戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
出ました出ました歴史的に素晴らしく有名な名刀の出現です。室町時代の相州の刀匠で沸と地景と金筋を特徴とする正宗以来の伝統を良く守り廣光、秋廣に続く名品を残している皆様が憧れの相州鍛冶の代表刀匠の相州住綱廣の初代は初銘が正廣で、北条氏綱より小田原に召し出され氏綱より綱の一字を授けられ綱廣と改めます。本刀は三代目の相州住綱廣、山村宇右衛門です。室町時代天文16年(1547年)(478年前)に生まれ、徳川家康より鎌倉扇ケ谷を授けられます。江戸時代初期慶長10年(1605年)(420年前)(58歳)桜が咲く季節には200万人以上の観光客が集う有名な青森県の弘前城を作った津軽弘前藩4万7千石大浦為信初代藩主の招きによって津軽に赴き300腰の刀を作り帰国時には黄金三〇枚と鞍乗せ馬を賜ったことは刀剣界では歴史的に素晴らしく有名な話です。本刀の元は2尺5寸程の長寸の刀を後世の武士が自分の差料にしたいが為に自分の剣法に合わせて区をやや送った元身幅広く先身幅も広い切っ先の大きい豪壮な刀姿を現し、地金は板目肌が詰み地には地景を現し、刃紋は御覧の様に素晴らしくさまざまの変化の有る互の目、矢筈風の頭の割れた互の目刃、頭の丸い互の目刃、小のたれ、匂い口の締まった刃に小沸が付き地には変化の多い形の様々な飛び焼きを焼いて皆焼刃(ひたつらは)となり覇気有る魅力的な刃を焼いています、帽子は丸く返って上手です。相州住綱廣の相州伝皆焼刃は刀剣愛好家の垂涎の的の作品です。この度古いお数寄者様から自分も年を取ったので人気の相州伝の相州住綱廣の名刀をお安くお譲り下さいとお預かりした為に特別に格安にてご提供いたします。歴史に名を残した有名な3代目の相州住綱廣の豪壮な貴重な名刀を是非お楽しみ下さい。






















相州伝 · 相模 · 1592-1605頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
綱廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在19点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。 詳しく見る →
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
出ました出ました歴史的に素晴らしく有名な名刀の出現です。室町時代の相州の刀匠で沸と地景と金筋を特徴とする正宗以来の伝統を良く守り廣光、秋廣に続く名品を残している皆様が憧れの相州鍛冶の代表刀匠の相州住綱廣の初代は初銘が正廣で、北条氏綱より小田原に召し出され氏綱より綱の一字を授けられ綱廣と改めます。本刀は三代目の相州住綱廣、山村宇右衛門です。室町時代天文16年(1547年)(478年前)に生まれ、徳川家康より鎌倉扇ケ谷を授けられます。江戸時代初期慶長10年(1605年)(420年前)(58歳)桜が咲く季節には200万人以上の観光客が集う有名な青森県の弘前城を作った津軽弘前藩4万7千石大浦為信初代藩主の招きによって津軽に赴き300腰の刀を作り帰国時には黄金三〇枚と鞍乗せ馬を賜ったことは刀剣界では歴史的に素晴らしく有名な話です。本刀の元は2尺5寸程の長寸の刀を後世の武士が自分の差料にしたいが為に自分の剣法に合わせて区をやや送った元身幅広く先身幅も広い切っ先の大きい豪壮な刀姿を現し、地金は板目肌が詰み地には地景を現し、刃紋は御覧の様に素晴らしくさまざまの変化の有る互の目、矢筈風の頭の割れた互の目刃、頭の丸い互の目刃、小のたれ、匂い口の締まった刃に小沸が付き地には変化の多い形の様々な飛び焼きを焼いて皆焼刃(ひたつらは)となり覇気有る魅力的な刃を焼いています、帽子は丸く返って上手です。相州住綱廣の相州伝皆焼刃は刀剣愛好家の垂涎の的の作品です。この度古いお数寄者様から自分も年を取ったので人気の相州伝の相州住綱廣の名刀をお安くお譲り下さいとお預かりした為に特別に格安にてご提供いたします。歴史に名を残した有名な3代目の相州住綱廣の豪壮な貴重な名刀を是非お楽しみ下さい。






















相州伝 · 相模 · 1592-1605頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
綱廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在19点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。 詳しく見る →
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。