Q873. Iron tsuba. 8 x 8.7 x .5 cm at the raised rim. The nakago hitsu-ana is .8 x 2.7 cm. This is signed on a copper plate that is set into the seppa-dai, something kawa Naomasa. I asked on Nihonto Message Board and Ishikawa, Arikawa, and Zaikawa were given as possibles. The plate has been beautifully carved and extensively inlaid with gold, silver, and shakudo. Looks to be a child and an old man; sure to be a Japanese folk tale but no idea which. The 2 ryo-hitsu have been plugged with shakudo.The more I look at this tsuba the more I find that impresses me. It is a keeper (except I’m selling it; go figure). Excellent condition. $695.









直政
在銘
町彫 · 武蔵
現在1点販売中
柳川直政は、元禄五年(1692年)に江戸で生まれた。通称は初め平次郎、後に三左衛門と改めた。横谷宗珉に師事し、一門の逸材として活躍して一派を興した。養子の二代直光、三代直春をはじめ、一門に柳川直克、菊池序克などが出て柳川派の繁栄はめざましいものがあった。
柳川派の作風は横谷式の赤銅魚子地に高彫色絵の工法を伝承している。直政の作品は師を彷彿とさせるものがあって、力強く堂々としている。作域は広く、縁頭、鐔、小柄、笄などの小道具に優品が多い。赤銅魚子地に高彫を施し、金、銀、色絵を交えた作風を特色とする。その彫技は肉厚で力強く、躍動感に溢れる表現を可能としている。作風はいかにも後藤風であり、鏨がこまかく入念な作風を示すものもある。
直政の作品は、「直政の真価が存分に発揮された優品」[[c:1]]、「直政得意の高肉彫りと据紋象嵌色絵を駆使した、手の切れるような状態の作品」[[c:2]]、「師の作風を彷彿させるものがあって、力強く堂々としている」[[c:3]]と評されるように、師である宗珉の作風を継承しつつも、独自の彫法を駆使し、柳川派を確立し名声を博した。その作品は、江戸金工における重要な位置を占めている。
直政の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在57点販売中
柳川派は、江戸中期に興った町彫の一派であり、横谷家の門流に連なることから、審査説明においても「横谷門下柳川派」と一貫して位置づけられている。家祖柳川直政(元禄五年・一六九二〜宝暦七年・一七五七)は、吉岡因幡介および横谷宗珉に学び、江戸お玉ヶ池に住して一家を成した。直政は実子に恵まれなかったため門人の育成に心血を注ぎ、歴代当主は「直」の一字を継承している。二代直光ののち、直故の実子にして家祖直政の嫡孫にあたる直春は、生後まもなく父が急逝したため直光の後援指導を受けて修行し、寛政年間に直光が隠居すると柳川家三代目の家督を相続した。直春は実子の直連や河野春明らを輩出し、江戸の彫金界を盛り上げていった。 その作風は、横谷伝来の技法体系を基幹とする。すなわち赤銅魚子地に高彫(多くは据文)を施し、金・銀・四分一等の象嵌色絵を加える彫法を本領とし、片切彫にも優れた。作品は小柄・笄・縁頭・目貫・鐔を中心に、獅子牡丹・虎・唐人物などの古典的画題や福禄寿等の人物図を得意としている。なかでも直春の「以宗珉図」と銘した福禄寿図縁頭は、「高低差の大きい高彫象嵌色絵は実に見事で、宗珉に肉薄した出来映え」[[c:2]]と評され、的確に配置されて施された象嵌や色絵とあいまって、宗珉様式を規範として堅持した同派の姿勢を如実に物語っている。また師の名から一字を授かって名乗りとする師弟相伝の慣行も同派の特色であり、加藤直常や石黒政常らの銘にその跡をたどることができる。 柳川派の意義は、自派の作域にとどまらず、江戸後期の金工諸派を生み出した母体としての役割にある。柳川派の加藤直常に学んだ石黒政常は、直政の「政」と直常の「常」の各一字を組み合わせて政常と名乗り、「柳川家の作風を脱し、花鳥図に工夫を凝らし独自の作風を確立」して石黒家を興した。同家は明治まで代々栄え、その門下には双璧と称された政美・政明をはじめ、是常・政英・政広など多くの上手が名を連ねている。また柳川直光に師事した菊岡光行(寛延三年・一七五〇生)は菊岡派の創始者となり、「精巧堅実な彫法に定評がある」と称された。さらに直春門の河野春明の系流は、「師春明の作風をよく受け継いでいる」[[c:3]]と評される大石明親らを通じて幕末にまで及んだ。かくして柳川派は、赤銅魚子地高彫色絵に代表される横谷風の彫技を江戸金工界に広く伝播させた要枢の存在として、刀装具史上に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
3-day return window from receipt.
Q873. Iron tsuba. 8 x 8.7 x .5 cm at the raised rim. The nakago hitsu-ana is .8 x 2.7 cm. This is signed on a copper plate that is set into the seppa-dai, something kawa Naomasa. I asked on Nihonto Message Board and Ishikawa, Arikawa, and Zaikawa were given as possibles. The plate has been beautifully carved and extensively inlaid with gold, silver, and shakudo. Looks to be a child and an old man; sure to be a Japanese folk tale but no idea which. The 2 ryo-hitsu have been plugged with shakudo.The more I look at this tsuba the more I find that impresses me. It is a keeper (except I’m selling it; go figure). Excellent condition. $695.









直政
在銘
町彫 · 武蔵
現在1点販売中
柳川直政は、元禄五年(1692年)に江戸で生まれた。通称は初め平次郎、後に三左衛門と改めた。横谷宗珉に師事し、一門の逸材として活躍して一派を興した。養子の二代直光、三代直春をはじめ、一門に柳川直克、菊池序克などが出て柳川派の繁栄はめざましいものがあった。
柳川派の作風は横谷式の赤銅魚子地に高彫色絵の工法を伝承している。直政の作品は師を彷彿とさせるものがあって、力強く堂々としている。作域は広く、縁頭、鐔、小柄、笄などの小道具に優品が多い。赤銅魚子地に高彫を施し、金、銀、色絵を交えた作風を特色とする。その彫技は肉厚で力強く、躍動感に溢れる表現を可能としている。作風はいかにも後藤風であり、鏨がこまかく入念な作風を示すものもある。
直政の作品は、「直政の真価が存分に発揮された優品」[[c:1]]、「直政得意の高肉彫りと据紋象嵌色絵を駆使した、手の切れるような状態の作品」[[c:2]]、「師の作風を彷彿させるものがあって、力強く堂々としている」[[c:3]]と評されるように、師である宗珉の作風を継承しつつも、独自の彫法を駆使し、柳川派を確立し名声を博した。その作品は、江戸金工における重要な位置を占めている。
直政の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在57点販売中
柳川派は、江戸中期に興った町彫の一派であり、横谷家の門流に連なることから、審査説明においても「横谷門下柳川派」と一貫して位置づけられている。家祖柳川直政(元禄五年・一六九二〜宝暦七年・一七五七)は、吉岡因幡介および横谷宗珉に学び、江戸お玉ヶ池に住して一家を成した。直政は実子に恵まれなかったため門人の育成に心血を注ぎ、歴代当主は「直」の一字を継承している。二代直光ののち、直故の実子にして家祖直政の嫡孫にあたる直春は、生後まもなく父が急逝したため直光の後援指導を受けて修行し、寛政年間に直光が隠居すると柳川家三代目の家督を相続した。直春は実子の直連や河野春明らを輩出し、江戸の彫金界を盛り上げていった。 その作風は、横谷伝来の技法体系を基幹とする。すなわち赤銅魚子地に高彫(多くは据文)を施し、金・銀・四分一等の象嵌色絵を加える彫法を本領とし、片切彫にも優れた。作品は小柄・笄・縁頭・目貫・鐔を中心に、獅子牡丹・虎・唐人物などの古典的画題や福禄寿等の人物図を得意としている。なかでも直春の「以宗珉図」と銘した福禄寿図縁頭は、「高低差の大きい高彫象嵌色絵は実に見事で、宗珉に肉薄した出来映え」[[c:2]]と評され、的確に配置されて施された象嵌や色絵とあいまって、宗珉様式を規範として堅持した同派の姿勢を如実に物語っている。また師の名から一字を授かって名乗りとする師弟相伝の慣行も同派の特色であり、加藤直常や石黒政常らの銘にその跡をたどることができる。 柳川派の意義は、自派の作域にとどまらず、江戸後期の金工諸派を生み出した母体としての役割にある。柳川派の加藤直常に学んだ石黒政常は、直政の「政」と直常の「常」の各一字を組み合わせて政常と名乗り、「柳川家の作風を脱し、花鳥図に工夫を凝らし独自の作風を確立」して石黒家を興した。同家は明治まで代々栄え、その門下には双璧と称された政美・政明をはじめ、是常・政英・政広など多くの上手が名を連ねている。また柳川直光に師事した菊岡光行(寛延三年・一七五〇生)は菊岡派の創始者となり、「精巧堅実な彫法に定評がある」と称された。さらに直春門の河野春明の系流は、「師春明の作風をよく受け継いでいる」[[c:3]]と評される大石明親らを通じて幕末にまで及んだ。かくして柳川派は、赤銅魚子地高彫色絵に代表される横谷風の彫技を江戸金工界に広く伝播させた要枢の存在として、刀装具史上に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
3-day return window from receipt.