説明

杉山茂丸男爵家伝来日本刀随感昭和名物帳所載 来国行は国宝1点重要文化財15点重要美術品11点が国に指定されている日本の刀の宝の中の宝物です。来国行は来派の始祖正元頃(1259年)(762年前)刀剣界では横綱中の横綱として皆様大変良くご存知です。本太刀は腰反り高くつき、中切っ先で鎌倉時代の太刀姿を現し、地金は小板目肌詰み地沸がつき、裏に来の特徴の鍛え肌現れ、刃紋は広直刃調で浅くのたれて、丁子、小丁子、足、葉が頻りに入り、来の特徴の蕨手丁子が見事です。彫物は来国行には珍しいのですが本太刀には表に梵字と素剣、裏は梵字と見事な彫が彫られ、彫は国宝明石来国行と本太刀が大変合い通ずるところがあります。本太刀は孫文やインド独立の父と言われるボースや明治の元勲、伊藤博文、児玉源太郎、や並み居る有名な方々に大きく影響を与えて大の愛刀家であった杉山茂丸男爵家伝来と言われる名刀です。近代国家の礎を作った一人杉山茂丸男爵の息吹が大いに感じられます。是非お楽しみ下さいませ。

国行(山城京来派の祖)(杉山茂丸男爵家伝来)(重要刀剣) Kuniyuki(Rai)

国行(山城京来派の祖)(杉山茂丸男爵家伝来)(重要刀剣) Kuniyuki(Rai)

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仕様

長さ

71.5 cm

反り

2.2 cm

元幅

2.69 cm

先幅

1.73 cm

作者について

Rai Kuniyuki國行

1 国宝16 重要文化財11 重要美術品20 特別重要刀剣77 重要刀剣

来国行は、諸書がくり返し記すとおり「国行は、来派の事実上の祖であり」、鎌倉時代中期に活躍した山城の工である。自身の作には年紀を有するものが皆無であるが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って通説の正元・文応頃という活躍年代が首肯される。在銘の太刀は比較的多く現存し、確実な短刀は二字国俊同様に僅か一口を数えるのみで、来一門の祖として山城来派の出発点に位置する。 姿は一様でない。「彼の太刀姿は、細身」・尋常なもの・身幅たっぷりとして豪壮なものなど種々見られ、鋒は猪首風に結ぶのが通例である。生ぶ茎在銘の作は輪反り高く小鋒で優美であり、現存作の多くは大磨上無銘で、幅広・重ね厚く、磨上げながらも深い輪反りを保って堂々たる気品を示す。 地鉄は終始一貫している。精美な小板目を主体に、板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が入り、沸映りが立って処々乱れ映り風を呈する。かねは強く冴え、いわゆる来肌の明るく精到な鍛えがまず目に映る見どころである。 この地に、国行は備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調の刃を焼く。小丁子・小互の目・小乱れ・角ばる刃を交えて複雑に変化し、足・葉が繁く入って京逆足となるところも多く、匂深く明るく、小沸が厚くつき、刃中に金筋・砂流しがかかる。焼頭には小さな飛焼・湯走りが点じて雁股風をなし、棟焼を交えることもある。働きは刃の高さではなく沸に宿る。 帽子こそ見誤られやすい。単なる小丸ではない。返りは小丸が最も多いが、多くは掃きかけを伴い、地の働きが鋒へ続く。諸書はこれを「盛んに掃きかける」と記し、また「先小丸やや尖りごころに返る」とする。さらに「帽子は小さく乱れ込み、先尖りごころ」となるものも多く、時に尖り、時に焼詰め風となる。小丸と乱れ込みだけを挙げる見方は、実は支配的な掃きかけを取りこぼしており、鑑別では掃きかけを小丸と並ぶ第一の特色に据えるべきである。 来派の祖たるにふさわしく、伝来も重い。在銘の特別重要刀剣の太刀は筑前黒田家に伝わり、元禄十四年(一七〇一)「本阿弥光忠」の代金子千貫の折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を附帯する。ほかに大磨上の一口は薩摩島津家に伝来し、銘振りは小笠原家旧蔵の作に比して理解され、徳川家にも及ぶ。国宝一口・重要文化財多数を遺し、特別重要刀剣と重要刀剣を合わせれば凡そ百口に達して、古刀山城の最上位に列し、自在に取引し得る作は稀有である。

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