戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
【Tanto】Soshu Ju Yasuharu saku / Tenbun 14 nen 8 gatsu hi Tanto in Shirasaya, with Koshirae 駿河国と相模国の刀工集団は、戦国時代に入ると、戦国武将の求めに応じて繁栄します。 本作の康春は、小田原の北条氏康の招きにより、駿河国より相模国・小田原へ移住し、北条氏康の一字を賜り「泰春」を「康春」と改名します。その後、小田原に於いて、末相州鍛冶の代表工となり、その後進に綱広・綱家・安国・康重・照重などが続き、その繁栄を保ちました。 駿河国の刀工は、地理的要因から、美濃国の刀工とも交流が深かったことから、康春などの刀工により、小田原にも美濃伝の作風が伝わります。 本作は当時、美濃国で流行していた、頭の丸い互の目乱れ刃を、主体とした華やかな出来で、「兼房乱」と称される、特徴のある刃文です。 杢目を交じえて板目流れ、よく練れた地鉄には、地沸がつき、地景入り、腰開きの互の目に、飛び焼きも交じり、履表には倶利伽羅龍(剣巻き龍)を彫り、裏には武運を願う、八幡大菩薩 の五文字を彫り入れます。末備前の彫刻が間が延びしているのに対して、本作は寸の詰る刀身に、寸の詰る龍を緻密に彫り入れ、注文主の願いが表れています。帽子は表は小丸、裏は淡く履掛けます。 拵えは、鉄地に隙間なく桐鳳凰図の金象嵌を施した、江戸時代の豪華な短刀拵えが附属します。















相州伝 · 相模 · 1521-1528頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在19点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。 詳しく見る →
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の説明と商品の内容が著しく相違した場合、起算して3日以内であれば返品をお受け致しております。通信販売は特定商取引法上のクーリング・オフ規定がないため、クーリング・オフはできません。
【Tanto】Soshu Ju Yasuharu saku / Tenbun 14 nen 8 gatsu hi Tanto in Shirasaya, with Koshirae 駿河国と相模国の刀工集団は、戦国時代に入ると、戦国武将の求めに応じて繁栄します。 本作の康春は、小田原の北条氏康の招きにより、駿河国より相模国・小田原へ移住し、北条氏康の一字を賜り「泰春」を「康春」と改名します。その後、小田原に於いて、末相州鍛冶の代表工となり、その後進に綱広・綱家・安国・康重・照重などが続き、その繁栄を保ちました。 駿河国の刀工は、地理的要因から、美濃国の刀工とも交流が深かったことから、康春などの刀工により、小田原にも美濃伝の作風が伝わります。 本作は当時、美濃国で流行していた、頭の丸い互の目乱れ刃を、主体とした華やかな出来で、「兼房乱」と称される、特徴のある刃文です。 杢目を交じえて板目流れ、よく練れた地鉄には、地沸がつき、地景入り、腰開きの互の目に、飛び焼きも交じり、履表には倶利伽羅龍(剣巻き龍)を彫り、裏には武運を願う、八幡大菩薩 の五文字を彫り入れます。末備前の彫刻が間が延びしているのに対して、本作は寸の詰る刀身に、寸の詰る龍を緻密に彫り入れ、注文主の願いが表れています。帽子は表は小丸、裏は淡く履掛けます。 拵えは、鉄地に隙間なく桐鳳凰図の金象嵌を施した、江戸時代の豪華な短刀拵えが附属します。















相州伝 · 相模 · 1521-1528頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在19点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。 詳しく見る →
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の説明と商品の内容が著しく相違した場合、起算して3日以内であれば返品をお受け致しております。通信販売は特定商取引法上のクーリング・オフ規定がないため、クーリング・オフはできません。