戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
受付時間:9:00~18:00 店休日:第一・第三日曜TEL.0258-33-8510ホーム会社案内商品紹介日本刀 刀剣 JapaneseSword刀装具 tousougu買取案内よくあるご質問日本刀ブログ売買規約(特定取引法に基づく標記)刀 若狭守藤原氏房作品番 K380911銘文 若狭守藤原氏房作Sign Wakasanokami Fujiwara Ujifusa価格2,800,000円Price 2,800,000jpy鑑定 財)日本刀剣保存協会 特別保存刀剣Certif [N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Touken寸法 長さ 2尺4寸5分(74,3cm) 反り 1,35cm 目釘穴 1個 元幅 30,7mm 先幅23mm 元重 7,6mmSize Blade length 74,3cm Curvature 1,35cm Mekugi 1Hole国 尾張国Country Owari時代 室町後期 天正頃Period Late of Muromachi形状 鎬造り、庵棟、身幅、重ね頃合い、やや反りつき、帽子伸びごころとなる。鍛え 板目肌よく詰み、鉄冴えて、地沸微塵につく。刃文 五の目丁子乱れ刃、匂い勝ちに小沸つき、匂口明るく冴える。帽子 乱れ込み、先掃きかけごころに丸く返る中心 生ぶ、やや刃上がりの栗尻、鑢目筋違い白鞘 有解説若狭守氏房は、関の兼房の子ではじめは同じく兼房と名乗るが、今川氏真に府中に招かれ鍛刀し、氏の字を名乗ること許され氏房と銘するようになる。永禄十三年に若狭守を受領し、元亀・天正頃に活躍した。その後は尾張に移住し長男、飛騨守氏房と共に尾張鍛冶の中心的な存在となる。作風は兼房風の互の目丁子刃で匂い出来のものと、のたれに互の目を交え沸の強いできのものなどが見られる。本作は前者の出来で、匂い出来の互の目丁子刃を見事に焼き出来が良く、若狭守の傑作である。お問い合わせフォームはこちらご注文はこちらからどうぞ刀 若狭守氏房お問い合わせ・ご注文はこちらからお問い合わせフォームはこちらご注文はこちらからどうぞお電話でのお問い合わせはこちらまで0258-33-8510お気付きの点、ご不明な点がございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。Wakeidou English page日本刀の魅力名物刀剣とは刀装具とは日本刀の時代と特徴刀剣に関することわざ刀工位列表諸工作 研ぎ 白鞘 ツナギなどリンク集刀剣鑑定士とは国内外の豊富な販売販路株式会社 和敬堂〒940-0088新潟県長岡市柏町1-2-16TEL.0258-33-8510FAX.0258-33-8511Mail contact@wakeidou.com古物許可番号新潟県公安委員会長岡第461190001328日本刀・刀剣の販売・買取・鑑定703410|ホーム|会社案内|商品紹介|買取案内|よくあるご質問|売買規約(特定取引法に基づく標記)|Wakeidou English page|日本刀の魅力|名物刀剣とは|刀装具とは|日本刀の時代と特徴|刀工位列表|諸工作 研ぎ 白鞘 ツナギなど|リンク集|刀剣鑑定士とは|国内外の豊富な販売販路|〒940-0088 新潟県長岡市柏町1-2-16 TEL:0258-33-8510 FAX:0258-33-8511Copyright©株式会社和敬堂All Rights Reserved.JCL-400-000-004-475-969特定取引法に基づく標記個人情報保護方針サイトマップ Site map当サイトでは利便性や品質向上のため、Cookieを使用することを推奨しています。利用する場合は同意するを選択してください。同意をしない場合は、一部機能がご利用できません。詳細はこちら同意する拒否するTOPへ戻る








関 · 美濃 · 1571-1592頃
現在4点販売中
若狭守氏房は十六世紀後半の元亀・天正年間に美濃の関で鍛刀した工で、説明書は彼を美濃の伝統の最後で最大の一群たる末関を代表する刀工の一人に数える。関兼房の子であり、説明書はその名にまつわる一事を伝える。始めは父の兼房を襲名し、後に氏房と改めたのは、今川氏真から「氏」の一字を賜ったものともいうのである。若狭守の受領は永禄十三年といい、令和に指定されたある刀には今なお「尾州清須住」の居住地銘があって、晩年に関から尾州清須へ移居した記録を留める。この移居は彼自身の作にとどまらぬ意味を持つ。その子が尾張氏房派の祖たる飛騨守氏房、尾張新刀の三祖の一人であり、父は古い美濃の伝統が新たな尾張の作へと移る蝶番に立つ。
その代表作は大らかな刀で、元亀年紀の一口がその典型である。鎬造・庵棟、身幅広く中鋒あるいは大鋒、延びるものや僅かに磨上げたものもあり、説明書はこの体配を、元亀の頃には打刀が太刀に替って長大となり両手で使用されたことの証と読む。この姿にのたれあるいは大互の目を焼き、美濃の尖り刃を交え、足・葉入り、匂口は締り沈みごころから明るきに至り、小沸ついて砂流し・処々飛焼を交える。大らかな乱れに交える尖り刃は平生の刀の美濃の見どころで、彼を関の本流に据える特徴である。説明書はかかる一口を「この刀は氏房の代表作で、豪壮な造込で大どかな刃文を焼き」[[c:1]]と評し、出来がよいとする、説明書が惜しんで用いる静かな賛である。
地鉄も同じ関の性を帯びる。板目は緊まらず肌立ちごころとなり、処々流れて流れ肌となり鎬地は柾に流れ、地沸つき、力強い作には地景も入る。この肌立って流れた地が末関の地であり、彼の沸や飛焼を載せる床である。近年の刀に説明書は元亀・天正の力強い体配に豪快な乱れ刃を読み、匂口明るく沸よくつき、地刃の保存も頗る良いとする。帽子は下の刃に応じて多く乱れ込んで小丸となり、尖りごころに掃きかけるものもあるが、焼が帽子全体へ及んで一枚となるものも少なからずあり、令和指定の一口を説明書は「帽子一枚となり返りを長く焼下げる」[[c:2]]とし、昭和指定の一口を「帽子殆んど一枚風に乱れ込み、先小丸」[[c:3]]と読む。彫物は棒樋を掻通す。これらは工房平均の冷たく整った関物ではなく、伝統のより豪快で奔放な端であり、ゆえに説明書はこの出来のものを稀れとする。
この大らかな刀の手に対し、第二の稀な面が短刀に見える。山城物写しである。天正年紀の平造の短刀がその遺例で、寸に比して身幅やや広く重ね厚く内反りとなり、総体に流れた小板目に指表は殊に柾気つよく、地沸細かにつき、地に白気を帯びたうつりが立つ。刃文は細直刃、匂勝ちに匂口締まりごころとなって小沸つき、帽子は直ぐに静かな小丸、彫物は表に護摩箸、裏に腰樋。この手について説明書は「この期の関物にはよく山城物写しがみられる」[[c:4]]とし、本作を「いかにも品よくまとまっており、氏房中の上々作」[[c:5]]と評する。彫物は造込みに連動し、刀が棒樋を掻通すのに対し、護摩箸や腰樋は平造の短刀に属する。
その一門の中の位置は、借りた比較よりも彼自身の地に即した特徴から取るのがよい。彼は末関の工で、その手は肌立った板目、大らかなのたれ・大互の目に折り込んだ尖り刃、時に錬れた山城物写しの直刃に認められる。明るい乱れと棒樋の刀がその背骨、静かな白け映りの短刀がその風情である。系譜は彼を通って清らかに流れる。父兼房より美濃の体を受け、清須への移居とともにそれを尾張の閾へと運び、子飛騨守氏房がその大らかなのたれを落ち着いた尾張新刀の手に錬り上げ、政常・信高と共に同派の三祖の一人に数えられる。説明書は同名数代続いたことを記し、父はその出自の根である。
氏房はすべて重要刀剣の格に残り、国宝も重要文化財も記録されず、その作は美術館の群よりは数寄者の手の届く側にある。指定の記録は在銘の刀八口と在銘の短刀一口をその指定作に擁し、いずれも極めではなく在銘の作で、元亀・天正の年紀を有するものが幾口かあり、一口は説明書が晩年の尾張期研究の好資料として貴ぶ「尾州清須住」の居住地銘を帯びる。これらの刀に大名の伝来も所蔵機関も記録されず、説明書はその現存作、就中打刀が比較的に少く、これ程までに出来の優れたものは稀れと率直に記す。在銘年紀の大らかな元亀・天正型の若狭守氏房の刀に出会うのは稀なことで、数寄者はこれを折にふれ、忍耐をもって、その最も優れたものを末関の領分の頂で見るに過ぎない。説明書はその佳品を平らかに評し、ある一口を豪壮な造込の代表作とし、ある一口を「室町末期の関物の典型的且つ代表作の一口」[[c:6]]とし、品よき直刃の短刀を上々作とする。
氏房の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 尾張
現在15点販売中
氏房は尾張国に興った一門で、その作は桃山末から江戸初期、いわゆる新古境いの時代に位置づけられる。説示は若狭守氏房・飛騨守氏房を本流の手本として繰り返し挙げ、これに連なる工として、若狭守氏房の次男と伝える越後守氏恒、初代氏房の子と伝える出雲守氏貞らを記す。氏恒は河村平十郎、初銘を氏重とし、元和六年に越後守を受領、明暦二年に尾州名古屋にて歿したと美濃刀大鑑が伝える。氏貞は出雲守を受領し、左近少将あるいは権少将と銘した。一門は美濃を根として尾張に移り、徳川・尾張の地で代々その作風を継いだ。 作風は美濃伝を基調とする。鍛えは板目がつみ、杢や流れ肌を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。刃文は直ぐの焼出しごころを見せたうえ、下半は浅いのたれを基調に小互の目を連れて交え、上半は小のたれに大互の目や尖りごころの互の目を交える。のたれが角がかり、小足・葉が入り、沸がつき、処々荒めの沸を交えてむらづき、金筋・砂流しがかかり、随処に飛焼・棟焼を交えて匂口が幾分沈みごころとなる。帽子は焼深く、三品風に先が尖り、あるいは一枚風となって長く焼き下げ、掃きかける。短刀には平造に草の倶利迦羅や護摩箸に蓮台の彫物を加えるものがあり、師伝をよく踏襲する。大きくのたれた刃に大乱れを焼き、飛焼を交えて皆焼風となる一類もある。見分けは、のたれの角がかりと沸のむらづき、匂口の沈みごころ、そして三品風に先の尖る帽子に求められる。 伝来し指定された作には、越後守氏恒の幅広・大鋒で重ね厚く長寸の豪壮な刀、左近権少将氏貞の天正五年紀を切る彫物入りの短刀、氏貞の皆焼風を示す刀などがある。鑑定の要点は、若狭守及び飛騨守氏房の作柄を髣髴とさせる地刃の総体にあり、肉置き豊かな体配と大模様の刃文が相俟って迫力ある一作風を成す。寡作の工にあっても抜群の出来を示し、長大な姿にして破綻のないところに、この一門の力量がうかがわれる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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