Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 Kozuka "Yugyo-yanagi"(The Priest and the Willow ) この小柄は、後に『遊行柳』と題された謡曲でも知られる、白河の関にようやくたどり着こうかという西行が柳の木陰に佇んでいる場面。 西行のこの歌は、ひと時の休息のつもりが、時を忘れて景色を眺めていたことを意味している。 作者は、東龍斎清壽の門下で筆頭に挙げられる柴原壽良。文政十二年に生まれた壽良は、師風を良く伝え、東龍斎派の多くの工が成した過剰なほどの装飾性を採らず、正確な図取りと丸みのある精��密な高彫色絵の技法を駆使し、洒落た空気感を漂わせるを得意とした金工。この小柄でも、細部に繊細な肉彫を加え、殊に固く結んだ口元と鋭い視線を投げかける目元など、若き西行の強い意志をも浮かび上がらせる図としている。

東龍斎派
江戸
在銘
町彫 · Edo
現在12点販売中
東龍斎派は、幕末の江戸に興った金工の一門である。開祖は田中清寿(東龍斎)であり、武蔵国の鐔工田中房次郎の子として生まれた。はじめ後藤宗次郎政則に学んだものの、装剣金工の広い領域はおおむね独学によって究め、ついに洒脱で個性ゆたかな独自の作風を完成させた。その手法は東龍斎風と称され、一派の基をなすにいたる。清寿は幕末金工の三名工の一に数えられ、京の後藤一乗と名声を競い、一乗と同じく法眼の位を授けられた。その工房には多くの門人が集い、なかでも養子の清重が二代を継ぎ、また柴原十郎(俊美)は、後年に至るまで「清寿門下随一の金工」[[c:1]]と評された。柳川派の名工河野春明もまた江戸において清寿と時を同じくし、幕末金工の一潮流をなして、この一門の周辺に少なからぬ影響を及ぼしている。 作風は、あらゆる彫法を自在に駆使する技倆と、江戸ならではの粋にして機知に富む趣向とに支えられる。清寿から清重・俊美にいたるまで、赤銅・四分一・鉄・銀などの地金の上に、色絵を伴う高彫をはじめ、鋤出彫、据紋象嵌、平象嵌、布目象嵌などを巧みに用いた。とりわけ清寿は、金に加えて素銅・四分一・真鍮・色金を交える鮮麗な色調を確立し、「色金の魔術師」とも称された。清重はこの語彙を受け継ぎつつ、肉置のすぐれた立体的な彫成を得意とし、その肉彫は丸彫に迫るとされる。俊美は磨いた四分一地を主とし、据紋象嵌・置金・消鍍金などを一作のうちに綜合して、深みのある色調を表した。なお小柄裏の猫掻鑢は、この一門の後期作を結ぶ特色として知られる。画題もまた広く、人物・花鳥・竹取物語や徒然草に取材した文学的主題、さらには擬人化された蛙などの諧謔をまじえ、江戸風の洒落た味わいをよく伝えている。 日本美術刀剣保存協会の鑑識は、この一門の作を、金象嵌を多用しても格調高く、荘重にして衒いのない品位と完成度を備えたものと評している。清寿円熟の作は技と趣向とがよく協和し、清重の優品は開祖に比肩する域に達するとされ、俊美の作には余白を生かした構図と落ち着いた気韻が認められる。東龍斎派は、後藤・柳川の彫法を摂取しつつ、これを独自の作意へと昇華させ、江戸金工の自立した美意識をもっとも明確に体現した一門といえる。開祖清寿に始まり、清重の継承を経て俊美の明治期の活動へと流派の個性が連綿と保たれたことは、その芸術的気概の確かさを物語っている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 Kozuka "Yugyo-yanagi"(The Priest and the Willow ) この小柄は、後に『遊行柳』と題された謡曲でも知られる、白河の関にようやくたどり着こうかという西行が柳の木陰に佇んでいる場面。 西行のこの歌は、ひと時の休息のつもりが、時を忘れて景色を眺めていたことを意味している。 作者は、東龍斎清壽の門下で筆頭に挙げられる柴原壽良。文政十二年に生まれた壽良は、師風を良く伝え、東龍斎派の多くの工が成した過剰なほどの装飾性を採らず、正確な図取りと丸みのある精��密な高彫色絵の技法を駆使し、洒落た空気感を漂わせるを得意とした金工。この小柄でも、細部に繊細な肉彫を加え、殊に固く結んだ口元と鋭い視線を投げかける目元など、若き西行の強い意志をも浮かび上がらせる図としている。

東龍斎派
江戸
在銘
町彫 · Edo
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東龍斎派は、幕末の江戸に興った金工の一門である。開祖は田中清寿(東龍斎)であり、武蔵国の鐔工田中房次郎の子として生まれた。はじめ後藤宗次郎政則に学んだものの、装剣金工の広い領域はおおむね独学によって究め、ついに洒脱で個性ゆたかな独自の作風を完成させた。その手法は東龍斎風と称され、一派の基をなすにいたる。清寿は幕末金工の三名工の一に数えられ、京の後藤一乗と名声を競い、一乗と同じく法眼の位を授けられた。その工房には多くの門人が集い、なかでも養子の清重が二代を継ぎ、また柴原十郎(俊美)は、後年に至るまで「清寿門下随一の金工」[[c:1]]と評された。柳川派の名工河野春明もまた江戸において清寿と時を同じくし、幕末金工の一潮流をなして、この一門の周辺に少なからぬ影響を及ぼしている。 作風は、あらゆる彫法を自在に駆使する技倆と、江戸ならではの粋にして機知に富む趣向とに支えられる。清寿から清重・俊美にいたるまで、赤銅・四分一・鉄・銀などの地金の上に、色絵を伴う高彫をはじめ、鋤出彫、据紋象嵌、平象嵌、布目象嵌などを巧みに用いた。とりわけ清寿は、金に加えて素銅・四分一・真鍮・色金を交える鮮麗な色調を確立し、「色金の魔術師」とも称された。清重はこの語彙を受け継ぎつつ、肉置のすぐれた立体的な彫成を得意とし、その肉彫は丸彫に迫るとされる。俊美は磨いた四分一地を主とし、据紋象嵌・置金・消鍍金などを一作のうちに綜合して、深みのある色調を表した。なお小柄裏の猫掻鑢は、この一門の後期作を結ぶ特色として知られる。画題もまた広く、人物・花鳥・竹取物語や徒然草に取材した文学的主題、さらには擬人化された蛙などの諧謔をまじえ、江戸風の洒落た味わいをよく伝えている。 日本美術刀剣保存協会の鑑識は、この一門の作を、金象嵌を多用しても格調高く、荘重にして衒いのない品位と完成度を備えたものと評している。清寿円熟の作は技と趣向とがよく協和し、清重の優品は開祖に比肩する域に達するとされ、俊美の作には余白を生かした構図と落ち着いた気韻が認められる。東龍斎派は、後藤・柳川の彫法を摂取しつつ、これを独自の作意へと昇華させ、江戸金工の自立した美意識をもっとも明確に体現した一門といえる。開祖清寿に始まり、清重の継承を経て俊美の明治期の活動へと流派の個性が連綿と保たれたことは、その芸術的気概の確かさを物語っている。 詳しく見る →
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