後藤宗家四代光乗作、群犀図の三所物。描かれているのは水犀(通天犀とも)という想像上の瑞獣。「体は馬、四肢と尾は牛、背には亀の甲羅を持ち、額には大きく鋭い一本角を生やす」と描写されている。龍や獅子、鳳凰や麒麟ほど周知されてはいないが、日光東照宮の霊獣、瑞獣の彫刻にも水犀が見られる。一説には火伏の役割があるといわれている。「鳥獣人物戯画」制作以前に渡来した正倉院御物、「平螺鈿背円鏡」には獅子と共に私たちがよく知っている姿に近いサイ(おそらく二本角のスマトラサイであろう)が螺鈿細工で描かれている。また、今から三千年以上前の中国商代晩期に制作された青銅器の酒杯、「小臣艅犀尊」にも二本角で体毛のあるスマトラサイが写実的に表現されている。この時代には中国南部にもまだサイが生息していたのである。水犀のモデルはスマトラサイだったのであろうか。この金無垢地容彫陰陽根の目貫は光乗らしい引き締まった造形で、掌にすればずっしりと重い。表目貫、裏目貫にそれぞれ五頭、笄にも五頭、小柄には八頭、計二十三頭の水犀が互いに目を見交わし、跳ねるように躍るように駆けている。初代祐乗に次ぐ上手といわれる四代光乗の見事な三所物に十四代桂乗光守が代七百貫という高額な値を付けて折紙を発行している。代付をして折り紙を発行するという行為は刀剣鑑定の本阿弥家と装剣小道具の後藤家しかなかった。織田信長に仕え世界最大の金貨である大判を造り、激動の時代に才能を発揮した光乗。その光乗の手になる瑞獣水犀の稀有な三所物である。



光高
桃山(1588)
山城
在銘
家彫 · 長門 · 1588頃
現在1点販売中
家彫 · 山城
現在317点販売中
後藤派は、室町時代中期に初代祐乗が将軍足利義政に仕えて創始した彫金の宗家であり、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛される祐乗を祖として十五代にわたり嫡流の技を継承した。祐乗の作品は東山御物として数多く取り上げられ、後世に名を残した名工は挙って後藤家の祐乗に範をとっている。四代光乗・五代徳乗は織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、大判・分銅・彫物の三役を担い、桃山時代の豪華美を格調高く表示した。幕末には一乗が「後藤家の掉尾を飾る名工」として家風を大成し、門下の荒木東明・中川一勝らが一派の技を継承した。 後藤派の作域は三所物・縁頭・鐔・揃金具と多岐にわたり、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を家風の根幹とする。金紋裏哺金仕立の小柄笄、金無垢地容彫の目貫など、素材と技法の選択に一貫した格式が認められる。三代乗真は「大振りで力強く、量感の豊かな彫技」[[c:1]]を特徴とし、紋の肉取りが豊かで鏨使いが手強く、赤銅の色相も漆黒で麗わしい。桃山期の作には鋤出高彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を駆使した豪華絢爛の大名道具が見られ、近世には四分一磨地や朧銀地に甲鋤毛彫・平象嵌を組み合わせた多彩な表現も展開された。龍・獅子・鶏・犀・鯰といった動物意匠から、松竹梅・桐紋・粟穂・四季草花に至るまで画題は広範であり、各代が武家好みの吉祥意匠を格調高く仕上げている。 後藤派に帰せられる作品には「気品があって格調が高く」[[c:2]]「力漲る」と評される一貫した品格が通底する。歴代の折紙制度によって初代祐乗以来の作が厳格に鑑定・伝承され、「家彫の誇りは確実に後代に伝わっている」[[c:3]]と繰り返し認められる。後藤流に熟達した門弟の作が「後藤家御家彫と見紛うまでの出来」[[c:4]]と称されることからも、その規範性の高さが窺える。日本金工史において、後藤派は赤銅魚子地高彫金色絵という技法体系を確立し、室町から明治に至る四百余年の間、彫金の最高規範として君臨した一門である。 詳しく見る →
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