江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
Stock number:KA-090826Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)・Era(Jidai): Musashi(Tokyo), Middle Edo period about 1688~Blade length(Cutting edge): 69.9cmCurve(SORI): 1.4cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.92cmThickness at the Moto-Kasane: 0.68cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.25cmThickness at the Saki-Kasane: 0.55cmHabaki: Two parts, Gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Katte-Sagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Length of Koshirae : about 102cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiEngraving : Bohi on each sideJigane(Hada): Ko-ItameTemper patterns(Hamon):Sugu style and Gunome with Gunome-ashiTemper patterns in the point(Bohshi): Sugu then komaru round tipRegistration Card: Hyogo【Additional Information】江戸法城寺一門は、新刀期に武蔵国に住した刀工一派で、正弘、吉次、貞国、国正、正照などが巧者として名が挙がります。同派は本国但馬で、南北朝期、「貞宗三哲」の一人として数えられる法城寺国光の末葉と伝わります。作風は地鉄が小板目肌、刃文は沸出来の直刃や互の目を焼き、沸匂深いものとなります。本品の法城寺国正は、正弘や貞国らと並ぶ同派の代表工の一人であります。本刀は、刃長が二尺三寸一分弱、身幅重ねともに尋常、反り頃合いで、中切っ先となる刀姿の一振です。表裏に棒樋を彫刻します。地鉄は小板目肌に地沸よくつき、精良な肌合いとなります。刃文は直刃基調に互の目交じり、互の目足よく入り、小沸柔らかにつき、匂口深く、明るく冴えます。帽子は直ぐで先小丸に返ります。茎は生ぶ、勝手下がり鑢目で仕立て、刀工銘を切ります。法城寺一派の中でも正弘や貞国らと並び著名な法城寺但馬守橘国正の刀です。鍛は小板目、刃文は直刃調に互の目、互の目足が入るなどして匂口明るく冴えるなど、同派の典型的な作風を呈し、出来口見事であります。白鞘、金着二重はばき、暗朱石目地塗鞘打刀拵、特別保存刀剣鑑定書。
在銘 · Hojoji · 江戸 · 長さ 69.9cm · 反り 1.4cm





























相州伝 · 武蔵 · 1688-1704頃
現在1点販売中
相州伝 · 但馬
現在23点販売中
法城寺は但馬国の地名であり、この派の名はそこに発する。各工の説明書がまず立ち返るのは、南北朝期この地に住んだ薙刀の名手国光であって、国光のことを地名をもって法城寺と呼び習わしたと繰り返し記される。古刀の法城寺はこの国光を源とし、銘鑑に初・二代を挙げて初代を貞治、二代を応永とするが、有銘の太刀・薙刀は伝わらず、その盛名を担う薙刀および薙刀直しはことごとく無銘極めである。古来「相州貞宗の三哲の一人」[[c:1]]に数える伝を、説明書は引くたびに「多くの疑問があり、俄かに賛成出来ない」[[c:2]]「妥当を欠く」と退け、むしろ備前物の影響が強いと結ぶ。新刀期に至り、この但馬の流れを汲む一門が江戸に移って大いに栄えた。その初代を近江守正弘とし、これに直ぐ次ぐ貞国、吉次・正照・永国らの良工を輩出して、寛文・延宝の頃には江戸で最も多くの人数をもった鍛冶集団と呼ばれた。古刀の但馬法城寺と、江戸に分流した新刀の法城寺と、この二つの活動地・時代を一派の両端として読むべきである。 作風は古刀と新刀とで趣を異にする。古刀の無銘極めは、華やかな丁子乱れを焼いて一見備前一文字に見紛うほどでありながら、地刃の沸が一段と強く、大模様の鍛えに地景が入って肌立ち、刃中に金筋・砂流しを頻りにあしらう点で備前から分かたれる。地鉄は板目に大板目・流れ肌を交えて大模様に肌立ち、乱れ映りは鮮明な口少なく淡い口が多く、その淡さこそ但州法城寺の見どころと記される。在銘の短刀は趣を全く異にし、細直刃・中直刃に二重刃を交える手と、小のたれに互の目を交え砂流しさかんにかかる手とに分かれる。これに対し江戸新刀は、各工が一様に直刃を本領とする。正弘は匂深い直刃を得意とし、広直刃に小互の目を連れ、小沸むらなく厚くつき、二重刃をまま交え、地鉄は小板目をよくつめ地沸を微塵に厚くつけてかね明るい。貞国はこれに酷似して互の目を交え砂流しを走らせ、ただ地刃の冴えと匂口の力強さが正弘に僅かに及ばないとされる。吉次は一門中で互の目が最も目立ち、小のたれに数珠刃風の互の目を連ね、覇気に満ちた作域を示す。正照は中直刃に優れ、永国は直刃の焼出しより連なる互の目を一定の軸とする。帽子はおおむね直ぐに小丸へ返り先掃きかけるのを常とし、姿は鎬低く元先の幅差目立ち反り浅く中鋒つまる寛文新刀の体配を、各工がそれぞれの手で読んでいる。 鑑定の勘所は、この古刀と新刀の二つの面にそれぞれ立つ。古刀では、淡い乱れ映りと大模様に肌立つ鍛え、地刃の顕著な働きをもって備前と分かち、無銘極めの薙刀直しと在銘短刀との間に出来口の通うところを見出して一人の工に繋ぐのが眼目である。本間順治はこの手の薙刀直しを初代但州国光とし、無銘物には本阿弥光温・光忠ら代々の極めが付く。新刀では、各工の説明書がそろって長曽祢虎徹に近いことを記し、就中正弘を諸工のうち最も虎徹に近いとして、山野家の截断金象嵌を多く帯びる縁から法城寺一派と虎徹一門の相当近い関係を推す。判者が引く類比はみな上に向かい、貞国・吉次の優品は兼重ら江戸の名手に迫るとされ、その匂深く匂口明るい刃と微塵の地沸が、この一派を共通して支える。主要工の格は、古刀の国光が藤代上々作で重要文化財をも数えるのに対し、新刀の各工は上作ないし作に位し、その指定はおおむね重要刀剣の級にとどまる。伝来は、古刀国光の短刀が秋元家・前田家・徳松ゆかりの名物として伝わるのに対し、新刀の各工は大名家への古い伝来をほとんど記されず、山野家の截断銘がしばしば伝来の名を補う。市に現れるのは新刀の在銘作が折々のことに過ぎず、截断銘を帯びた出来のよい一口は、探すより俟つに値する。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
¥2,500,000