
来国次(重要刀剣)(鑑刀日々抄続二所載) Rai Kunitsugu
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Ocho (1311-1312)
仕様
78.2 cm
2.3 cm
3.17 cm
2.02 cm
作者について
Rai Kunitsugu國次
『名物帳』所収の短刀「鳥養国次」について、説明書は「来一派の中では地刃の沸が一番強い」のが来国次の作であると記し、この一文に同工の本領が尽きている。説明書は彼を鎌倉時代最末期に置き、その活躍は南北朝初期に及ぶとし、やや先輩格の来国光と並んで来派本流の最終期を担う二人の名手とする。系譜は所伝が分かれ、通説に来国俊の弟子、一説に来国光の従兄弟、また国俊の子、国光の弟とも伝えている。古来「正宗十哲」の一人に数えられ、「鎌倉来」と呼称されるが、説明書はその名の由来を作風そのものに求める。 その作風とは、それまでの来派に見られなかった乱れ主調の刃文である。のたれに互の目を交え、沸は厚く明るく、金筋・砂流しが刃中を駆け、刃縁には湯走りがかかる。鍛えは板目に地沸が厚くつき、地景が頻りに入り、処々肌立ちごころとなる。説明書はこれを繰り返し「相州伝の影響を多分に受けた出来口」と評し、重要美術品の短刀に対する本間談も同じ線上にあって、「来一派の中でも地刃の沸が目立って強い」という。欠如もまた同じ方向を指す。一般の来派の作に比して、その地には「来肌なども少く」と指摘される。この作域の帽子は乱れ込み、あるいは尖りごころとなり、掃きかけを伴うことが多い。 相州的な色彩の下で、地鉄は飽くまで来である。上作では小板目がよくつみ、地沸が微塵に厚く、地景が細かに入り、淡く沸映りが立つ。これが作を京物に留める錨である。現存最多の作域は大磨上無銘の刀で、身幅広く、輪反りが深くつき、中鋒が延びごころとなる。直刃調に小互の目・小丁子を交え、足・葉が長く太く絶え間なく入り、沸が厚く刃に深くつき、金筋・砂流しがかかり、二重刃風の湯走りが刃縁に遊ぶ。無銘極めの着眼は明文化されており、地刃がことに明るく沸づきが強い上に、「刃中の沸足が目立っている点に着眼すれば来国次と鑑するのが妥当」とされる。ある重要刀剣の刀は「宛ら同工の短刀に焼く乱れを太刀にあらわした感」と評されている。 有銘作はほとんど短刀・小脇指であり、説明書は太刀の現存が僅少で、剣・槍は極めて稀にしか遺らないことを繰り返す。短刀は目釘孔の下中央に太鏨大振りの三字銘を切り、腰反り高く細身の在銘太刀は縦長・細鏨・小振りの銘字をもち、説明書はこれを初期の手と鑑して、年代による作域の変遷を知る上で貴重とする。少数ながら来派の旧様をそのまま守る作があり、静かな直刃に小丁子を交え、沸づきは尋常である。上杉家伝来の短刀は「来派の伝統を墨守した穏やかな作域」と記され、同作には極めて稀有とされる。年紀作はほとんどなく、嘉暦二年(1327)の剣が現存最古の年紀で、この期の他工同様に大和伝で制作されている点が注目され、正慶元年(1332)の短刀が現存し、元徳の年紀は古い刀絵図に所載されるのみである。正宗門下の所伝については説明書自身が慎重であり、同様の沸の強い作風は来国光にも往々見られるところから、「直ちに来国次が正宗門人説を肯定することは早計である」と戒めている。 彼の位置を定めるのは来国光との対置である。国光にも伝統的な直刃出来のほかに乱出来があるが、その数量は直刃の方がはるかに多く、「来国次はそれとは反対」と説明書は記す。さらにある重要刀剣の説明は、先輩国光の沸を強調した乱れ刃よりも「それ以上に沸出来をあらわして」おり、かつての来派には見られぬ作風と判じている。来国行・二字国俊・来国俊・来国光という一派の先人の中で、伝統的な京風を最も残さないのが国次であり、そこにこそ正宗門人という古来の説が注目される所以がある。一方で鑑定は幅も認めており、同工には種々の「変り出来」もあるとされ、数少ない有銘太刀は相互に作風を異にする。国光と共に南北朝初期に来派本流の最終期を飾り、「鎌倉来」の称は一派の相州伝寄りの極にあることを示している。 藤代の極めで上々作。国宝一口と重要文化財四口は市場の外に保たれた文化財であり、その下に特別重要刀剣十四口・重要刀剣四十口、この二段で五十四口を数える。指定を受けた作は六十五口、うち在銘二十九口に対し無銘三十六口である。名物『鳥養国次』は昭和八年に重要美術品に認定された。伝来は第一級で、説明書は旧将軍家伝来と旧前田家伝来の太刀を有名なものに挙げ、徳川実紀に載る一振りは元禄十五年(1702)に将軍綱吉から柳沢吉保に下され、家康の長男松平信康から家老平岩親吉に下賜された刀があり、上杉家・浅野家・大久保家・鍋島家・生駒家の短刀、土佐山内家伝来で享保五年(1720)に遺物として将軍家へ献上された一口が知られる。現所在の知られるものは東京国立博物館・佐野美術館・彦根城博物館などに蔵される。蒐集家にとっての実像は、指定作が動くことより蔵されることのはるかに多い来派の大家であり、重要刀剣級の無銘の刀・脇指は時に現れ、在銘の短刀は稀にしか現れず、『鳥養国次』級の作に逢うことは一つの事件として待つほかない。




