南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
本作は来国次の門人と伝えられ、後に摂津国中島に移住し作刀したことから「中島来」と称される名工、来国永の刀です。 南北朝時代に制作された本作は、大磨上げが施され現在の姿となっております。身幅広く、小板目肌に微細な沸(にえ)がつく精良な鍛えを見せ、大切先となります。刃文は直刃を基調に、小互の目や小丁子が交じり足よく入り、働きが豊富です。身に欠点や傷はなく、地刃ともに極めて健全な状態を保っております。来派の特色が顕著に示された、同工の傑作と呼ぶに相応しい出来映えです。 鞘には、日本美術刀剣保存協会の創設者であり、刀剣研究の権威である本間薫山先生による「中島来」との正真鑑定の鞘書が、昭和六十二年三月に記されています。また、日本美術刀剣保存協会より「重要刀剣」に指定されており、その正真性が保証されています。家宝として末永くお持ちいただける名刀として、自信を持ってお勧めいたします。 長さ:68.4 cm 反り:1.8 cm 目釘穴:3個 先幅:21.0 mm 元幅:31.0 mm 銘:無銘 時代:古刀(南北朝時代) 体配:鎬造、庵棟 地鉄:小板目肌 刃文:直刃に小丁子、小互の目交じる 帽子:掃き掛け、小丸に返る 茎:磨上げ 重量:659 g(鞘を払って) ご希望の御刀が掲載されていない場合は、お気軽にお問い合わせください。
























Nakajima Rai (Settsu offshoot of Yamashiro Rai) · 摂津 · 1345-1350頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位15%
現在1点販売中
二代国長は中島来の名を継ぐ。中島来は、来国俊の門人が京を出て摂津の中島に移ったことに始まる山城来の分派である。銘鑑は初代を鎌倉末の元徳頃、二代を正平・応安頃とし、本項の指定作は、延文・貞治の幅広く大鋒の姿で作刀した二代を伝える。判者はこの区別を作そのものから導く。すべてが南北朝の様式を示す在銘脇指について、国俊の門人の作とするには年代的に無理があるとして「この脇指は二代の作である」[[c:1]]と結び、身幅広く大鋒の太刀について「完全な南北朝様式」[[c:2]]であるから「二代来国長と鑑るべきであろう」[[c:3]]とする。
鑑定の要は説明書が繰り返す一文にある。すなわちその作は「様式的には来国光や時に来国次に似るが、格調の面で聊か譲るところがある」[[c:4]]。隔たりはまず地鉄に表れる。よくつんだ板目・小板目は刃寄りに柾がかって流れ、やや肌立ち、地沸厚くつき、地景細かに入って、京の締まった明るい地鉄よりも鄙びた肌合を見せる。
その地に広い中直刃を焼くが、平板にとどまらない。小のたれ・小互の目が交じり、足・葉入り、小沸刃縁につき、砂流し、最上の作には金筋が刃中に働く。ある無銘刀は「刃縁上の湯走りや刃中の足・葉、金筋・砂流しなど刃境や刃中に表した豊富な働き」[[c:5]]を称えられる。帽子は直ぐに小丸、多く掃きかけ、幅広の後期の刀では焼詰めごころに突き上げる。
説明書は代の区別を刃文に引き、初代は直刃を得意としたが「二代にはむしろ直刃の作は少なく乱れたものが多い」[[c:6]]とする。在銘作は「その有銘の作は、短刀、小脇指に多く」[[c:7]]、身幅広くやや寸延びて重ね薄く、三字銘を目釘孔の下に切り、彫物は「彫物も簡素ながら上手である」[[c:8]]。無銘の作は延文・貞治型の大磨上の刀である。
伊予松山久松家伝来の在銘脇指二口が本工の頂点をなす。一口について説明書は「同作中のみならず同名中の白眉である」[[c:9]]とし、恵林寺蔵の太刀に見る初代は技術において二代に及ばないと付す。いま一口は特別重要刀剣で、大振りの南北朝様式の姿に、上半は丁子に湯走り風の飛焼を交えて皆焼状をなし、地に力強く沸映りが立つ。説明書はこれを「来派の作としては異色な出来口を示している」[[c:10]]とし、「資料的にも頗る貴重な作である」[[c:11]]として、「伊予松山久松家に伝来した一口」[[c:12]]と記す。
藤代は上々作とする。国宝・重要文化財はなく、その記録は特別重要刀剣一口を含む特別重要刀剣・重要刀剣十三口である。在銘作は少なく、久松家の二口の脇指がこの名の物差しとなる。本阿弥の極めを帯びた無銘の刀は時折市場に現れるが、乱れを焼いた在銘の二代脇指は、摂津に伝わった来の作風を読み取れる稀な資料である。
國長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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山城伝 · 摂津
現在6点販売中
中島来派は、山城来派の刀工来国俊の門人である来国長が摂津国中島に移住して鍛刀したことに起源を持つ一派である。『刀工銘鑑』によれば同名二代があり、初代を元徳頃、二代を正平・応安頃と記している。有銘作の遺例は極めて僅少であるが、現存作は来派の伝統を忠実に継承した作風を示しており、様式的には来国光に近似するものの、作位において若干譲る感がある。 作風の特徴は、地鉄において板目肌がよくつみ、しばしば杢目や流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入る点に認められる。淡く沸映りが立つものも見られ、地刃ともに冴えた出来口を呈する。刃文は広直刃を基調とし、小互の目・小丁子などが交じり、足・葉がよく入り、小沸出来で匂口が明るく冴える。刃縁には処々ほつれ・喰違刃・二重刃・打のけなどの変化が現われ、金筋・砂流しが盛んにかかるなど、刃中の働きに富む。帽子は直ぐに小丸、あるいは乱れ込んで掃きかけ、先小丸に返るものが多い。姿形は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかかる頃の特色を示し、身幅広く、元先の幅差が少なく、反りやや浅く、中鋒延びる、あるいは大鋒となる豪壮な体配を呈する。大磨上無銘となるものが大半であるが、輪反りの名残を留めるものも少なくない。 伝世品の多くは重要刀剣以上の指定を受けており、来派の特色を明示しながらも、覇気に富む作域と地刃の健全さを兼備した優品が揃っている。板目肌に地沸が厚くつき地景が頻りに働く鍛え、光の強い沸が厚くついて刃縁が頻りに働く刃文、そして幅広で大鋒の力強い姿態が相俟って、中島来派の刀剣は南北朝期における来派の伝統と時代の覇気を今に伝える貴重な遺産として評価されている。 詳しく見る →
南北朝時代の山城
南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
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