二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
日本刀販売 | 銀座長州屋 |冠落造短刀 銘 備州長舩住長守 永和四年三月日, 1268 Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 長守は南北朝期の備前の刀工。貞和、文和、正平、延文、貞治、建徳の年紀のある工と、応安、永和、至徳、嘉慶、康応の年紀のある工がいることから初二代に別けているが、銘形は一貫しており、一代とみるのが妥当であろう。活躍期が相伝備前の長義とほぼ重なり、長守は長義の一族で、有力な作刀協力者の一人と考えられる。作域は長義に見紛う奔放な乱刃から端正な直刃まであって広いが、経眼する在銘作は稀である。


Osafune (Bizen), Chōgi line · 備前 · 1346-1370頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位23%
現在2点販売中
正平五年五月(一三五〇)紀の一口の短刀が、備前長船長守の事跡を定める。説明書はその正平年紀の作について、「正平年紀の作は、これまでの年紀の上限を引き上げる作であり、長守を研究する上で貴重な資料である」[[c:1]]とする。長守は古来、長義の子あるいは門人と伝える。年紀作は正平五年・正平八年より同二十二年、建徳年間を経て、近年出現した永和四年・康応元年に及ぶ。これらは本工を一世代後ではなく長義とほぼ同時代に置き、師と同じく年紀の大半は南朝年号を用いる。長義の貞和六年(正平五年に当たる)の短刀は師最古の年紀作であり、両者は年紀作の冒頭に並び立つ。ある特別重要刀剣の脇指はさらに進んで、本工が「長義よりやや時代がさかのぼるともみられる」[[c:2]]と記す。
その作は、長義一門の相州伝に移された備前の手である。刃文は長義風に腰の開いた互の目乱れに、丁子・小互の目・角がかる刃・尖りごころの刃を交え、刃幅広く多様である。足・葉入り、小沸つき、細かな湯走り・飛焼を交える。刃中に金筋・砂流しかかり、匂口明るく冴える。説明書は腰の開く乱れと刃の多様に長義との類似を認めたうえで、極めを一つの差に定める。すなわち本工の乱れは師より幾分小模様となり、ある刀について「乱れが幾分小模様となる態に長守の極めが首肯される」[[c:3]]と書く。これを覇気と技術において長義・兼長にやや及ばぬ作域と読む。
杢を交えた板目を鍛え、肌はやや立ち、処々流れごころとなり、地沸を微塵に厚く敷き、地景がよく入る。説明書は地刃の強い沸を長義一門の相州伝の特色とし、これが本工の地鉄に深みを与える。その上に乱れ映りが多くは淡く立つが、説明書はこの手のものには「映りの全く立たないものがある」[[c:4]]とする。帽子は乱れ込んで小丸に返り、時に尖りごころに掃きかける。在銘作では先を焼き上げて長く返る。大磨上の刀の多くは棒樋を掻き通し、在銘の短刀は素剣・護摩箸を彫る。
記録は二つの群に分かれる。第一は生ぶ茎の在銘年紀作の小群で、多くは短刀および短い太刀・脇指、指表に長銘、裏に年紀を切る。その頂点は特別重要刀剣の正平十六年紀の脇指で、平造で身幅広く寸延び、大互の目乱れに匂深く沸よくつき、判者はこれを相州伝をあらわした作と読み、「長守中屈指の一口」[[c:5]]と称える。本間による御物台帳に所載の正平二十一年紀の短刀もこの群に属する。その説明は、銘字は一般にこの時代の長船物に近く長義とは異なるとし、「現存する同作は頗る少く今後の研究に俟つべきものがある」[[c:6]]と記す。第二の、はるかに大きな群は大磨上無銘の刀で、身幅広く中鋒の延びたあるいは大鋒の南北朝の姿を示し、小模様化した長義風によって極められる。説明書は本工が腰の開いた互の目のほかに、小互の目の変化のある乱れ刃、浅いのたれ、また直刃調の作をも遺すとして、「比較的作域の広い刀工といえる」[[c:7]]とする。その広さと在銘の乏しさとが相俟って、無銘の極めは微妙な一点に懸かる。
南北朝の長船にあって、本工は兼長ら一派の相州伝の手とともに長義一門に属し、判者が最も多く引く比較は長義その人との比較である。乱れ映りと地刃の明るさが本工を備前の工に留める。厚い地沸・豊富な地景・金筋・砂流しは長義一門の相州伝のうちに置き、乱れの小ささとやや穏やかな力が師と分かつ。ある刀は豪壮華麗の気と、変化に富む華やかな乱れと、刃中の豊かな働きを賞され、本工に首肯される優品とされる。
藤代は長守を上作とする。国宝・重要文化財はない。その記録は特別重要刀剣一口と重要刀剣三十九口、両級併せて四十口に、本間による御物台帳に所載の正平二十一年紀の短刀を加え、計四十一口が記録に残る。所在の知られるもののうち二口は東京・京都の国立博物館が蔵する。重要刀剣の無銘の刀の一口には福島掃部助の銀象嵌所持銘と多賀谷瑛之の切付銘があり、俸余をもって購い常に佩び、子孫永く保てと記す。有銘確実な作が極めて稀であるため、年紀作は物としてのみならず資料として尊ばれる。在銘の長守が世に出ることは稀である。本工と極められた大磨上無銘の刀はやや見出しやすく、明るい鉄と多様な乱れを示す長義一門の相州伝の一口として辛抱強い収集家の手の届くところにあり、在銘の確かな一口に出会うことは注目すべき出来事である。
長守の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 相伝備前· 1330–1394
現在188点販売中
相伝備前 相伝備前とは、南北朝時代の備前国長船派にあって、相州伝の作風を加味した一群の刀工およびその作風期を指す呼称である。景光に続く長船派の嫡流たる兼光をはじめ、兼光と並んで傑れた技術を示すとされる長義、その門と伝える兼長、兼光門下の一人にして一説に兼光の弟とも伝える倫光、さらに兼光や長義とは別系統で青江気質を窺わせる元重、長船傍系と目される義景など、多くの備前鍛冶がこの時期に活躍した。兼光の現存する年紀作は鎌倉時代末期の元亨元年から南北朝期の貞治に及ぶ約四十五年に亘り、その南北朝時代初期の康永頃までの作は姿が尋常で父景光風を踏襲した感があるが、貞和・観応頃から姿が大柄となり、それまでになかったのたれ主調の刃文が出現する。長義は「備前刀の中で最も備前ばなれした刀工は長義也」と古来称され、相州伝を強く加味した作風で知られる。長船における正系の技量を継承しつつ、隣国相模の作風を取り込んだ点に、この作風期の独自性が存する。 作風は、まず体配において南北朝期の時代色を色濃く反映する。身幅が広く元先の幅差が目立たず、重ね頃合、大鋒に結ぶ堂々たる姿で、延文・貞治頃を最盛期とする雄渾なる体配を示す。鍛えは板目に杢を交え、総じてよく錬れて地沸つき、地景入り、乱れ映りが立つのを常とする。この乱れ映りは、相州伝の色彩を帯びながらも備前気質を表出する標識であり、相伝備前と鑑する重要な拠所となる。刃文は兼光・倫光においてはおおどかなのたれを主調に互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃などを交え、匂勝ちに小沸つき、単調とならず変化を見せる。一方、長義・兼長においては、のたれ基調に丁子風の刃や腰開きの刃を交えて大模様に華やかに乱れ、よく沸づき、金筋・砂流し頻りにかかり、湯走り・飛焼を見せるなど、地刃の沸が一段と強い出来口を示す。元重は鍛えに流れ柾や地斑を交え、刃文に角ばる互の目が目立ち、逆がかり、逆足・葉を交えて帽子が尖るなど、青江気質を窺わせる点に同工一派の見どころがある。 評価としては、相州伝の影響が単に備前の伝統を駆逐したのではなく、長船の作域を著しく拡大せしめた点に、この作風期の歴史的意義が認められる。精錬の良さは際立ち、肌模様に緩みや荒れが看取されず、長船派棟梁としての鍛錬の妙味が遺憾なく発揮されている。匂口は明るく冴え、保存状態の健全な作が多く、備前の華やかさと強さを存分に堪能できる。兼光が先駆けたおおどかな乱れ、長義の放胆にして個性的な大乱れは、いずれも南北朝期長船を代表する達成として賞される。在銘の年紀作に乏しく無銘の極め物が多いものの、年紀を有する生ぶ茎の遺存例は資料的価値が頗る高く、後世には『集古十種』所載の名品や本阿弥折紙を伴う伝来品も知られる。相伝備前は、備前と相州という二大伝法が融合した到達点として、日本刀の歴史に重きをなすものである。 詳しく見る →
南北朝時代の備前
二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
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