時期未分類
時期区分に該当しない名工
1238–1596
流派の歴史における様式の時期区分
備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。
作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。
鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。
2,057 指定 · 118 名工数
重み付け指定指数 0.90(指定 2,073 点)
流派中 上位7%
2026/6/17 時点
伝来記録のある作品 446 点
伝来指数 5.11(伝来 446 点)
流派中 上位2%
上位指定の希少度で順位付け
1238–1596
流派の歴史における様式の時期区分
備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。
作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。
鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。
2,057 指定 · 118 名工数
重み付け指定指数 0.90(指定 2,073 点)
流派中 上位7%
2026/6/17 時点
伝来記録のある作品 446 点
伝来指数 5.11(伝来 446 点)
流派中 上位2%
上位指定の希少度で順位付け