政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
番号:AS26492 短刀:白鞘、拵え付き(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘:無銘(来国俊) 当社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は来国俊の「最上作」にランクされる名品です。 ハバキ:金着一重ハバキ 長さ:24.4 cm (8寸0分5厘) 反り:0.0 cm 目釘穴:2個 元幅:2.08 cm 重ね:0.54 cm 刀身重量:135 g 時代:鎌倉時代中期頃 体配:表に二筋樋を掻き、裏には二筋樋に素剣、さらにその上に樋を掻き通した、格調高い姿の短刀です。 地鉄:小板目肌が非常によく詰み、鮮やかな映りが現れます。 刃文:直刃調に、匂口が深く柔らかく付き、刃中には金筋が働きます。帽子は丸く、返りが深く焼かれています。 特徴:来国俊は、鎌倉時代後期の山城国来派を代表する名工です。 弘安元年(1278年)から元亨元年(1321年)にかけての年紀作が残されています。 来国行の子で、通称を来孫太郎と称しました。 本作は無銘ながら、来国俊と極められた一口です。 健全で保存状態が良く、静謐で気品ある刃文を呈しています。 拵: 鍔:赤銅地に耳を金で色揚げした、小振りな食出鍔。 縁頭・尻金具:赤銅魚子地に牡丹の図を彫り、金色絵を施す。 目貫:柄に一体化しており、銀地に獅子牡丹の図を彫り出す。 鞘:黒呂色塗鞘。 小柄:赤銅魚子地に獅子の図を彫り、金色絵を施す。 小刀:付属。 歴史背景:鎌倉時代の正安元年(1299年)における重要な出来事の一つに、元からの使節であり、高僧の一山一寧(いっさんいちねい)の来日が挙げられます。当時の日本は、執権・北条貞時による統治下にあり……
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取扱店 葵美術







山城伝 · 山城
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来派の作をまず見分けさせるのは地鉄である。精美によく約んだ小板目を主体に板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が頻りに入り、沸映りが立って鉄が明るく冴える。処々に交じる柔らかく大模様の肌合は来肌と呼ばれ、疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。この明るく精到な山城の鍛えこそ、来一門の作を貫く第一の標識である。 その出発点に位置するのが、鎌倉時代中期に山城国京都に活躍した来国行で、諸書のくり返し記すとおり事実上の祖と仰がれる。自身の作に年紀はないが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って正元・文応頃の活躍年代が首肯される。以後、二字国俊から三字銘の来国俊へ、さらに来国光・来国次へと血脈が継がれ、鎌倉末から南北朝前期にかけて一門は山城刀工の最上位を占めた。なお来国俊は来派で最初に「来」の字を冠した工であり、以後の一門が皆これに倣っている。二字国俊と三字銘来国俊の同人・別人は、両銘の年紀が弘安元年から元亨元年の約四十年に納まることなどから近年同人説が定着しつつあり、一門の古典的な論点をなす。 地鉄の上に来派の焼く刃は、備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調を基調とする。これに小丁子・小互の目・小乱れを交え、足・葉が繁く入り、佩表の足が備前とは逆に茎の方へ斜めに傾く所謂京逆足となるところに京物の本領がある。匂深く明るく、小沸が厚くついて働きは刃の高さではなく沸に宿り、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は小丸を主としながら掃きかけを伴うことが多く、この掃きかけは小丸と並ぶ第一の鑑別点に据えるべきものである。時代と系統による振幅も明瞭で、二字国俊は身幅広く猪首鋒に結ぶ豪壮な体配に丁子主調の賑やかな乱れを焼き、三字銘来国俊は細身か尋常の姿に締まった直刃の上品な作域を示す。末期の来国光は直刃に互の目を目立って交え作域が最も広く、来国次に至っては地刃の沸が一門で最も強く、のたれに互の目を交えた相州伝寄りの作風から鎌倉来と呼ばれ正宗十哲に数えられる。 収集家がこの一門を求めるべき所以は、まずその鑑定の勘所が明快なことにある。よく約んだ小板目に微塵の地沸と鮮明な沸映り、広直刃に京逆足、そして掃きかける帽子という積極的な特色が揃い、無銘極めの拠りどころが明文化されている。一門内の差も精密に引かれ、来国光は来国次に比して焼きが幾分低く突き上げ気味の帽子に個性を窺い、戸津来あるいは中堂来と呼ばれる光包は来肌の少ない強く冴えた地鉄と広く長く返る帽子で一門中の異色として立つ。代表作と伝来も厚く、来国行在銘の太刀は筑前黒田家に伝わって本阿弥光忠の千貫折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を備え、名物愛染国俊・名物鳥飼国俊・名物乱光包をはじめ尾張紀州徳川家、前田家、上杉家、島津家、伊達家など大名家の蔵刀として珍重された。鎌倉末期山城物の最も純粋な姿を示す来派の作は、日本刀剣史において古刀山城の頂点に位置づけられ、真剣な収集家が現実に到達し得る目標であり続けている。 詳しく見る →
鎌倉時代の山城
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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