遅塚久則(おそづかひさのり)は、享保十年(1725)に江戸に生まれ、寛政七年(1795)に没した。水戸徳川家の支藩である守山藩の藩士であり、有福の家に育ったと伝わる。『守山藩士略伝』によれば、「資性温厚にして謹厳、三代頼寛・四代頼亮の二侯に仕え、小姓となって三十石を給わる」とある。彫金は大森英秀に師事し、二十八歳から刀装具の彫技を始めたとされる。
久則の作風は、赤銅地を高彫、容彫とし、金、銀、赤銅、素銅などを用いた象嵌色絵を多用する点に特色がある。特に孔雀や鳳凰などの鳥類や人物の意匠を得意とし、その表現は細密濃麗である。目貫の造形には独特のものがあり、地金は厚手で肉置がむっくりとし、裏からのだしと表からのへし込みが強調され、腰の部分はくくり込むようになって総体に丸味がある形状となる。鳥の顔は丸彫風に彫り込むなど、一段と立体的に表現される点も特徴として挙げられる。また、小柄や縁頭においては、赤銅魚子地を高彫とし、据紋象嵌色絵や金消象嵌を施す作例が見られる。色絵は丁寧で極彩風の仕立てであり、その緻密さは他の追随を許さないと評される。
久則の作品は、武人の誇りを持って彫技に励み、細密濃麗な象嵌は独歩の域に達して世人の喝采を博したと評される。その作は「賞翫すべき彫法」であり、「色絵丁寧にして極彩風の仕方」であると評され、総体に高彫が効かされ、メリハリのある出来となっている。鳥を題材とした作品においては、濃密な出来となり、彫技も卓抜であり、すぐれて立体感に富む出来となっている。全体的に今にも動き出しそうな躍動感が感じられ、嘴や鶏冠の現実感は筆舌に尽くしがたいと評される。人物の顔を丸彫にして動くようにし、鹿の角を動かすなどからくり人形を思わせる遊び心のある作例も見られ、久則の才智と華麗な彩色象嵌を極めた作として評価されている。