Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 Kozuka "Asahi ni Baiju" (Morning sun and Ume tree) 香りが情景を思い出させることもあれば、情景が香を呼び覚ますこともある。古木であろうか、先の折れた幹にそれでも健気に花を咲かせている。梅樹の先は水平線か、はたまた塀か、そこから日の光が放射状に射す。清冽な朝の空気の中、馥郁たる香りに誘われ目をやると梅樹の背後から朝日が輝いていた。梅は開いたばかりの朝が一番強く香るという。 裏には金の短冊が象嵌され、芭蕉の句「梅が香に のっと日の出る 山路哉」が刻されている。 表側の四分一地は二段構成で横一文字の直線の上部は一段低くなっており、細い金線象嵌で朝日を、微細な点刻に金を擦り付けた真砂象嵌で煌めく光の粒子を表している。一段高くなった梅樹の背景はより明るい色味で、梅の香りに満ちた清明な空気を感じさせる。量感のある力強い高彫の幹。ふっくらとした梅花の花蕊は金色絵。小柄側面には金色絵で笹が描かれ、梅の根元は大きく亀裂が入り、洞ができている。傷ついた梅に何か思うところがあったのであろうか。 一勝は金工として代々津山藩に仕えた名門中川家の生まれで、兄弟には正阿弥勝義、中川一的がいる。父、中川勝継の下で修業し、二十一歳で後藤一乗に入門すると、その三年後、幕府に召し抱えられた師一乗と共に江戸の細工所に移り、兄弟子である一琴、一至と共によく師を助け、腕を磨いた。一勝(一匠)はまた和歌や俳句を好んだという。

一匠
江戸
武蔵
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫 · Mimasaka / Yamashiro · 1828-1876頃
現在1点販売中
中川一匠(なかがわいちしょう)は、美作国津山藩(現在の岡山県津山市)の藩工、中川勝継(なかがわかつつぐ)の次男として生まれ、本名を中川勝実(なかがわかつざね)、通称を直二郎(なおじろう)という。二十一歳で京都に上り、後藤一乗(ごとういちじょう)に入門した。現存する年紀作から、二十五歳にして一乗より「一」の字を譲られ、「一勝(いちかつ)」と名乗ったことがわかる。安政年間に津山へ戻るが、結局中川家は末弟の勝敬(かつたか)が継いだ。万延元年に江戸へ戻り、翌々年の文久二年に「一匠」と改名。明治九年、四十八歳で没した。
一匠の作風は、師である後藤一乗の影響を強く受け、幕末から明治にかけて流行した合口式の短刀拵や腰刀拵、あるいは三所物などの刀装具にその技を遺している。作域は広く、赤銅魚子地、朧銀地、鉄地など多様な素材を用い、高彫、毛彫、片切彫といった彫技を駆使する。金、銀、素銅、緋色銅などを用いた色絵や象嵌も得意とし、特に平象嵌のうちでも淡い消し象嵌、砂子象嵌などを用いることで、雅な趣を表現している。小柄、笄、目貫などの意匠には、四季の草花や虫、風景などを題材としたものが多く、写実的でありながらも装飾性の高い作風が特徴である。
中川一匠は、後藤一乗門下の名工として知られ、その作品は「極めてていねい」と評される。特に、小柄、笄に「絹魚子と呼称される細やかな魚子」[[c:1]]を蒔き、流麗な高彫に金銀の色絵を施した作や、金無垢地に銀の置金色絵を施した目貫など、その繊細優美な出来映えは高く評価されている。また、自身で箱書を記し、製作地を明記するなど、作品に対する強いこだわりも窺える。幕末から明治にかけての刀装具の世界において、一乗派の作風を継承しつつ、独自の表現を追求した刀工として、その名を知られている。
一匠の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · Kyoto
時期区分: 後藤宗家· 1573–1900
現在32点販売中
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 Kozuka "Asahi ni Baiju" (Morning sun and Ume tree) 香りが情景を思い出させることもあれば、情景が香を呼び覚ますこともある。古木であろうか、先の折れた幹にそれでも健気に花を咲かせている。梅樹の先は水平線か、はたまた塀か、そこから日の光が放射状に射す。清冽な朝の空気の中、馥郁たる香りに誘われ目をやると梅樹の背後から朝日が輝いていた。梅は開いたばかりの朝が一番強く香るという。 裏には金の短冊が象嵌され、芭蕉の句「梅が香に のっと日の出る 山路哉」が刻されている。 表側の四分一地は二段構成で横一文字の直線の上部は一段低くなっており、細い金線象嵌で朝日を、微細な点刻に金を擦り付けた真砂象嵌で煌めく光の粒子を表している。一段高くなった梅樹の背景はより明るい色味で、梅の香りに満ちた清明な空気を感じさせる。量感のある力強い高彫の幹。ふっくらとした梅花の花蕊は金色絵。小柄側面には金色絵で笹が描かれ、梅の根元は大きく亀裂が入り、洞ができている。傷ついた梅に何か思うところがあったのであろうか。 一勝は金工として代々津山藩に仕えた名門中川家の生まれで、兄弟には正阿弥勝義、中川一的がいる。父、中川勝継の下で修業し、二十一歳で後藤一乗に入門すると、その三年後、幕府に召し抱えられた師一乗と共に江戸の細工所に移り、兄弟子である一琴、一至と共によく師を助け、腕を磨いた。一勝(一匠)はまた和歌や俳句を好んだという。

一匠
江戸
武蔵
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫 · Mimasaka / Yamashiro · 1828-1876頃
現在1点販売中
中川一匠(なかがわいちしょう)は、美作国津山藩(現在の岡山県津山市)の藩工、中川勝継(なかがわかつつぐ)の次男として生まれ、本名を中川勝実(なかがわかつざね)、通称を直二郎(なおじろう)という。二十一歳で京都に上り、後藤一乗(ごとういちじょう)に入門した。現存する年紀作から、二十五歳にして一乗より「一」の字を譲られ、「一勝(いちかつ)」と名乗ったことがわかる。安政年間に津山へ戻るが、結局中川家は末弟の勝敬(かつたか)が継いだ。万延元年に江戸へ戻り、翌々年の文久二年に「一匠」と改名。明治九年、四十八歳で没した。
一匠の作風は、師である後藤一乗の影響を強く受け、幕末から明治にかけて流行した合口式の短刀拵や腰刀拵、あるいは三所物などの刀装具にその技を遺している。作域は広く、赤銅魚子地、朧銀地、鉄地など多様な素材を用い、高彫、毛彫、片切彫といった彫技を駆使する。金、銀、素銅、緋色銅などを用いた色絵や象嵌も得意とし、特に平象嵌のうちでも淡い消し象嵌、砂子象嵌などを用いることで、雅な趣を表現している。小柄、笄、目貫などの意匠には、四季の草花や虫、風景などを題材としたものが多く、写実的でありながらも装飾性の高い作風が特徴である。
中川一匠は、後藤一乗門下の名工として知られ、その作品は「極めてていねい」と評される。特に、小柄、笄に「絹魚子と呼称される細やかな魚子」[[c:1]]を蒔き、流麗な高彫に金銀の色絵を施した作や、金無垢地に銀の置金色絵を施した目貫など、その繊細優美な出来映えは高く評価されている。また、自身で箱書を記し、製作地を明記するなど、作品に対する強いこだわりも窺える。幕末から明治にかけての刀装具の世界において、一乗派の作風を継承しつつ、独自の表現を追求した刀工として、その名を知られている。
一匠の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · Kyoto
時期区分: 後藤宗家· 1573–1900
現在32点販売中
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。