あるいは濡れ込み焼詰めごころとなる。
末行は綾小路に連なる京物の特色を地刃に明らかに示す点が見どころである。現存する在銘作は少なく、無銘ながら生ぶ茎を留める一口は殊に貴重とされる。味わい深い枯淡な乱れの中に処々新味を見せる刃文は、同派中の末行に最も鑑すべきものとして評価される。新発田藩主溝口家の旧蔵と伝える一口も知られ、綾小路一類の古色を伝える優品である。
末行の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在11点販売中
綾小路派は京の綾小路に在住して鍛刀した一派で、定利・定吉らを主要な刀工とする。銘鑑では定利の年代を文永頃としているが、現存する作品の作風は「古京物の三条・五条派の作域を踏襲した感のある古様な趣」[[c:1]]を呈しており、「通説よりも年代が遡るものと鑑せられる」[[c:2]]と繰り返し指摘されている。一説に定利は来国行の近隣に居住し、互いに代作しあったとも伝えられるが、もし両者に接点があるとしたならば「定利の晩年と国行の初期の頃」[[c:3]]ということになろうとされ、粟田口国安あたりに繋がる古雅な作域との類縁も認められている。 本派の作風上の最大の特徴は、刃文が「乱れが間近く小模様に複雑に乱れ」[[c:4]]る点にある。小丁子・小互の目・小乱れ・小のたれなどを交えた小模様の乱れに足・葉がよく入り、沸出来となる。とりわけ鑑定の決め手となるのは、「焼頭にさらに小さな焼が点続して二重刃風を形成」[[c:5]]する現象であり、湯走りや飛焼が焼頭上に点続して現れる様は同派に一貫して認められる。匂口は「うるみごころ」を呈し、この沈んだ柔らかな匂口も本派の重要な識別点である。帽子は乱れ込んで「さかんに掃きかけ」[[c:6]]るものが多く、火焔風や焼詰め風となる作も見られる。鍛えは板目肌ないし小板目肌がつみ、地沸が微塵ないし厚くつき、地景が入り、沸映りが立つ精美な地鉄を示す。姿態はやや細身で元先の幅差がつき、腰反り深く、先伏さりごころとなって小鋒に結ぶ優美な太刀姿を典型とし、踏張りを残す生ぶ茎の遺例も知られる。同時代の来派とは、焼の高低や匂口の性質、二重刃風の焼頭の有無によって区別され、備前物とは所謂「京逆足」の入り方や小模様の複雑さにおいて異なる作域を示す。 綾小路派の作は大磨上無銘がほとんどであるが、古様な姿態と独自の刃文構成により極めが可能とされ、その所伝は「首肯しうる」と繰り返し評価されている。江戸時代の刀剣書の系図には定家・定次・家安など門流を挙げ、南北朝時代から応永頃まで同派が継続したとするものもある。説示においては「古雅」「雅趣に富んだ」「滋味溢れる」といった評語が頻出し、華やかさよりも細やかな変化と深みに本派の美点が見出されている。三条・五条派の作域を基盤としながら独自の刃文意匠を確立した綾小路派は、京鍛冶の古層を伝える貴重な存在として、刀剣史上に重要な位置を占めている。 詳しく見る →
鎌倉時代の山城
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.