応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
An incredible addition to our collection, a museum grade Tanto signed Nobukuni with an original mid to late Muromachi period Dragon Horimono. The elaborate horimono is chiseled right through to the other side to give the dragon a lively feel. Likely the work of 4th generation Nobukuni who himself was a skilled Horimono carver, it is rare to see such early works with original horimono as they were often added at a later point in time. Thick enough to still be considered a Yoroi-doshi (armor piercer) it still has a generous amount of Niku. Such a superb blade is perfectly matched in this stunning Edo period Koshirae of the highest quality, made from silver with an incredible amount of detail. What is even more rare are the original Kozuka and Kogai that have not been lost. Accompanied with Museum grade Edo Koshirae



















販売店の記載のまま
Nobukuni (Kyoto / Yamashiro), Ōei generation · 山城 · 1394-1428頃
藤代 上々作 · 刀剣大鑑 上位8%
現在1点販売中
応永二十年八月の年紀をきる脇指は薩摩の大島津家に伝わり、第二十六回特別重要刀剣に指定されたもので、指表に二行に「源左衛門尉信国」と長銘を切り、「国」の字のクニ構えの中が左字に作られる。この左字こそ、説明書がこの手について第一に挙げる見どころである。説明書はまず一家について「信国は京鍛冶の名門で、南北朝時代から室町時代にかけて大いに栄えた」[[c:1]]と記す。室町時代に入ってからの一派では左衛門尉信国と式部丞信国の両工が代表格で、共に応永年紀をきるところから応永信国と呼ばれて賞翫される。一派は了戒系、すなわち来系より出て、初代は相州貞宗の門に学ぶと伝え、その延文・貞治の作が現存最古の年紀作であり、応永の工は三代と数えられる。通説には左衛門尉を兄とするが、説明書は知られている年紀では信国銘はむしろ式部丞が古いと注し、両者の関係を今後の研究課題とする。
最も一貫した特色は彫物である。説明書は左衛門尉・式部丞共に「濃厚な彫物を得意としている」[[c:2]]と記し、遺例もこれを裏付ける。火焔梵字、櫃中の浮彫あるいは透しの倶利迦羅、三鈷剣・素剣、旗鉾、蓮台、樋中に切った八幡大菩薩の神号が表裏に繰り返し現れ、しばしば重ね彫りとなる。ある重要刀剣の脇指については、地刃の出来は尋常ながら櫃の中に透した倶利迦羅の彫物は見事であるとされる。得意の刃文が第二の見どころである。説明書によれば信国各代の作風は京物の伝統を示した直刃と貞宗風を受け継いだのたれ刃の二様が主であるが、南北朝時代末期の代替わりの信国から応永信国にかけては「互の目主調の乱れ刃の作域を新たに見ることが出来る」[[c:3]]。その要は二つずつ連れる互の目で、説明書は「互の目が二つずつ矢筈形に連れた特色ある刃文」[[c:4]]と記し、角張る刃・尖り刃、小のたれ、丁子風の刃を交える。足・葉入り、小沸厚くつき、金筋・砂流しがかかり、焼頭に飛焼・湯走りを交えて匂口明るい。
二様の刃の下には一つの地鉄がある。板目に杢を交え、処々刃寄りに流れて柾がかり、肌立ちごころとなり、地沸厚くつき地景頻りに入る。鍛えがつめば小板目となる。京物の伝統を守る直刃は、その作中ではむしろ稀な面である。細直刃から中直刃で、時に僅かに小互の目を交え、小足・葉入り、小沸よくつき、刃縁処々ほつれて金筋・砂流しがかかり、帽子は直ぐに小丸、掃きかける。大島津家の脇指について説明書は、その直刃を「匂口明るく刃中よく働き」[[c:5]]と評する。細直刃の応永の短刀については比較を引き、「応永備前も直刃の作を好んで焼くがやはり信国の方が沸が強いようである」[[c:6]]とする。また別の説明は「この時代の信国には直刃の出来は珍しく」[[c:7]]と記し、匂口しまりごころの直刃を巧みに焼いた大振りの脇指は来物を思わせるとされる。
遺例の多くは平造・三ツ棟のやや寸延びた脇指・短刀で、その姿は応永備前と同じと評されるものもある。在銘の太刀は少ない。応永二年紀の太刀と応永四年紀の菖蒲造脇指は、前時代の終わりから応永にかけての信国と鑑せられ、その年紀は同派同工の研究の上で資料的にも貴重とされる。さらに応永十五・二十・二十一・三十・三十四年の年紀作が続く。戦前の重要美術品である応永三十四年紀の太刀について、説明は南北朝期の信国と異なって「丁子乱のにぎやかな刃文」[[c:8]]を焼くと記す。式部丞の短刀には同作中経眼稀な皆焼刃を焼いたものがあり、同国の先輩である長谷部一類の作風を意識したものかとされる。銘がその鑑定を締めくくる。名は源を冠し、通称源左衛門尉は正しくは「源」左衛門尉であり、その「国」の字は中を左字に作る点で知られ、この書体は南北朝後期の至徳・明徳から見え応永に多いとされる。本間による御物台帳はこれに注意を加え、この書体は「必ずしも源左衛門尉に限ったことではなく、後代信国にも見るところである」[[c:9]]として、出来と銘とを勘案すべきとする。左字の「国」をもつ短刀にも、源左衛門尉とみるべきかにわかに決し難いとされるものがある。
説明書によれば初代信国は貞宗の門下で、「殆んど師貞宗に迫る作風を示している」[[c:10]]。応永の代はその相州の沸を連れた互の目に保ちつつ、明るい京の直刃を守り、二つずつ連れる互の目、刃寄りに流れる肌立ちの板目、強い沸、そして重ね彫りの宗教彫物という組合せがこの手を際立たせる。説明書はまた、同じ頃に信国と二字銘に切る刀工が他にもおり、同年代に複数の同名の存在が考えられるとし、無年紀・二字銘の作は銘振りと作風によって左衛門尉・式部丞に擬せられる。一門は後に分かれ、九州豊後に移住した者は信国何某と銘した。本間はまた、信国一派の茎尻は初代から後代に至るまで貞宗の剣形とは相違して皆丸い栗尻であると注する。
藤代の極めは上々作。指定を受けた作は四十四口を数える。国宝はない。重要文化財一口は「奉富士本宮源式部丞信国」[[c:11]]と切り応永廿四年紀のある脇指で、富士山本宮浅間神社に伝わる。特別重要刀剣一口・重要刀剣三十九口、両格で四十口に上り、応永三十四年紀の太刀は徳川宗敬旧蔵の戦前の重要美術品であり、剣と短刀の二口が本間による御物台帳に所載される。指定作のうち在銘は四十三口、無銘は一口にとどまる。伝来は薩摩大島津家、徳川将軍家・尾張徳川家、細川忠興、久邇宮家に及ぶ。多武峯賢聖院伝来の短刀は、四代家綱から五代綱吉への将軍職継承の折に多武峯より将軍家に献上されたもので、多武峯では将軍の御代替ごとに寺宝の刀剣一腰ずつを献上したという。所在の知られるものは熱田神宮・伊勢神宮・徳川美術館・佐野美術館・黒川古文化研究所・九州国立博物館・京都国立博物館などに収まる。蒐集家にとって応永信国は忍耐をもって手の届く名であり、重要刀剣級の在銘の脇指・短刀は時折市に現れるが、説明書が「頗る貴珍」とする在銘の太刀が現れることは稀で、現れれば一つの出来事となる。
信國の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
山城伝 · 山城
現在22点販売中
信国派は山城国京都に興った名門で、その流れは南北朝時代に遡る。一派の祖と仰がれる信国は了戒系の京鍛冶で、血脈の上では来の伝統を承けながら、修業の上では相州貞宗の門に入って貞宗三哲の一人に数えられた。来の系譜と相州伝という二つの根がこの一門の作のすべてを導く。銘鑑は祖を建武に置くが、説明書はこれを繰り返し退ける。建武年間の作は残らず、現存最古の延文・貞治の年紀作が貞宗に直結することから、本会は延文・貞治の工をもって初代と見做す。南北朝の末期には永徳・至徳・明徳の代替りの信国が続き、同銘数工があったと見られる。室町初期には左衛門尉・式部丞を冠する応永信国が栄え、これを通常三代と数える。一派は後に豊前へ、さらに筑前へ移り、慶長の頃より明治初年まで福岡藩黒田家の抱え鍛冶として吉貞・吉政・吉次・吉包・重包の代々を出し、新々刀期まで栄えた。 一派に通う語法は、まず地鉄に現れる。鍛えは杢を交えた板目で、刃寄りに流れて柾となりやや肌立ち、地沸を厚くとり地景が頻りに入り、よくつんだ作には淡い沸映りが立つ。刃寄りに流れる鍛えは了戒系の所伝を首肯せしめる証とされ、厚い地沸と頻りの地景は貞宗に学んだ相州伝の痕跡として読まれる。刃文は文様の如何を問わず沸で焼かれ、砂流し・金筋が絶えず働き、匂口は明るい。その作域は二様を基とする。一つは来派の伝統を示した直刃で、中直刃・細直刃に小沸つき、細かにほつれ喰違刃・二重刃ごころを交えて京物の格調を伝える。いま一つは貞宗風ののたれ乱れで、小のたれに互の目・小互の目を交え、足・葉入り、沸厚く明るく、刃縁にほつれ湯走りがかかり、最も多く出会う作域をなす。帽子はのたれ込みまたは乱れ込んで小丸となり掃きかける。御家芸とも言うべき濃密な彫物も貞宗譲りで、梵字・素剣・護摩箸・三鈷剣・倶利迦羅を重ね彫りにし、刀身に八幡大菩薩の神号を切る作もあって、彫物によって一門を見分けうる。代を下ると差異が明瞭となる。南北朝末期の後代は一派に初めて太刀を生み、二様に加えて互の目主調の乱れ刃を新たに見せ、互の目が二つ宛連れたものを腰の低い小のたれで繋ぐ矢筈状の刃を見どころとする。応永信国は左衛門尉が「国」の字のクニ構えの中を左字に作る点を大きな鑑別点とし、直刃と互の目乱れの双方に冴えた沸を宿す。筑前に移った吉包・重包は相州伝の志向と、流れ肌の乱れ映りを伴う一派の丁子乱れとを高い技倆で並べ持ち、重包は名物写しの名手として石堂風に紛う華やかな丁子を、地沸・地景・刃中の沸の顕著さによって石堂と分かった。 鑑定の勘所は明快である。刃寄りに流れる柾がかった肌、厚い地沸と頻りの地景、沸で焼いた直刃と貞宗風ののたれ乱れ、重ね彫りの宗教彫物が一門を束ね、相州の同門とも後世の備前丁子とも分かつ拠りどころとなる。無銘極めも代の弁別も延文三年紀の作との照合によって決せられ、後代は連れ互の目と矢筈刃で、応永信国は逆字の銘で、筑前の工は流れ肌の乱れ映りで読み分けられる。藤代の極めは初代信国を上々作とし、後代から応永信国まで京古刀の上位に列し、筑前の吉包・重包は地方新刀の堅実な工として上作の評を得る。在銘作は祖において短刀・小脇指に限られて稀であり、それゆえ年紀のある後代の太刀・薙刀は何よりの好資料として貴ばれる。伝来は大名家と社寺に厚く、黒田家・浅野家・山内家・佐竹家らの蔵刀に加え、本願寺名物や富士山本宮浅間大社に奉納された式部丞の脇指がある。上位指定の多くは公私の蔵に秘められて市に現れず、在銘の信国が世に出ること自体が稀であって、現れた時は南北朝以来の山城物の蒐集で特筆すべき機会となる。 詳しく見る →
室町時代
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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