長守は、長船長光の弟真長の曾孫と伝え、弟長義と並び、相伝備前と呼ばれる南北朝期の多くの備前鍛冶を代表する名工である。現存する作刀の年紀は承和より応安に及んでおり、その作風は匂勝ちのものと、地刃の沸の強い者との両様がある。この刀は、身幅広く、反り尋常、鋒延びごころの南北朝の体配で、乱れ映り立ち、地沸厚く付く冴えた地鉄に、長義独特の耳形丁子や重花風の丁子を交える華やかな刃を焼き、沸匂深く、金筋・砂流し頻りに掛り、地刃明るく冴え渡る傑作である。小笠原家の伝来で、三階菱紋が入る打刀拵が附帯する。

Osafune (Bizen), Chōgi line · 備前 · 1346-1370頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在1点販売中
正平五年五月、すなわち一三五〇年の年紀を切った一口の短刀が、備前長船長守の事跡を定める。その年紀は従来知られた在銘の上限を引き上げ、説明書をして本工を一世代後ではなく師とほぼ同年代の工とせしめたのである。長守は古来、長義すなわち実名長義の子あるいは門人と伝える。現存する年紀作を併せ読むと、正平五年・正平八年より同二十二年に及び、建徳年間を経て、近年出現した永和四年・康応元年に至り、いずれも長義とほぼ同時代を示す。師と同じく、年紀の大半は南朝年号を用いる。長義の貞和六年(正平五年に当たる)の短刀が師最古の年紀作として遺ることから、両者は年紀作の冒頭に並び立ち、ある特別重要脇指はさらに本工がやや古いことを示唆して、「長義よりやや時代がさかのぼるともみられる」[[c:1]]と記す。
その作は、長義一門の相州伝に移し換えられた備前の手である。本工を名づける刃文は、長義風に腰の開いた互の目乱れで、これに丁子・小互の目・角がかる刃・尖りごころの刃が交じり、刃幅広く多様で、足・葉入り、小沸つき、細かな湯走り・飛焼を交える。刃中には金筋・砂流しがかかり、匂口は明るく冴える。しかし説明書は長義との類似を物語の全てとはしない。腰の開く乱れと刃の多様に類似を認めたうえで、その極めを一つの差に定めるのである。すなわち本工の作では乱れが師より幾分小模様となり、判者は「乱れが幾分小模様となる態に長守の極めが首肯される」[[c:2]]と書く。乱れの小ささこそが見どころであり、それは覇気と技術において長義・兼長にやや及ばぬ作域と読まれる。
その刃文の下で、地鉄は終始変わらぬところである。杢を交えた板目を鍛え、肌はやや立ち、処々柾がかって流れ、地沸を微塵に厚く敷き、地景がよく入る。説明書が長義一門の相州伝の特色と呼ぶ地刃の強い沸こそ、本工の鉄に深みを与えるものである。その上に乱れ映りが、多くは淡く立つが、説明書はそれが常に現れるとは限らぬことに率直で、この手のものには「映りの全く立たないものがある」[[c:3]]と観ずる。帽子は刃文に応じて乱れ込み、小丸に返り、時に尖りごころに突き上げて掃きかける。在銘作では先を焼き上げて長く返る。大磨上の刀の多くは表裏に棒樋を掻き通し、在銘の短刀は茎元に素剣・護摩箸の彫物を負う。
記録は二つの面に分かれる。第一は生ぶ茎の在銘年紀作の小群で、その大半は短刀および短い太刀・脇指、指表に長銘、裏に年紀を切る。正平十六年紀の特別重要脇指は平造で身幅広く寸延び、大互の目乱れに匂深く沸よくつき、判者はこれを相州伝をあらわした作と読み、「長守中屈指の一口」[[c:4]]と称える。第二の、はるかに大きな面は、大磨上無銘の刀である。身幅広く中鋒・大鋒の延びた南北朝の姿で、小模様化した長義風によって極められる。説明書は本工が華やかな一手にとどまらず作域が広いことを強調し、腰の開いた互の目のほかに、小互の目の変化のある乱れ刃、浅いのたれ、また直刃調の作を遺すとして、「比較的作域の広い刀工といえる」[[c:5]]とする。その広さと在銘の乏しさとが相俟って、無銘の極めがかくも微妙な一点に懸かる所以である。
南北朝の長船にあって、本工は兼長ら一派の相州伝の手とともに長義一門に属する。判者が最も多く引く比較は、長義その人との比較である。乱れ映りと地刃の明るさが本工を備前の工に留め、厚い地沸・豊富な地景・金筋砂流しが長義一門の相州伝のうちに留める。師と分かつのは異なる語彙ではなく、より静かな尺度であり、乱れは小さく束ねられ、全体は一段おだやかである。ある刀はその豪壮華麗の気と、様々で華やかな乱れと、刃中の豊かな働きを賞され、本工に首肯される優品とされる。また別の作は消去によって読まれ、その抑えた態こそが極めの拠り所とされる。
藤代は長守を上作に列する。国宝はなく重要文化財もない。その記録は一口の特別重要刀剣と三十九口の重要刀剣、両級併せて四十口、加えて御物として伝わる一口の短刀によって担われる。所在の知られる遺例は少なく多くは公的機関の蔵で、東京・京都の国立博物館がこれを蔵し、御物の短刀は福島宗兵衛・多賀谷瑛之を経て皇室に入った。有銘確実な作が極めて稀であるため、年紀作は物としてよりも資料として尊ばれ、わけても正平年紀の短刀は説明書の言うとおり「正平年紀の作は、これまでの年紀の上限を引き上げる作であり、長守を研究する上で貴重な資料である」[[c:6]]。在銘の長守が世に出ることは稀であり、本工と極められた大磨上無銘の刀はやや見出しやすく、明るい鉄と多様な乱れを示す長義一門の相州伝の一口として、辛抱強い収集家の手の届くところにあり、在銘の確かな一口に出会うことは注目すべき出来事である。
長守の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 相伝備前· 1330–1394
現在231点販売中
相伝備前 相伝備前とは、南北朝時代の備前国長船派にあって、相州伝の作風を加味した一群の刀工およびその作風期を指す呼称である。景光に続く長船派の嫡流たる兼光をはじめ、兼光と並んで傑れた技術を示すとされる長義、その門と伝える兼長、兼光門下の一人にして一説に兼光の弟とも伝える倫光、さらに兼光や長義とは別系統で青江気質を窺わせる元重、長船傍系と目される義景など、多くの備前鍛冶がこの時期に活躍した。兼光の現存する年紀作は鎌倉時代末期の元亨元年から南北朝期の貞治に及ぶ約四十五年に亘り、その南北朝時代初期の康永頃までの作は姿が尋常で父景光風を踏襲した感があるが、貞和・観応頃から姿が大柄となり、それまでになかったのたれ主調の刃文が出現する。長義は「備前刀の中で最も備前ばなれした刀工は長義也」と古来称され、相州伝を強く加味した作風で知られる。長船における正系の技量を継承しつつ、隣国相模の作風を取り込んだ点に、この作風期の独自性が存する。 作風は、まず体配において南北朝期の時代色を色濃く反映する。身幅が広く元先の幅差が目立たず、重ね頃合、大鋒に結ぶ堂々たる姿で、延文・貞治頃を最盛期とする雄渾なる体配を示す。鍛えは板目に杢を交え、総じてよく錬れて地沸つき、地景入り、乱れ映りが立つのを常とする。この乱れ映りは、相州伝の色彩を帯びながらも備前気質を表出する標識であり、相伝備前と鑑する重要な拠所となる。刃文は兼光・倫光においてはおおどかなのたれを主調に互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃などを交え、匂勝ちに小沸つき、単調とならず変化を見せる。一方、長義・兼長においては、のたれ基調に丁子風の刃や腰開きの刃を交えて大模様に華やかに乱れ、よく沸づき、金筋・砂流し頻りにかかり、湯走り・飛焼を見せるなど、地刃の沸が一段と強い出来口を示す。元重は鍛えに流れ柾や地斑を交え、刃文に角ばる互の目が目立ち、逆がかり、逆足・葉を交えて帽子が尖るなど、青江気質を窺わせる点に同工一派の見どころがある。 評価としては、相州伝の影響が単に備前の伝統を駆逐したのではなく、長船の作域を著しく拡大せしめた点に、この作風期の歴史的意義が認められる。精錬の良さは際立ち、肌模様に緩みや荒れが看取されず、長船派棟梁としての鍛錬の妙味が遺憾なく発揮されている。匂口は明るく冴え、保存状態の健全な作が多く、備前の華やかさと強さを存分に堪能できる。兼光が先駆けたおおどかな乱れ、長義の放胆にして個性的な大乱れは、いずれも南北朝期長船を代表する達成として賞される。在銘の年紀作に乏しく無銘の極め物が多いものの、年紀を有する生ぶ茎の遺存例は資料的価値が頗る高く、後世には『集古十種』所載の名品や本阿弥折紙を伴う伝来品も知られる。相伝備前は、備前と相州という二大伝法が融合した到達点として、日本刀の歴史に重きをなすものである。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
長守は、長船長光の弟真長の曾孫と伝え、弟長義と並び、相伝備前と呼ばれる南北朝期の多くの備前鍛冶を代表する名工である。現存する作刀の年紀は承和より応安に及んでおり、その作風は匂勝ちのものと、地刃の沸の強い者との両様がある。この刀は、身幅広く、反り尋常、鋒延びごころの南北朝の体配で、乱れ映り立ち、地沸厚く付く冴えた地鉄に、長義独特の耳形丁子や重花風の丁子を交える華やかな刃を焼き、沸匂深く、金筋・砂流し頻りに掛り、地刃明るく冴え渡る傑作である。小笠原家の伝来で、三階菱紋が入る打刀拵が附帯する。

Osafune (Bizen), Chōgi line · 備前 · 1346-1370頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在1点販売中
正平五年五月、すなわち一三五〇年の年紀を切った一口の短刀が、備前長船長守の事跡を定める。その年紀は従来知られた在銘の上限を引き上げ、説明書をして本工を一世代後ではなく師とほぼ同年代の工とせしめたのである。長守は古来、長義すなわち実名長義の子あるいは門人と伝える。現存する年紀作を併せ読むと、正平五年・正平八年より同二十二年に及び、建徳年間を経て、近年出現した永和四年・康応元年に至り、いずれも長義とほぼ同時代を示す。師と同じく、年紀の大半は南朝年号を用いる。長義の貞和六年(正平五年に当たる)の短刀が師最古の年紀作として遺ることから、両者は年紀作の冒頭に並び立ち、ある特別重要脇指はさらに本工がやや古いことを示唆して、「長義よりやや時代がさかのぼるともみられる」[[c:1]]と記す。
その作は、長義一門の相州伝に移し換えられた備前の手である。本工を名づける刃文は、長義風に腰の開いた互の目乱れで、これに丁子・小互の目・角がかる刃・尖りごころの刃が交じり、刃幅広く多様で、足・葉入り、小沸つき、細かな湯走り・飛焼を交える。刃中には金筋・砂流しがかかり、匂口は明るく冴える。しかし説明書は長義との類似を物語の全てとはしない。腰の開く乱れと刃の多様に類似を認めたうえで、その極めを一つの差に定めるのである。すなわち本工の作では乱れが師より幾分小模様となり、判者は「乱れが幾分小模様となる態に長守の極めが首肯される」[[c:2]]と書く。乱れの小ささこそが見どころであり、それは覇気と技術において長義・兼長にやや及ばぬ作域と読まれる。
その刃文の下で、地鉄は終始変わらぬところである。杢を交えた板目を鍛え、肌はやや立ち、処々柾がかって流れ、地沸を微塵に厚く敷き、地景がよく入る。説明書が長義一門の相州伝の特色と呼ぶ地刃の強い沸こそ、本工の鉄に深みを与えるものである。その上に乱れ映りが、多くは淡く立つが、説明書はそれが常に現れるとは限らぬことに率直で、この手のものには「映りの全く立たないものがある」[[c:3]]と観ずる。帽子は刃文に応じて乱れ込み、小丸に返り、時に尖りごころに突き上げて掃きかける。在銘作では先を焼き上げて長く返る。大磨上の刀の多くは表裏に棒樋を掻き通し、在銘の短刀は茎元に素剣・護摩箸の彫物を負う。
記録は二つの面に分かれる。第一は生ぶ茎の在銘年紀作の小群で、その大半は短刀および短い太刀・脇指、指表に長銘、裏に年紀を切る。正平十六年紀の特別重要脇指は平造で身幅広く寸延び、大互の目乱れに匂深く沸よくつき、判者はこれを相州伝をあらわした作と読み、「長守中屈指の一口」[[c:4]]と称える。第二の、はるかに大きな面は、大磨上無銘の刀である。身幅広く中鋒・大鋒の延びた南北朝の姿で、小模様化した長義風によって極められる。説明書は本工が華やかな一手にとどまらず作域が広いことを強調し、腰の開いた互の目のほかに、小互の目の変化のある乱れ刃、浅いのたれ、また直刃調の作を遺すとして、「比較的作域の広い刀工といえる」[[c:5]]とする。その広さと在銘の乏しさとが相俟って、無銘の極めがかくも微妙な一点に懸かる所以である。
南北朝の長船にあって、本工は兼長ら一派の相州伝の手とともに長義一門に属する。判者が最も多く引く比較は、長義その人との比較である。乱れ映りと地刃の明るさが本工を備前の工に留め、厚い地沸・豊富な地景・金筋砂流しが長義一門の相州伝のうちに留める。師と分かつのは異なる語彙ではなく、より静かな尺度であり、乱れは小さく束ねられ、全体は一段おだやかである。ある刀はその豪壮華麗の気と、様々で華やかな乱れと、刃中の豊かな働きを賞され、本工に首肯される優品とされる。また別の作は消去によって読まれ、その抑えた態こそが極めの拠り所とされる。
藤代は長守を上作に列する。国宝はなく重要文化財もない。その記録は一口の特別重要刀剣と三十九口の重要刀剣、両級併せて四十口、加えて御物として伝わる一口の短刀によって担われる。所在の知られる遺例は少なく多くは公的機関の蔵で、東京・京都の国立博物館がこれを蔵し、御物の短刀は福島宗兵衛・多賀谷瑛之を経て皇室に入った。有銘確実な作が極めて稀であるため、年紀作は物としてよりも資料として尊ばれ、わけても正平年紀の短刀は説明書の言うとおり「正平年紀の作は、これまでの年紀の上限を引き上げる作であり、長守を研究する上で貴重な資料である」[[c:6]]。在銘の長守が世に出ることは稀であり、本工と極められた大磨上無銘の刀はやや見出しやすく、明るい鉄と多様な乱れを示す長義一門の相州伝の一口として、辛抱強い収集家の手の届くところにあり、在銘の確かな一口に出会うことは注目すべき出来事である。
長守の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 相伝備前· 1330–1394
現在231点販売中
相伝備前 相伝備前とは、南北朝時代の備前国長船派にあって、相州伝の作風を加味した一群の刀工およびその作風期を指す呼称である。景光に続く長船派の嫡流たる兼光をはじめ、兼光と並んで傑れた技術を示すとされる長義、その門と伝える兼長、兼光門下の一人にして一説に兼光の弟とも伝える倫光、さらに兼光や長義とは別系統で青江気質を窺わせる元重、長船傍系と目される義景など、多くの備前鍛冶がこの時期に活躍した。兼光の現存する年紀作は鎌倉時代末期の元亨元年から南北朝期の貞治に及ぶ約四十五年に亘り、その南北朝時代初期の康永頃までの作は姿が尋常で父景光風を踏襲した感があるが、貞和・観応頃から姿が大柄となり、それまでになかったのたれ主調の刃文が出現する。長義は「備前刀の中で最も備前ばなれした刀工は長義也」と古来称され、相州伝を強く加味した作風で知られる。長船における正系の技量を継承しつつ、隣国相模の作風を取り込んだ点に、この作風期の独自性が存する。 作風は、まず体配において南北朝期の時代色を色濃く反映する。身幅が広く元先の幅差が目立たず、重ね頃合、大鋒に結ぶ堂々たる姿で、延文・貞治頃を最盛期とする雄渾なる体配を示す。鍛えは板目に杢を交え、総じてよく錬れて地沸つき、地景入り、乱れ映りが立つのを常とする。この乱れ映りは、相州伝の色彩を帯びながらも備前気質を表出する標識であり、相伝備前と鑑する重要な拠所となる。刃文は兼光・倫光においてはおおどかなのたれを主調に互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃などを交え、匂勝ちに小沸つき、単調とならず変化を見せる。一方、長義・兼長においては、のたれ基調に丁子風の刃や腰開きの刃を交えて大模様に華やかに乱れ、よく沸づき、金筋・砂流し頻りにかかり、湯走り・飛焼を見せるなど、地刃の沸が一段と強い出来口を示す。元重は鍛えに流れ柾や地斑を交え、刃文に角ばる互の目が目立ち、逆がかり、逆足・葉を交えて帽子が尖るなど、青江気質を窺わせる点に同工一派の見どころがある。 評価としては、相州伝の影響が単に備前の伝統を駆逐したのではなく、長船の作域を著しく拡大せしめた点に、この作風期の歴史的意義が認められる。精錬の良さは際立ち、肌模様に緩みや荒れが看取されず、長船派棟梁としての鍛錬の妙味が遺憾なく発揮されている。匂口は明るく冴え、保存状態の健全な作が多く、備前の華やかさと強さを存分に堪能できる。兼光が先駆けたおおどかな乱れ、長義の放胆にして個性的な大乱れは、いずれも南北朝期長船を代表する達成として賞される。在銘の年紀作に乏しく無銘の極め物が多いものの、年紀を有する生ぶ茎の遺存例は資料的価値が頗る高く、後世には『集古十種』所載の名品や本阿弥折紙を伴う伝来品も知られる。相伝備前は、備前と相州という二大伝法が融合した到達点として、日本刀の歴史に重きをなすものである。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。