大森英秀は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した金工家である。横谷宗珉の門人である大森英昌の甥にあたり、後にその養子となって大森派の二代目を継承した。喜惣次と称し、横谷派の中でも有力な一派を築き、一門の興隆に大きく貢献した名人として知られる。
英秀の作風は、赤銅魚子地を高彫色絵で飾ることを得意とし、獅子、動物、鳥類、花卉、人物図など、幅広い題材を手がけた。特に「大森波」と呼ばれる独特の立体的な波濤図は、英秀の代名詞とも言える意匠であり、その卓越した技量を示すものである。また、塵紙象嵌、あるいは梨子地象嵌とも呼ばれる、蒔絵を想起させる金平象嵌の技法を編み出し、作品に雅やかな趣を加えている点も特筆される。作域は、高彫、据文、色絵、平象嵌など多岐にわたり、金、銀、四分一、緋色銅などの素材を巧みに用いて、華麗で迫力のある作風を確立した。銘は、割短冊銘や金象嵌銘など、多様な形式が見られる。
英秀の作品は、「華麗」「迫力」といった言葉で評されることが多い。高彫の冴え、鏨の妙、構図の妙など、あらゆる要素が組み合わさり、英秀ならではの世界観を形成している。その技巧と技術は、狭い区間の中で獅子や牡丹などの意匠を開花させ、見る者を魅了する。また、大森派の作風に留まらず、奈良派の作風を参考にしたり、狩野派の画稿を基に製作するなど、意欲的な試みも行っている。江戸時代大名所用の儀仗太刀の作者として明確な遺例を残しており、その作は保存状態も良好なものが多く、江戸金工史上、重要な位置を占める。