南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
時代 : 南北朝期 国 : 摂津国 証書 財団法人日本美術刀剣保存協会 重要刀剣 指定書 外装 : 拵付白鞘入 刃長 : 2尺3寸1分 反り : 5分9厘 目釘穴 : 2個 元幅・元重 : 31.8mm(棟を含)・6.7mm 先幅・先重 : 24.4mm(棟を含)・4.4mm Period : Nanbokucho Country : Setsu Paper : NBTHK Juyo Paper Fittings : Koshirae+Shirasaya Length : 70.0cm(27.56inches) Curve : 1.8cm Hole : 2 Bottom Width,Thickness : 31.8mm(including Mune)・6.7mm Top Width,Thickness : 24.4mm(including Mune)・4.4mm 伊東巳代治伯爵旧蔵の品。 第25回重要刀剣図譜解説より 中島来とは来国長を指すのであり、来国俊の弟子で、のち摂津国中島に移住したことからこの呼称がある。現存する在銘の太刀は一口であり、脇差、短刀が僅かにある。古来、無銘極めのものは、来国光、来国次などに比べて技量の少し劣るものを当てている。 この作は大磨上げ無銘で、その体配は南北朝期のものである。地刃の出来から所伝を首肯しうるものであり、黒石目地塗肥後打刀拵が付いている。
中島来とは来国長を指すのであり、来国俊の弟子で、のち摂津国中島に移住したことからこの呼称がある。現存 する在銘の太刀は一口であり、脇指、短刀が僅かにある。古来、無銘極めのものは、来国光、来国次などに比べて技 何の少し劣るものを当てている。 この作は大磨上げ無銘でその体配は南北朝期のものである。地刃の出来から所伝を首肯しうるものであり、黒石目 地塗肥後打刀拵が付いている。













Nakajima Rai (Settsu offshoot of Yamashiro Rai) · 摂津 · 1345-1350頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位15%
現在1点販売中
二代国長は中島来の名を継ぐ。中島来は、来国俊の門人が京を出て摂津の中島に移ったことに始まる山城来の分派である。銘鑑は初代を鎌倉末の元徳頃、二代を正平・応安頃とし、本項の指定作は、延文・貞治の幅広く大鋒の姿で作刀した二代を伝える。判者はこの区別を作そのものから導く。すべてが南北朝の様式を示す在銘脇指について、国俊の門人の作とするには年代的に無理があるとして「この脇指は二代の作である」[[c:1]]と結び、身幅広く大鋒の太刀について「完全な南北朝様式」[[c:2]]であるから「二代来国長と鑑るべきであろう」[[c:3]]とする。
鑑定の要は説明書が繰り返す一文にある。すなわちその作は「様式的には来国光や時に来国次に似るが、格調の面で聊か譲るところがある」[[c:4]]。隔たりはまず地鉄に表れる。よくつんだ板目・小板目は刃寄りに柾がかって流れ、やや肌立ち、地沸厚くつき、地景細かに入って、京の締まった明るい地鉄よりも鄙びた肌合を見せる。
その地に広い中直刃を焼くが、平板にとどまらない。小のたれ・小互の目が交じり、足・葉入り、小沸刃縁につき、砂流し、最上の作には金筋が刃中に働く。ある無銘刀は「刃縁上の湯走りや刃中の足・葉、金筋・砂流しなど刃境や刃中に表した豊富な働き」[[c:5]]を称えられる。帽子は直ぐに小丸、多く掃きかけ、幅広の後期の刀では焼詰めごころに突き上げる。
説明書は代の区別を刃文に引き、初代は直刃を得意としたが「二代にはむしろ直刃の作は少なく乱れたものが多い」[[c:6]]とする。在銘作は「その有銘の作は、短刀、小脇指に多く」[[c:7]]、身幅広くやや寸延びて重ね薄く、三字銘を目釘孔の下に切り、彫物は「彫物も簡素ながら上手である」[[c:8]]。無銘の作は延文・貞治型の大磨上の刀である。
伊予松山久松家伝来の在銘脇指二口が本工の頂点をなす。一口について説明書は「同作中のみならず同名中の白眉である」[[c:9]]とし、恵林寺蔵の太刀に見る初代は技術において二代に及ばないと付す。いま一口は特別重要刀剣で、大振りの南北朝様式の姿に、上半は丁子に湯走り風の飛焼を交えて皆焼状をなし、地に力強く沸映りが立つ。説明書はこれを「来派の作としては異色な出来口を示している」[[c:10]]とし、「資料的にも頗る貴重な作である」[[c:11]]として、「伊予松山久松家に伝来した一口」[[c:12]]と記す。
藤代は上々作とする。国宝・重要文化財はなく、その記録は特別重要刀剣一口を含む特別重要刀剣・重要刀剣十三口である。在銘作は少なく、久松家の二口の脇指がこの名の物差しとなる。本阿弥の極めを帯びた無銘の刀は時折市場に現れるが、乱れを焼いた在銘の二代脇指は、摂津に伝わった来の作風を読み取れる稀な資料である。
國長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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山城伝 · 摂津
現在6点販売中
中島来派は、山城来派の刀工来国俊の門人である来国長が摂津国中島に移住して鍛刀したことに起源を持つ一派である。『刀工銘鑑』によれば同名二代があり、初代を元徳頃、二代を正平・応安頃と記している。有銘作の遺例は極めて僅少であるが、現存作は来派の伝統を忠実に継承した作風を示しており、様式的には来国光に近似するものの、作位において若干譲る感がある。 作風の特徴は、地鉄において板目肌がよくつみ、しばしば杢目や流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入る点に認められる。淡く沸映りが立つものも見られ、地刃ともに冴えた出来口を呈する。刃文は広直刃を基調とし、小互の目・小丁子などが交じり、足・葉がよく入り、小沸出来で匂口が明るく冴える。刃縁には処々ほつれ・喰違刃・二重刃・打のけなどの変化が現われ、金筋・砂流しが盛んにかかるなど、刃中の働きに富む。帽子は直ぐに小丸、あるいは乱れ込んで掃きかけ、先小丸に返るものが多い。姿形は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかかる頃の特色を示し、身幅広く、元先の幅差が少なく、反りやや浅く、中鋒延びる、あるいは大鋒となる豪壮な体配を呈する。大磨上無銘となるものが大半であるが、輪反りの名残を留めるものも少なくない。 伝世品の多くは重要刀剣以上の指定を受けており、来派の特色を明示しながらも、覇気に富む作域と地刃の健全さを兼備した優品が揃っている。板目肌に地沸が厚くつき地景が頻りに働く鍛え、光の強い沸が厚くついて刃縁が頻りに働く刃文、そして幅広で大鋒の力強い姿態が相俟って、中島来派の刀剣は南北朝期における来派の伝統と時代の覇気を今に伝える貴重な遺産として評価されている。 詳しく見る →
南北朝時代の山城
南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,357口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後3日以内にお電話にてご連絡の上、翌日にご返送ください。その際の郵送料、セキュリティーサービス料はお客様のご負担となります。
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