天下統一は大量の市場を閉じ、関の鍛冶は新しい富の在り処へ移った。三品の一門は受領名を得て京に、大道系は諸国の城下町に。美濃は新刀時代の最大の祖先となった。
番号:AS26495(委託販売品) 刀:白鞘入り、黒漆塗鞘打刀拵付き (第50回重要刀剣、縁頭・鍔:日本美術刀剣保存協会 鑑定書付) 銘文:越後守藤原氏恒作 鞘書:越後守藤原氏恒 氏房門人 同作中稀なる傑作也 天正慶長頃の作と認む 刃長二尺七寸五分 昭和三十一年初秋 柴田某 寒山博士誌 (弊社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。本作は最上作にランクされる作品です。) ハバキ:金着二重ハバキ 長さ:83.0 cm (2尺7寸4分) 反り:1.6 cm (5分3厘) 目釘穴:1個 元幅:3.38 cm 先幅:2.50 cm 重ね:0.79 cm 刀身重量:1055 g 時代:江戸時代初期 元和頃 体配:身幅広く重ね厚く、踏ん張りのある長大な刀姿で、極めて堂々とした力強い体配を呈している。 地鉄:板目肌よく練れ、木目や流れ肌を交え、地沸が微細に厚くつく。 刃文:区より直ぐに始まり、次第にのたれに小互の目交じり、先にかけて互の目、角ばる刃、尖り刃などを交えて変化に富む。飛焼、棟焼が入り、小足、葉がよく働き、金筋、砂流しが頻りに掛かる。帽子は表はのたれ込み、先やや尖りごころに三品風に返り、裏は小のたれから大丸風となり、深く焼き下げて掃き掛ける。 特徴:越後守藤原氏恒は若狭守氏房の次男で、本名を河村平十郎、初銘を氏重と称した。元和六年十月二日に越後守を受領。明暦二年七月十一日、名古屋にて七十六歳で没した。本作は氏恒の現存作の中でも…
越後守氏恒は、銘鑑に「『尾州住越後守藤原氏恒』、延宝の頃 尾張」と記されている。しかしながら、本作の姿・地刃の様相からして、新古境いの作と鑑せられ るものであり、到底延宝まで時代の降るものとは思われない。この点について、『美濃刀大鑑』では、若狭守氏房次男とし、「河村平十郎。初銘氏重。元和六年十月二 越後守受領。明暦二年七月十一日、尾州名古屋で歿。七十六才。子が無く跡断絶す。」と記している。 本刀の作柄から、一見して若狭守及び飛騨守氏房を想わせ るものであり、氏恒が若狭守氏房の次男であることは首肯されよう。 この刀は、板目がつみ、杢・流れ肌が交じった鍛えに、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、刃文は直ぐの焼出しごころがあり、その上は小のたれに大互の 互の目・尖りごころの互の目等が交じり、のたれが角がかり、小足・葉が入り、 沸がつき、処々荒めの沸を交えてむらづき、金筋・砂流しがかかり、随処に飛焼 や棟焼を交え、匂口が幾分沈みごころとなり、さらに帽子は焼深く、表は浅くのたれて先尖りごころに三品風となり、裏は浅く小さくのたれて大丸風、共に長く焼き 下げ、掃きかけるなどの出来口をあらわしている。 上記の作域から、前述の如く、正に若狭守及び飛騨守氏房を髣髴とさせる作柄を見せている。肉置きが豊かで、幅 広・大鋒、長寸にして重ね厚の体配は、大模様の刃文と相俟って迫力があり、豪壮である。また焼刃はのたれが角がかり、沸がむらづき、匂口が幾分沈みごころとな り、帽子は三品風に先が尖り、或は一枚風となり、長く焼き下げるなどの風は、 若狭守氏房の一門によく見るところである。加えて飛焼・棟焼の景色にも興趣が感ぜ られる。寡作な刀工ながら、 抜群な出来映えを見せた同工の代表作であり、長大な作にもかかわらず破綻がない。
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在銘 · 新刀 · 長さ 83cm · 反り 1.6cm









越後守氏恒は、銘鑑に「『尾州住越後守藤原氏恒』、延宝の頃 尾張」と記されている。しかしながら、本作の姿・地刃の様相からして、新古境いの作と鑑せられ るものであり、到底延宝まで時代の降るものとは思われない。この点について、『美濃刀大鑑』では、若狭守氏房次男とし、「河村平十郎。初銘氏重。元和六年十月二 越後守受領。明暦二年七月十一日、尾州名古屋で歿。七十六才。子が無く跡断絶す。」と記している。 本刀の作柄から、一見して若狭守及び飛騨守氏房を想わせ るものであり、氏恒が若狭守氏房の次男であることは首肯されよう。 この刀は、板目がつみ、杢・流れ肌が交じった鍛えに、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、刃文は直ぐの焼出しごころがあり、その上は小のたれに大互の 互の目・尖りごころの互の目等が交じり、のたれが角がかり、小足・葉が入り、 沸がつき、処々荒めの沸を交えてむらづき、金筋・砂流しがかかり、随処に飛焼 や棟焼を交え、匂口が幾分沈みごころとなり、さらに帽子は焼深く、表は浅くのたれて先尖りごころに三品風となり、裏は浅く小さくのたれて大丸風、共に長く焼き 下げ、掃きかけるなどの出来口をあらわしている。 上記の作域から、前述の如く、正に若狭守及び飛騨守氏房を髣髴とさせる作柄を見せている。肉置きが豊かで、幅 広・大鋒、長寸にして重ね厚の体配は、大模様の刃文と相俟って迫力があり、豪壮である。また焼刃はのたれが角がかり、沸がむらづき、匂口が幾分沈みごころとな り、帽子は三品風に先が尖り、或は一枚風となり、長く焼き下げるなどの風は、 若狭守氏房の一門によく見るところである。加えて飛焼・棟焼の景色にも興趣が感ぜ られる。寡作な刀工ながら、 抜群な出来映えを見せた同工の代表作であり、長大な作にもかかわらず破綻がない。
美濃伝 · 尾張 · 1596-1615頃
現在1点販売中
氏恒の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 尾張
現在22点販売中
氏房は尾張国に興った一門で、その作は桃山末から江戸初期、いわゆる新古境いの時代に位置づけられる。説示は若狭守氏房・飛騨守氏房を本流の手本として繰り返し挙げ、これに連なる工として、若狭守氏房の次男と伝える越後守氏恒、初代氏房の子と伝える出雲守氏貞らを記す。氏恒は河村平十郎、初銘を氏重とし、元和六年に越後守を受領、明暦二年に尾州名古屋にて歿したと美濃刀大鑑が伝える。氏貞は出雲守を受領し、左近少将あるいは権少将と銘した。一門は美濃を根として尾張に移り、徳川・尾張の地で代々その作風を継いだ。 作風は美濃伝を基調とする。鍛えは板目がつみ、杢や流れ肌を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。刃文は直ぐの焼出しごころを見せたうえ、下半は浅いのたれを基調に小互の目を連れて交え、上半は小のたれに大互の目や尖りごころの互の目を交える。のたれが角がかり、小足・葉が入り、沸がつき、処々荒めの沸を交えてむらづき、金筋・砂流しがかかり、随処に飛焼・棟焼を交えて匂口が幾分沈みごころとなる。帽子は焼深く、三品風に先が尖り、あるいは一枚風となって長く焼き下げ、掃きかける。短刀には平造に草の倶利迦羅や護摩箸に蓮台の彫物を加えるものがあり、師伝をよく踏襲する。大きくのたれた刃に大乱れを焼き、飛焼を交えて皆焼風となる一類もある。見分けは、のたれの角がかりと沸のむらづき、匂口の沈みごころ、そして三品風に先の尖る帽子に求められる。 伝来し指定された作には、越後守氏恒の幅広・大鋒で重ね厚く長寸の豪壮な刀、左近権少将氏貞の天正五年紀を切る彫物入りの短刀、氏貞の皆焼風を示す刀などがある。鑑定の要点は、若狭守及び飛騨守氏房の作柄を髣髴とさせる地刃の総体にあり、肉置き豊かな体配と大模様の刃文が相俟って迫力ある一作風を成す。寡作の工にあっても抜群の出来を示し、長大な姿にして破綻のないところに、この一門の力量がうかがわれる。 詳しく見る →
桃山時代の美濃
天下統一は大量の市場を閉じ、関の鍛冶は新しい富の在り処へ移った。三品の一門は受領名を得て京に、大道系は諸国の城下町に。美濃は新刀時代の最大の祖先となった。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,357口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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