説明

刀工:来国光(銘入) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期(1326年〜1351年頃)にかけて活躍した名工、来国光(らいくにみつ)による太刀です。国光は、鎌倉中期から南北朝期にかけて山城国(現在の京都府)で隆盛を極めた「来派」に属しています。来国俊の次男であり、通称を次郎左衛門尉と称しました。来派は国行を事実上の祖とし、国俊を経て、国光がその正系を継ぎ一派の棟梁となりました。彼の作品のうち、銘入りの三口が国宝に指定されており、重要文化財には二十二口が指定されるなど、日本刀工史上でも屈指の名工として知られています。 山城国は「山城伝」と呼ばれる作刀様式で名高く、その起源は平安遷都(794年)まで遡ります。山城の鍛冶は当初、公家や皇族のために刀を打ち、武家政治の台頭後は諸大名のためにも多くの名刀を鍛え上げました。三条宗近を始祖とする山城伝には七流の門流がありますが、国光が属する来派は、粟田口派と並び山城伝において最も格式高い流派とされています。山城伝の最大の特徴は、気品ある姿と地鉄(じがね)の美しさにあり、本作にもその優れた特色が顕著に表れています。 【太刀】 銘の位置および体配に基づき、日本美術刀剣保存協会により「太刀」と鑑定されています。太刀は平安時代から室町時代初期にかけて、主に甲冑を着用した武士が騎馬戦で用いたものです。刃を下に向けて腰から吊るす「佩用(はいよう)」の様式をとり、地上にいる敵を素早く斬り下ろせるよう設計されています。 【鑑定書】 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」に認定されています。この鑑定書は、美術的価値が高く、保存状態が良好な真作の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※刀身には数箇所、鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細なコンディションをお知りになりたい場合は、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長さ):64.1 cm 反り(反り):1.3 cm 刃文(はもん):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(じはだ):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(きっさき):刀身の先端部分。 茎(なかご):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この茎の経年変化(錆色)は、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 鎺(はばき):刀身が鞘の内部に触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けを防止する金具。 【鑑定書・登録証】 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀剣鑑定書(第360119号) NBTHKは、現代日本において最も権威ある刀剣鑑定機関の一つです。本作は平成13年(2001年)7月に、日本の文化財として保存価値のある「保存刀剣」として認定されました。ご購入者様にはこの鑑定書原本をお渡しいたします。ご希望があれば、記載内容の英訳PDFを作成することも可能です。 登録証:東京都 第274718号 東京都教育委員会発行の「銃砲刀剣類登録証」が付属します。これは文化庁の管轄下で発行される、日本国内で適法に所有するために必要な書類です。

Antique Japanese Sword Tachi Signed by Rai Kunimitsu NBTHK Hozon Certificate
売切れ
Hozon売切れ

Antique Japanese Sword Tachi Signed by Rai Kunimitsu NBTHK Hozon Certificate

太刀

売却済

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

64.1 cm

反り

1.3 cm

流派について

Rai School来派

1 重要刀剣

来派の作をまず見分けさせるのは地鉄である。精美によく約んだ小板目を主体に板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が頻りに入り、沸映りが立って鉄が明るく冴える。処々に交じる柔らかく大模様の肌合は来肌と呼ばれ、疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。この明るく精到な山城の鍛えこそ、来一門の作を貫く第一の標識である。 その出発点に位置するのが、鎌倉時代中期に山城国京都に活躍した来国行で、諸書のくり返し記すとおり事実上の祖と仰がれる。自身の作に年紀はないが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って正元・文応頃の活躍年代が首肯される。以後、二字国俊から三字銘の来国俊へ、さらに来国光・来国次へと血脈が継がれ、鎌倉末から南北朝前期にかけて一門は山城刀工の最上位を占めた。なお来国俊は来派で最初に「来」の字を冠した工であり、以後の一門が皆これに倣っている。二字国俊と三字銘来国俊の同人・別人は、両銘の年紀が弘安元年から元亨元年の約四十年に納まることなどから近年同人説が定着しつつあり、一門の古典的な論点をなす。 地鉄の上に来派の焼く刃は、備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調を基調とする。これに小丁子・小互の目・小乱れを交え、足・葉が繁く入り、佩表の足が備前とは逆に茎の方へ斜めに傾く所謂京逆足となるところに京物の本領がある。匂深く明るく、小沸が厚くついて働きは刃の高さではなく沸に宿り、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は小丸を主としながら掃きかけを伴うことが多く、この掃きかけは小丸と並ぶ第一の鑑別点に据えるべきものである。時代と系統による振幅も明瞭で、二字国俊は身幅広く猪首鋒に結ぶ豪壮な体配に丁子主調の賑やかな乱れを焼き、三字銘来国俊は細身か尋常の姿に締まった直刃の上品な作域を示す。末期の来国光は直刃に互の目を目立って交え作域が最も広く、来国次に至っては地刃の沸が一門で最も強く、のたれに互の目を交えた相州伝寄りの作風から鎌倉来と呼ばれ正宗十哲に数えられる。 収集家がこの一門を求めるべき所以は、まずその鑑定の勘所が明快なことにある。よく約んだ小板目に微塵の地沸と鮮明な沸映り、広直刃に京逆足、そして掃きかける帽子という積極的な特色が揃い、無銘極めの拠りどころが明文化されている。一門内の差も精密に引かれ、来国光は来国次に比して焼きが幾分低く突き上げ気味の帽子に個性を窺い、戸津来あるいは中堂来と呼ばれる光包は来肌の少ない強く冴えた地鉄と広く長く返る帽子で一門中の異色として立つ。代表作と伝来も厚く、来国行在銘の太刀は筑前黒田家に伝わって本阿弥光忠の千貫折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を備え、名物愛染国俊・名物鳥飼国俊・名物乱光包をはじめ尾張紀州徳川家、前田家、上杉家、島津家、伊達家など大名家の蔵刀として珍重された。鎌倉末期山城物の最も純粋な姿を示す来派の作は、日本刀剣史において古刀山城の頂点に位置づけられ、真剣な収集家が現実に到達し得る目標であり続けている。

刀剣商

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