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概要·鑑定·指定·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 関
  3. 氏房

Seki Ujifusa

氏房

重要
巻 23, 番 400 · 刀

Seki Ujifusa

氏房

評価作品16点

国尾張時代Keicho (1596–1615)時代区分江戸流派Seki伝法美濃伝代2nd藤代Jo saku刀工大鑑500(上位26%)種別刀工コードUJI21
16重要刀剣

概要

飛騨守藤原氏房は若狭守氏房の子として永禄十年に濃州の関に生まれ、初め河村伊勢千代、後に平十郎と称した。説明書はその経歴を丹念に追う。織田信孝の側小姓に仕え、主君の死後は浪人となり、尾州蟹江城主佐久間正勝の幕下を経て清洲に移り、天正十七年頃より刀匠として活動を始めた。天正十九年、関白豊臣秀次が清洲の領主となると、氏房・政常・信高の三名は聚楽第で謁見を許されて各自の作刀を献上し、氏房は飛騨守を賜わった。この三名は後世、徳川の下に尾張新刀を興した尾張三作に数えられる。慶長十五・六年頃に名古屋へ移って徳川義直の抱工として仕え、寛永八年に備前守氏房へ家督を譲って同年六十五歳で歿した。同名は三代あって初代は飛騨守、二代は備前守、三代は再び飛騨守を受領するが、一派の名声を担うのはその初代、すなわち祖である。

その典型は大らかなのたれで、説明書が得意・本領とする焼である。身幅広く反り浅く大鋒の、いわゆる慶長新刀の典型的姿の刀に、大のたれを主調として互の目・小のたれを交え、足・葉入り、小沸よくつき、処々むら沸・湯走りが刃の調子を破る。同じ大らかな手は薙刀にも通い、寸延びの平造脇指では箱がかったのたれに広がる。あるその脇指を説明書は「同工の本領を遺憾なく発揮した」刃と評する。慶長十一年紀の刀でも、同じ開いたのたれに互の目を交えた刃を、氏房の特色をよくしめした典型作と呼ぶ。

その焼を支える地鉄は肌立った地である。肌立ちごころの板目、時に大板目あるいはザングリとした地に杢を交え、鎬地は柾に流れて地沸がつく。それは彼の出た美濃関の地鉄であり、最上の在銘刀において説明書はそこに志津風を読み、ある一刀をその「同作中の白眉」とし、「志津風を最もよく現わしている」作とする。この地の上の帽子は焼深く、のたれ込んで小丸あるいは大丸となり、長く返って掃きかけるが、短刀や数口では突き上げて先尖る美濃三品の手となる。刀は棒樋を掻通し、薙刀は薙刀樋に添樋を彫る一方、説明書が珍しいとする文字や浮彫の彫物は平造の脇指にのみあらわれる。

この一人の手のうちに、説明書はさらに二つの面を引き出す。第一は最も多い、身幅広く反り浅く大鋒の、南北朝期の大磨上を思わせる姿であるが、それを慶長作と定めるのは先反りであると判者は注意し、就中あるものは一見村正の作に見えるとする。第二は稀で、説明書が二度この工には珍しいとする、微塵の地沸の地にほつれ・二重刃・細かな金筋を働かせた明るい中直刃で、帽子は焼深く先尖る。この直刃の刀に判者は相州上工郷・左文字への私淑を読み、鍛えがよく錬れて「相州上工に私淑したような古色の趣」があるとする。慶長七年の短刀は三品帽子が一見越前康継を思わせるが、のたれの調子が大模様で沸が強くむらにつくところに氏房自身の特色があらわれる。

彼を際立たせるのは、判者が繰り返し挙げる取り合わせである。出自は関の工で、肌立って柾流れの地鉄、突き上げて先尖る三品帽子、大らかなのたれはいずれもその美濃の根を負う。だが身幅広く力強い慶長新刀の姿、深い沸、直刃に見せる相州への志は、地方の関の手というより徳川に仕えた尾張の上工を示す。大らかに開いたのたれは緊まった美濃の互の目と分かれ、明るく沸深い直刃は同輩の平明な直刃と分かれる。氏房・政常・信高が共に聚楽第に謁見を許され尾張三作として記憶されることは、彼を古き伝統の末ではなく新たな伝統の興りに置く。

収集の観点では、彼は伝説の稀少品というより、よく記録された一派の祖である。藤代の極めは上々作。国宝も重要文化財もなく、その記録は重要刀剣の級を通じ、そこに初代の在銘の、しばしば年紀のある刀・脇指・短刀・薙刀が相応に残り、その内には説明書が貴重とする慶長年紀のものが少なくなく、これらを「飛騨守氏房研究の好資料」と称える。「藤原朝臣」を冠し年紀のある刀は珍しいため、年紀作こそ最も学ぶところの多い作とされる。その作の来歴はあまり記録されず、私蔵と述べるにとどまるが、身幅広く豪壮で、長銘を太く明瞭に切った在銘の初代氏房は時に世に出ることがあり、年紀のある一口は尾張新刀を学ぶ者が最も会いたいと願う作である。

鑑定

関から尾張に入った一人の新刀工の二つの手:身幅広い慶長新刀の刀・薙刀・寸延びの脇指に見る大らかなのたれの典型、肌立った板目にむら沸・湯走りを交えて互の目を伴う手と、ほつれ・二重刃・金筋を働かせた明るい中直刃の稀な手、帽子を突き上げて先尖らせた三品風の、相州上工郷・左文字への私淑を示す手

飛騨守藤原氏房は尾張氏房派の祖で、関に生まれて美濃の伝統を桃山から江戸初期にかけての新たな尾張新刀へと伝えた工である。若狭守氏房の子として永禄十年に濃州の関に生まれ、初め河村伊勢千代、後に平十郎と称し、織田信孝の側小姓に仕え、信孝の死後は浪人となり、天正十七年頃より清洲で刀匠として活動した。天正十九年、氏房・政常・信高は聚楽第で謁見を許され、氏房は飛騨守を賜わり、後世この三名は尾張三作に数えられた。慶長十五・六年頃に名古屋に移り、徳川義直の抱工として活躍し、寛永八年に備前守氏房へ家督を譲って同年六十五歳で歿した。現存作は刀が多く、脇指・短刀・薙刀があり、説明書は同名三代を記す。その典型は大らかなのたれで、身幅広く反り浅く大鋒の慶長新刀の姿に、肌立った板目に地沸つき、大のたれに互の目を交え、足・葉入り、小沸よくついて処々むら沸・湯走りを交えるもので、説明書がその本領・得意とする作域である。同じ手は寸延びの平造脇指では箱がかった大らかなのたれに広がる。もう一つの稀な面は、ほつれ・二重刃・細かな金筋を働かせた明るい中直刃で、帽子は突き上げて先尖る三品風となり、説明書が相州上工の郷・左文字への私淑と読む作風である。

鑑定の決め手

平生の大のたれの作にはない特徴

平造の作(彫物)にはない特徴

作風の変遷

大らかなのたれ(典型・本領)

最も評価され、かつ最も多い作は身幅広い刀の大らかなのたれで、説明書が慶長新刀の典型的姿と呼ぶ形である。鎬造・庵棟、身幅広く元先の幅差少なく、反り浅めに中鋒延びる、あるいは大鋒となり、先反りのつくものもある。肌立ちごころの板目、時に大板目あるいはザングリとした地に杢を交え、鎬地は柾に流れ、地沸つく。刃文は大のたれを主調に、互の目・小のたれ、時に大互の目を交え、足・葉入り、匂口は締りから沈みごころとなり、小沸よくついて処々むら沸・湯走り・僅かな飛焼・砂流しを交える。帽子は焼深く、のたれ込んで小丸あるいは大丸となり、長く返って掃きかける。刀の彫物は棒樋を掻通し、薙刀は頭の張った前時代の姿を残して薙刀樋に添樋を彫る。説明書は大らかに開いたのたれに互の目を交えた刃文を本領を遺憾なく発揮した手とし、身幅広く反り浅く大鋒の姿に南北朝期の大磨上を思わせるものを読み、先反りとなる点を慶長作の証とする。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

寸延びの平造脇指・短刀(箱がかったのたれ)

平造の脇指・短刀では、同じ大らかな焼が箱がかった手に転じる。平造・三ツ棟、身幅広く寸延びて反りつき、短刀はフクラ張りごころとなる。棟寄りに柾を交えた小板目に総体に地沸つみ、地景入る地に、焼幅広く、大のたれを基調として箱がかった小のたれ・互の目を交え、沸よくつき、足・葉入り、僅かに砂流しかかり、帽子は突き上げて先尖り深く返る。説明書は箱がかった大らかなのたれに互の目を交えた刃を同工の本領を遺憾なく発揮した手とし、ある短刀ではのたれの調子が大模様で大きく乱れ沸が強く叢につくところを、三品風の帽子が一見越前康継を思わせてもなお氏房自身の特色と読む。平造のものに限って彫物が施され、ある脇指は文字と櫃中達磨の浮彫を持ち、説明書はこうした彫物を珍しいとする。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

稀な明るい中直刃(相州への私淑)

第三の、最も稀な面は明るい中直刃で、説明書は直刃調の作を二度この工には珍しいとする。杢を交えた小板目に地沸が微塵に厚くつき、細かに地景入る地に、中直刃を基調として小互の目を連れて交え、小足さかんに入り、葉を交え、小沸よくつき、刃縁はほつれ・二重刃に崩れ、金筋・沸筋・砂流しかかり、僅かに棟を焼く。帽子は焼やや深めに突き上げて先尖り、長く返って掃きかける三品風となる。説明書はこの働きのある直刃と尖り帽子に相州上工、就中郷・左文字への私淑を読み、鍛えがよく錬れて古色の趣があるとする。この手は慶長九年・慶長十一年頃の年紀の刀に見え、平生の大らかなのたれとは別の面を示す。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

説明書は彼の経歴を詳しく記す。若狭守氏房の子として永禄十年に濃州の関に生まれ、初め河村伊勢千代、後に平十郎と称し、織田信孝の側小姓に仕え、信孝自害の後は浪人となり、尾州蟹江城主佐久間正勝の幕下を経て清洲に移り、天正十七年頃より刀匠として活動した。天正十九年、政常・信高と共に聚楽第に謁見を許されて飛騨守を賜わり、慶長十五・六年頃に名古屋に移って徳川義直に仕え、寛永八年に備前守氏房へ家督を譲り同年六十五歳で歿した。

豪壮な作について説明書は意図した手本を読む。ある重要刀剣の刀は南北朝期の江などをねらったものとし、棒樋などにもそれと思われるところを見る。直刃の刀には相州上工の郷・左文字を挙げ、ある短刀は三品風の帽子が一見越前康継を思わせるが、のたれの調子が大模様で沸が強くむらにつくところに氏房自身の特色があらわれるとする。

指定

国宝—
重要文化財—
重要美術品—
御物—
特別重要刀剣—
重要刀剣16

名工ランク

0.11 (指定作品16点)

刀工の上位18%

刀姿

評価作品16点の分布

銘

評価作品16点の銘の種類

販売中

系譜

Ujifusa
弟子
  1. 1.正房Masafusa3指定

Seki派

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