戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
島田派は、室町時代中期に駿河国島田(現在の静岡県)で興った流派です。義助を始祖とする島田派は、多くの名工を輩出し、江戸時代に至るまで長く繁栄しました。相州伝や美濃伝(関)の伝統を巧みに取り入れつつ、独自の作風を確立したその技術力と革新性は、高く評価されています。 開祖である島田義助は、康正年間(1455〜1457年)頃に活躍したと伝えられています。その後、助宗や広助といった名工たちが代を重ねることで、島田派の名声は不動のものとなりました。なかでも三代義助の門人である広助は、同派屈指の技量を誇り、卓越した技術と芸術性を兼ね備えた名品を残しています。 島田派の作風は、南北朝期のダイナミックな姿を彷彿とさせる、身幅が広く大切っ先となった力強い姿(すがた)に特徴があります。刃文は、湾れ(のたれ)に互の目(ぐのめ)が交じるものや、大湾れ、互の目乱れ、小乱れ、さらには相州伝特有の皆焼(ひたつら)まで多岐にわたり、島田の刀工たちが複雑な焼入れの技術を完全に掌握していたことを物語っています。 地鉄は精良な板目肌に地景が入り、地沸(じにえ)が厚くつくものが多く、美しさと強靭さを併せ持っています。特に広助の作品は、奔放な大乱れの刃文や覇気ある帽子にその真髄が見て取れ、同派随一の打ち手としての実力を遺憾なく発揮しています。 本作は、室町中期から後期にかけて駿河国で栄えた島田派の技量を今に伝える、極めて優れた一振りです。相州伝の伝統を汲みつつ独自の工夫を凝らした島田派らしい豪壮な造り込みであり、当時の高位の武士の求めに応じて鍛えられた島田広助の傑作と言えます。 本刀は10cmほど磨上げ(すりあげ)られておりますが、それでもなお68.2cmという堂々たる長さを保っています。銘文は長銘となっており、これは高位の武士による特注品(注文打ち)であったことを示唆しています。身幅は元先に幅差がつかず、4.3cmにも及ぶ大切っ先を伴ったその姿は圧倒的な存在感を放っています。 島田広助の最高峰の仕事を示す本作は、優美さと力強さを高次元で融合させています。この力強く豪壮な姿もさることながら、私個人の見所としては、何よりもその「地鉄(じがね)」の素晴らしさを強調したいと思います。地肌が非常に美しく、かつ力強く現れており、この刀の格を一層高める見事な出来栄えとなっております。











相州伝 · 駿河
現在14点販売中
駿河国島田の地に興ったこの一派は、室町期を通じて東海道の一隅に栄えた相州系の鍛冶群である。その主たる名は義助と助宗の二大名跡にあり、説明は義助を島田物の主流をなすものとし、助宗をその弟として室町中期に置く。銘鑑は両家の代を丁寧に並べ、義助の初代を康正の頃とし、助宗を古く文安・文亀より天文に至る連なりに据え、以後同名相継ぎて江戸期に及ぶと記す。されどこの整然たる図式は答えではなく難所であり、現存最古の有年紀作は永正二年の短刀にして、永正より古い年紀の作は遺らず、銘振りもまた各代を分かたぬゆえ、在銘の作は代を付すより一口ごとの出来によって見られる。NBTHKがその年代を量るのは、銘鑑の編年よりは茎に切る年紀によってであり、この一国の鍛冶場は、隣国相模の鍛えに強く影響され、美濃の関や千手派とも縁を結んで、その間に座した。 本派の作風はまず末相州風の沸の乱れにある。肌立ちごころに地沸つき地景の入る、流れて柾に寄る板目の地に、互の目を交えたのたれを焼き、小丁子・尖り刃を交え、沸厚く飛焼・金筋・砂流しをかける。説明は島田の作風が末相州鍛冶と深い関連があって互いに影響しあうと記す。助宗の手には一門自身のものと呼ぶ連れた互の目があり、腰の辺で箱がかったのたれとなり、匂口明るく金筋・砂流しのよく現われたものを、その特色のよく現われた作と読む。帽子は乱れに従い、小乱れあるいは尖りごころの乱れ込みより小丸に返り、ときに焼詰め、ときに掃きかけかかる。この典型に対し別貌が立ち、義助には少ない細直刃や、助宗が志津の風をねらった直刃のごとく、流れる板目に小互の目を交えた静かなる手をも焼く。地鉄は締まった備前地ではなく、流れてやや肌立ち、ときに白け立つこの板目こそが目に島田の手を告げ、刃中の沸の働きを載せる地となる。造込みは多彩にして、鎬造の刀より平造の脇指、内反りの短刀、大身槍に及び、説明は島田一門には比較的に槍が多いと記す。彫物は一門の特色を巧みに伝え、幅広の樋中に梵字と摩利支天を浮彫にし、表裏に倶利迦羅を、短刀に素剣・護摩箸を掻き、ときに珍しく透し彫をなす。 鑑定の勘所は、対比によるよりその自らの確かな見どころから引くにある。すなわち末相州の影響を受けた沸の互の目交じり湾れに砂流し・金筋を交え、流れてやや肌立つ板目に焼く駿州の手であり、直刃はその意図された例外、目立つ彫物と槍は周囲の島田工房の印である。代の判定が成らぬところで、説明はやはり作そのものに向かう。助宗においては大阪の一刀を地刃健全にして助宗の最高作と思われるものとし、永正二年の系譜に連なる十二回の刀を、現存作中最も地刃の冴えて明るく出来優れた一口とする。義助においては二十回の生ぶ茎・平造内反りの短刀を同名中の出色の一口と称え、大永の刀に見る年紀を初期諸代の編年がこれに拠るがゆえ極めて貴重とする。主要工たる義助・助宗が一派の中核をなし、広助らこれに次いで群を支える。茎は生ぶに切り、二字あるいは三字に銘し、年紀は遺るところでは銘に成し得ぬことを成して、長き連なりの中に一手を据える縁となる。物打辺の棟に打たれた切込みは、これらが室町の一国の実用刀であったことを思わせる。伝来としては、義助・助宗ともに皇室の所持にかかる一口を遺し、さような所持から島田の作が市に還ることは稀である。一名のもとに分かたれぬ数代の中で、最上の刀・短刀に説明書が称えるあの冴えと健全をそなえた確かな一口こそ待つに値し、現われればそれは末相州の伝に近き、堅実な一地方の名門の佳き代表となる。 詳しく見る →
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトTo facilitate this, we offer a three-day inspection period. To initiate a return, you must notify us within three days of the package being delivered. Once we confirm your request, you have seven days to ship the item back to us. The item must be returned in its original condition, including all accompanying documents, certificates, and packaging materials. The buyer is responsible for covering the shipping costs and insurance for the return shipment.
島田派は、室町時代中期に駿河国島田(現在の静岡県)で興った流派です。義助を始祖とする島田派は、多くの名工を輩出し、江戸時代に至るまで長く繁栄しました。相州伝や美濃伝(関)の伝統を巧みに取り入れつつ、独自の作風を確立したその技術力と革新性は、高く評価されています。 開祖である島田義助は、康正年間(1455〜1457年)頃に活躍したと伝えられています。その後、助宗や広助といった名工たちが代を重ねることで、島田派の名声は不動のものとなりました。なかでも三代義助の門人である広助は、同派屈指の技量を誇り、卓越した技術と芸術性を兼ね備えた名品を残しています。 島田派の作風は、南北朝期のダイナミックな姿を彷彿とさせる、身幅が広く大切っ先となった力強い姿(すがた)に特徴があります。刃文は、湾れ(のたれ)に互の目(ぐのめ)が交じるものや、大湾れ、互の目乱れ、小乱れ、さらには相州伝特有の皆焼(ひたつら)まで多岐にわたり、島田の刀工たちが複雑な焼入れの技術を完全に掌握していたことを物語っています。 地鉄は精良な板目肌に地景が入り、地沸(じにえ)が厚くつくものが多く、美しさと強靭さを併せ持っています。特に広助の作品は、奔放な大乱れの刃文や覇気ある帽子にその真髄が見て取れ、同派随一の打ち手としての実力を遺憾なく発揮しています。 本作は、室町中期から後期にかけて駿河国で栄えた島田派の技量を今に伝える、極めて優れた一振りです。相州伝の伝統を汲みつつ独自の工夫を凝らした島田派らしい豪壮な造り込みであり、当時の高位の武士の求めに応じて鍛えられた島田広助の傑作と言えます。 本刀は10cmほど磨上げ(すりあげ)られておりますが、それでもなお68.2cmという堂々たる長さを保っています。銘文は長銘となっており、これは高位の武士による特注品(注文打ち)であったことを示唆しています。身幅は元先に幅差がつかず、4.3cmにも及ぶ大切っ先を伴ったその姿は圧倒的な存在感を放っています。 島田広助の最高峰の仕事を示す本作は、優美さと力強さを高次元で融合させています。この力強く豪壮な姿もさることながら、私個人の見所としては、何よりもその「地鉄(じがね)」の素晴らしさを強調したいと思います。地肌が非常に美しく、かつ力強く現れており、この刀の格を一層高める見事な出来栄えとなっております。











相州伝 · 駿河
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駿河国島田の地に興ったこの一派は、室町期を通じて東海道の一隅に栄えた相州系の鍛冶群である。その主たる名は義助と助宗の二大名跡にあり、説明は義助を島田物の主流をなすものとし、助宗をその弟として室町中期に置く。銘鑑は両家の代を丁寧に並べ、義助の初代を康正の頃とし、助宗を古く文安・文亀より天文に至る連なりに据え、以後同名相継ぎて江戸期に及ぶと記す。されどこの整然たる図式は答えではなく難所であり、現存最古の有年紀作は永正二年の短刀にして、永正より古い年紀の作は遺らず、銘振りもまた各代を分かたぬゆえ、在銘の作は代を付すより一口ごとの出来によって見られる。NBTHKがその年代を量るのは、銘鑑の編年よりは茎に切る年紀によってであり、この一国の鍛冶場は、隣国相模の鍛えに強く影響され、美濃の関や千手派とも縁を結んで、その間に座した。 本派の作風はまず末相州風の沸の乱れにある。肌立ちごころに地沸つき地景の入る、流れて柾に寄る板目の地に、互の目を交えたのたれを焼き、小丁子・尖り刃を交え、沸厚く飛焼・金筋・砂流しをかける。説明は島田の作風が末相州鍛冶と深い関連があって互いに影響しあうと記す。助宗の手には一門自身のものと呼ぶ連れた互の目があり、腰の辺で箱がかったのたれとなり、匂口明るく金筋・砂流しのよく現われたものを、その特色のよく現われた作と読む。帽子は乱れに従い、小乱れあるいは尖りごころの乱れ込みより小丸に返り、ときに焼詰め、ときに掃きかけかかる。この典型に対し別貌が立ち、義助には少ない細直刃や、助宗が志津の風をねらった直刃のごとく、流れる板目に小互の目を交えた静かなる手をも焼く。地鉄は締まった備前地ではなく、流れてやや肌立ち、ときに白け立つこの板目こそが目に島田の手を告げ、刃中の沸の働きを載せる地となる。造込みは多彩にして、鎬造の刀より平造の脇指、内反りの短刀、大身槍に及び、説明は島田一門には比較的に槍が多いと記す。彫物は一門の特色を巧みに伝え、幅広の樋中に梵字と摩利支天を浮彫にし、表裏に倶利迦羅を、短刀に素剣・護摩箸を掻き、ときに珍しく透し彫をなす。 鑑定の勘所は、対比によるよりその自らの確かな見どころから引くにある。すなわち末相州の影響を受けた沸の互の目交じり湾れに砂流し・金筋を交え、流れてやや肌立つ板目に焼く駿州の手であり、直刃はその意図された例外、目立つ彫物と槍は周囲の島田工房の印である。代の判定が成らぬところで、説明はやはり作そのものに向かう。助宗においては大阪の一刀を地刃健全にして助宗の最高作と思われるものとし、永正二年の系譜に連なる十二回の刀を、現存作中最も地刃の冴えて明るく出来優れた一口とする。義助においては二十回の生ぶ茎・平造内反りの短刀を同名中の出色の一口と称え、大永の刀に見る年紀を初期諸代の編年がこれに拠るがゆえ極めて貴重とする。主要工たる義助・助宗が一派の中核をなし、広助らこれに次いで群を支える。茎は生ぶに切り、二字あるいは三字に銘し、年紀は遺るところでは銘に成し得ぬことを成して、長き連なりの中に一手を据える縁となる。物打辺の棟に打たれた切込みは、これらが室町の一国の実用刀であったことを思わせる。伝来としては、義助・助宗ともに皇室の所持にかかる一口を遺し、さような所持から島田の作が市に還ることは稀である。一名のもとに分かたれぬ数代の中で、最上の刀・短刀に説明書が称えるあの冴えと健全をそなえた確かな一口こそ待つに値し、現われればそれは末相州の伝に近き、堅実な一地方の名門の佳き代表となる。 詳しく見る →
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトTo facilitate this, we offer a three-day inspection period. To initiate a return, you must notify us within three days of the package being delivered. Once we confirm your request, you have seven days to ship the item back to us. The item must be returned in its original condition, including all accompanying documents, certificates, and packaging materials. The buyer is responsible for covering the shipping costs and insurance for the return shipment.