説明

日本刀の買取歓迎致します。お気軽にお電話ください。TEL:03-3980-1461 営業時間 10:00〜17:30(毎週火、水曜日定休日) 本造り庵棟 磨上茎 板目肌、杢交じりよく詰む。(地鉄精美)地沸微塵に厚くつき、細かな地景顕われ、淡く沸映り立つ。刃紋は湾れに互の目交じる。匂い深めに沸、小沸よくつく。刃縁ほつれ、小足、葉盛んに働く。金筋、砂流し頻りにかかり、匂い口明るく冴える。表裏に棒樋の彫刻。山城来國俊の女婿。のちに摂津国中島庄淡路に移住。中島来と称す。入道後淡路房という。黒呂塗鞘打刀拵付き。(特別保存刀剣) 刀剣は、日本の長い歴史と豊かな風土が生み出した鉄の芸術です。質も価格も万別ですが、どのような刀剣にもどこか必ず見所がある、と私は信じています。その刀剣の美しいポイントを見つけ、皆様と一緒に味わってゆくこと、それが私の願いです。

無銘(来國安) (山城)(五畿)
Tokuho

無銘(来國安) (山城)(五畿)

¥1,450,000

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仕様

長さ

62.1 cm

反り

1.8 cm

流派について

Rai School来派

1 重要刀剣

来派の作をまず見分けさせるのは地鉄である。精美によく約んだ小板目を主体に板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が頻りに入り、沸映りが立って鉄が明るく冴える。処々に交じる柔らかく大模様の肌合は来肌と呼ばれ、疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。この明るく精到な山城の鍛えこそ、来一門の作を貫く第一の標識である。 その出発点に位置するのが、鎌倉時代中期に山城国京都に活躍した来国行で、諸書のくり返し記すとおり事実上の祖と仰がれる。自身の作に年紀はないが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って正元・文応頃の活躍年代が首肯される。以後、二字国俊から三字銘の来国俊へ、さらに来国光・来国次へと血脈が継がれ、鎌倉末から南北朝前期にかけて一門は山城刀工の最上位を占めた。なお来国俊は来派で最初に「来」の字を冠した工であり、以後の一門が皆これに倣っている。二字国俊と三字銘来国俊の同人・別人は、両銘の年紀が弘安元年から元亨元年の約四十年に納まることなどから近年同人説が定着しつつあり、一門の古典的な論点をなす。 地鉄の上に来派の焼く刃は、備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調を基調とする。これに小丁子・小互の目・小乱れを交え、足・葉が繁く入り、佩表の足が備前とは逆に茎の方へ斜めに傾く所謂京逆足となるところに京物の本領がある。匂深く明るく、小沸が厚くついて働きは刃の高さではなく沸に宿り、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は小丸を主としながら掃きかけを伴うことが多く、この掃きかけは小丸と並ぶ第一の鑑別点に据えるべきものである。時代と系統による振幅も明瞭で、二字国俊は身幅広く猪首鋒に結ぶ豪壮な体配に丁子主調の賑やかな乱れを焼き、三字銘来国俊は細身か尋常の姿に締まった直刃の上品な作域を示す。末期の来国光は直刃に互の目を目立って交え作域が最も広く、来国次に至っては地刃の沸が一門で最も強く、のたれに互の目を交えた相州伝寄りの作風から鎌倉来と呼ばれ正宗十哲に数えられる。 収集家がこの一門を求めるべき所以は、まずその鑑定の勘所が明快なことにある。よく約んだ小板目に微塵の地沸と鮮明な沸映り、広直刃に京逆足、そして掃きかける帽子という積極的な特色が揃い、無銘極めの拠りどころが明文化されている。一門内の差も精密に引かれ、来国光は来国次に比して焼きが幾分低く突き上げ気味の帽子に個性を窺い、戸津来あるいは中堂来と呼ばれる光包は来肌の少ない強く冴えた地鉄と広く長く返る帽子で一門中の異色として立つ。代表作と伝来も厚く、来国行在銘の太刀は筑前黒田家に伝わって本阿弥光忠の千貫折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を備え、名物愛染国俊・名物鳥飼国俊・名物乱光包をはじめ尾張紀州徳川家、前田家、上杉家、島津家、伊達家など大名家の蔵刀として珍重された。鎌倉末期山城物の最も純粋な姿を示す来派の作は、日本刀剣史において古刀山城の頂点に位置づけられ、真剣な収集家が現実に到達し得る目標であり続けている。

刀剣商

刀剣杉田

token-net.com

¥1,450,000

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